« 山室信一・中野目徹校注『明六雑誌(上)』岩波文庫、1999年 | トップページ | キェルケゴール著/斎藤信治訳『死に至る病』岩波文庫、1939年、1957年改版 »

2006年3月18日 (土)

板垣退助監修/遠山茂樹・佐藤誠朗校訂『自由党史(上)』岩波文庫、1957年

明治思想の民権側からの流れを掴むために、読んでみた。

本書は明治43年に発刊されたものらしいが、その特色はなんといっても豊富な史料だろう。この時期に出された建白書や法令がそのまま掲載されており、大変便利である。そしてまた、人物評価なども大隈重信など改進党系の人物への厳しさが、本書が政治文書であることも感じさせる。

上巻は明治元年から明治13年の国会期成同盟あたりまでを描いているが、個人的に気になるのは、史料で語られる当時の人々の尊皇意識である。

よく「天皇制」は明治期に創られたものである、と耳にする。中学高校の日本史副読本などで、国民に天皇の偉さや有難さを宣伝する文書や、「天子様とは何ぞや」と国民が天皇など知らないというような文書を載せて、天皇中心の政治体制は創られたものだと強調するような史料を扱っている。これは一面で正しい。マスメディアもなく、全国的な教育もない時代、人々が知りうるのは隣三軒のくまさん、はっつあんとその地の領主ぐらいなものだということは当然である。現在でも支配政党や総理大臣の名前も知らない人もいるのだから当然であろう。もっとも、徳川期においても、お伊勢参りや雛人形、宮廷を描いた浄瑠璃などで天皇の存在を前提しないと成立しない庶民文化はあったわけで、天皇の存在はある程度知れ渡っていたのだ。それはともかく、ある程度、政治意識をもった人々に関しても天皇というものが、なんとも敬意をもたれていることに驚く。

最も気になったのは、大阪会議で政府側が板垣退助に入閣するよう要請する場面である。この時、板垣はそれを一度断っている。板垣の下の愛国社もその態度が割れており、入閣支持グループを板垣が説得までして、入閣を断っているのである。しかし、天皇が板垣に入閣を要請すると一転「感激し、恐懼措く所を知らず」参議の復帰を決めてしまうのである。これはどういったわけか。

板垣は維新の功臣で、いわば天皇中心の政治体制を創った側の者である。ある程度、天皇への敬意は払うとはいえ、自分達で地位を与えた人物にこのような忠誠心を持つものであろうか。たしかに板垣自身は入閣希望だったが、周囲の雰囲気から決断できず、きっかけを探っていたという考えも成立するしれない。しかし、前言を翻してでも天皇の要請を受容れるのは、たった10年そこらで創られた正統性以外の何物かが、既に板垣やそれ以外の人々に共有されていたからではなかろうか。だとすると、天皇の正統性とは、急ごしらえで創られたものではなく、徳川時代から連綿と意識されていたもので、徳川に天皇の統治が現れた事は当然と人々に思われていたと考えるのが自然であろう。本書はそれを知らせてくれる。

ちなみに板垣個人として、この尊皇意識はどこから生じたのであろうか。私は板垣の伝記を読んだわけではないので、どのような教育を彼が受けてきたかは知らない。板垣の出身国である土佐は武市瑞山率いる土佐勤王党を生んだ地であるが、その母体は関ヶ原以前の領主長宗我部氏の臣下であった郷士であって、板垣は関ヶ原以後国入りした山内氏の家臣である上士の出である。郷士が国主山内ではなく、天皇に忠誠心を感じるのは山内氏下での地位の低さから相対化をはかるための手段として分かるが、上士である板垣が天皇に忠誠心を抱く必然性はあまりない。天皇は政治的実権を握るための「玉」としての意味はあったであろうが、国主への忠誠心から天皇への個人的に忠誠心に転換する素地はどこから来たのであろうか。

天皇の正統性が明治期に創られたというのは、悪しき「創られた伝統」論である。しかし、その忠誠心がどのように形成されたかは、徳川期の国学、水戸学などだけで説明できるのだろうか。これらの学問がどれだけ浸透力を持っていたのか。わからない。勉強不足である。

しかし、庶民に天皇への忠誠心が浸透するのは、第一次大戦後の君主制の危機により、教育現場に天皇が強調されるようになってからで、日清・日露の戦役ではあまり天皇は意識されてはない。もっとも、日清戦争時に天皇が広島大本営で日夜軍務に精励したことに国民が感激したという点は指摘できるが。

それはともかく、もう少し幕末期を含めて勉強しなおさなくてはなりませんね。

|

« 山室信一・中野目徹校注『明六雑誌(上)』岩波文庫、1999年 | トップページ | キェルケゴール著/斎藤信治訳『死に至る病』岩波文庫、1939年、1957年改版 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

歴史・思想」カテゴリの記事

岩波文庫」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 板垣退助監修/遠山茂樹・佐藤誠朗校訂『自由党史(上)』岩波文庫、1957年:

« 山室信一・中野目徹校注『明六雑誌(上)』岩波文庫、1999年 | トップページ | キェルケゴール著/斎藤信治訳『死に至る病』岩波文庫、1939年、1957年改版 »