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2006年2月22日 (水)

岡義武編『吉野作造評論集』(岩波文庫、1975年)

大正デモクラシーの旗手といわれる吉野作造の評論を彼に教えを受けた岡義武が編集したもの。

正直、あまり面白くない。

ここのところ、大正・昭和に活躍した言論人の評論集を読んできたが、出色のつまらなさである。その原因は何にあるかと考えたが、吉野が目指す方向がいまいち明確でないのと、理想を語るのではなく現実に可能な方法を模索したとされるが現実の制度にそれほど肉薄しているとは思われず、当時の政治のあり方を研究する資料としても役に立たない。教科書に取り上げられ、名前だけは有名な吉野作造が現在あまり読まれないのもうなずける。

また、吉野は民本主義の主唱者とはいうものの、必ずしも政党内閣主義者ではない、という点に物足らなさを感じてしまう。吉野の「民」は全国民を指し、制限選挙下の既成政党は「民」を代表しているわけではないとして、支持を与えられていないのである。しかし、現実に肉薄するならば、日本の政党政治の習熟を促す努力をしなければならなかったはずだ。この時期において、元老、官僚、軍部等の非選出勢力に対抗できる国民代表は既成政党しかなかった。それが不十分なものであっても国民と連絡のある政党の発展を促さなければ、国民の政治は成り立たない。政党の腐敗は今も当時も変らぬ現象だ。これを前提としつつも、これしかないとの諦めとともに守ることがなければ、現在はもとより、政党政治に正統性がない時代に政党内閣を成立させることは不可能だっただろう。

大正デモクラシーとは、政党政治の意ではなく、平等化を意味するものなのかもしれない。政党政治は経済的自由、権利の自由など自由主義を基調とするもので、自由には腐敗も付随してくる。しかし、国民との密接な連絡と平等化を求めるデモクラシーはその自由を阻害していく可能性を秘めたものだ。

吉野に大正デモクラシーを代表させることができるかどうかは分からないが、まがりなりとも国民代表の政党政治を保守・発展させる意識が強くないとの点で、永井柳太郎や中野正剛と同様である。大正デモクラシーは、昭和期のファッショ傾向を準備したものと評される由縁であろう。

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