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2006年3月24日 (金)

キェルケゴール著/斎藤信治訳『死に至る病』岩波文庫、1939年、1957年改版

今週、学部時代にお世話になった尾崎和彦先生が退官された。先生は、キェルケゴールの研究者で、従来のキリスト教徒としてのキェルケゴールから北欧思想の土壌から生れたキェルケゴールという独自の思想像を提示していた。私は、不肖の学生だったため、先生のような優れた研究者の下にいたにもかかわらず、キェルケゴールを全く読んでいなかった。今週、先生の退官記念講演を聴き、その話に感動して、今回やっと手にとってみた。

しかし、哲学を理解する頭になっていない私には一度ざっと読んだ感じでは全く理解できなかった。うーむ、困った。

私の本書のイメージは、題名からして、人間というものは生まれながらに死刑宣告を受けている存在であり、生きること、それ自体が「死に至る病」である、というような陰鬱な人生観が語られているものかと思っていた。が、そうではなく、「死に至る病とは、絶望のことである」と端的に述べられているように、死病ではなく、死ぬに死ねない病という意味であり、まさに「死に至る」という過程の問題で、死そのものを意味するものではないということである。また、意識するしないにもかかわらず、人は絶望を抱えており、それが発症するのは、想像によってありうべき自己と現実の自己との差に苦しみぬく状態である。その絶望は、かなえられないこと、現象そのものではなく、かなえられない自己そのものに向かう内向的なものである。そのため、自己をとりまく現象ではなく、無限に自己を告発する自己を問題にする。

これは、自然に存在する人間の本質に適合する自己にならなければならないと考える外部との連絡を有する思想から、自己意識そのものを問題にする哲学として、その後の実存主義の先駆的業績とされるらしい。

本書解説によれば、キェルケゴールはマルクスと同時期に、このような思索にふけった人物らしく、前者は自己内部の疎外感を、後者は社会における疎外感を問題にしたという同時代性を帯びているという。この解説が書かれた頃は、マルクス主義と実存主義が隆盛を極めた時期で、当時の若者は、そのどちらかを選びとって自らの思想形成を助けたようである。

実存主義は、60年代にいわばマルクス主義の亜流である構造主義に敗れ去ったために、私が読書を始める頃には廃れてしまい、既に弾劾の対象となっていたマルクス主義と比べても、そのイメージすらもつかめないものとなっていた。もっとも、当たり前の思想となっていたために、わざわざ学ぶ必要もないものとなっていたのかもしれないが。

となると、本書は今後どのように読まれていくものなのか。尾崎先生は、スウェーデンの思想家ヘーゲルストレームの「価値ニヒリズム」が後の社会科学・自然科学に影響を与えたのに比して、西田幾多郎の哲学は何らそれらに影響を与えていないとしつつも、研究者の人生観に影響を与えたと仰っていた。ならば、この難解な本書もそのようなものとして生き残ってゆくのだろう。だって、『死に至る病』って、悩める青年たちの心をぐっと摑むキャッチーな題名じゃないかな。内容はともかく、読んでみたいと思ってしまいますね。

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