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2006年2月16日 (木)

カンパネッラ/近藤恒一訳『太陽の都』岩波文庫、1992年

イタリアの哲学者カンパネッラが1603年に著したユートピア論の翻訳。
たまたま古本屋で見つけ、長くもないので電車で読むには最適と積読から
手に取ったものだが、読んでみての感想は、
「こんな国、たまらんよ」
といったところか。

生れ落ちては親から施設に送られ、共同生活を営む過程で教師である役人に適性を勝手に決められ、職業が決まる。食事も栄養士が選んだ健康食を毎日食べさせられる。男女関係も役人が決めてくれて、もちろん、生殖のみの関係。さらにはその生殖ですら、占星術によって日時が決められ、その日は二つの部屋にそれぞれ寝かせて、もっとも適した時間に、役人が「どうぞなさってください」といった感じ。

これは理想的な生活なのだろうか。
おそらく著者にとっては「正義」に適った国なのだろうが「自由」はない。

先日、オーウェルの『1984年』を読んだが、その世界同様、『太陽の都』も陰鬱な生活に違いない。儀式のようなセックスも主人公ウィンストンの妻が求めてきて、うんざりしてしまうというところに『太陽の都』への人間的反応を見ることができる。もっとも、『1984年』のウィンストンは革命前の生まれで、以前の世界を感じとり、疑問を持ち始め反抗に走ってしまったのであるが、最後は数々の拷問に耐えかね、この国を愛するようになるのだが、『太陽の都』の市民は、ウィンストンのような葛藤を感じる人が、いなくなった後の世界にいるようだから、幸せに暮らしているのであろう。

しかし、耐えられんな。
すべてを用意してくれる世界。
私的欲求を否定する社会。
差別のない平等な社会。
最も私的欲求の表れであり、どうしても差別せざるを得ない恋愛という感情は、このような社会では否定されるのだろうな。『1984年』はそれが一つのテーマだし。

あとは健康食よりラーメン食いたい。

まぁ、本書を読んで思うことは「正義」を考える哲学者に政治をやっていただきたくない、というところだろうか。

でも、性的弱者というものはいない世の中であるのはたしかだ。

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