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2007年12月12日 (水)

苅部直『移りゆく「教養」』NTT出版、2007年

昨年、『丸山眞男』でサントリー学芸賞を受賞した著者の新刊。といっても、新聞をとっておらず、情報の遅い私は先週発売していたことを知ったということで、少々読むのが遅れた。

いや、面白かった。途中、長野県飯田市の公民館の話でダレたのだが、その直後の第5章冒頭で「さて、この本をここまで読みすすめられた方のうちには、いいかげんしびれが切れた、とお思いの向きも、きっとあるだろう。」と述べられると著者にこちらの心理を読み取られているようで、怖ろしくなった。

それはさておき、「教養」といえば、現在の「教養崩壊」への危惧と大正・昭和初期の「教養主義」が思い出されるわけだが、戦前の「教養主義」も「教養崩壊」への危惧から生じたという指摘は、言われてみればそのとおりだろうが、ちょっとはっとする。本書の出色は、第4章前半の伝統の中から「政治」と「教養」を結ぶ試みをした和辻哲郎と丸山眞男への言及で、やはり著者の専門分野を活用した部分であり、著者の和辻論、丸山論を再読したくなるし、和辻や丸山への興味をかきたてる。

私も「教養」をつけたい、と日夜古典を読んでいる人間であるが、そこにきて本書第5章の「「教養」を通じての人格の向上をめざす姿勢は、他面で、「教養」の程度が自分より低い者や、「教養」を欠く者に対する蔑視と背中あわせである。」との指摘に、「人格の向上」などめざしているわけでもない私にも、ぐっと迫るものがあった。ここには、「教養」というものへの反省を促す契機があり、この本を読むような人にとって、かなりぐさりとくる叙述がつづくが、ジョージ・オーウェルの「絞首刑」を引用するところで、また読む者をあっと思わせないではいられない書き方をする。そこでまた読者に「ああ、俺も「教養」があったんだ」と思わせてくれる仕掛けを作ってくれている構成になっている。こういうところに単純な私など脱帽です。

結局のところ、「人と人とが生き生きとした交流を保ち、社会を円滑に動かしてゆくために」、「教養」は必要である、ということになる。つまり、単なる知識や情報ではなく、世界が独自の法則をもっており、また他者を他者として認め合いつつ関係性を保持する公共性を身につけるための準備として読書は何らかの役に立つということだ。何か、著者がこういうことをいうのは意外な感も受けるが、読書の意味を考えるにあたっては、本書はたしかに有用なものだ。

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