映画『魔界転生』
この間、「観てみたい、でも観たら確実に後悔する」と思いつつ、ついに観てしまった。しかも深作欣二版と平山秀幸版と両方。で、感想はガッカリ。
だいたい映画というものは、原作を読んでからの方が期待は高まるものの、観て原作とここが違うとか気になってしまうし、そもそも原作が面白いものの映像化は原作を超えることができない。原作を読む気がある作品は、映画から入って原作に進むのが作法だ。
で、深作版は、クエンティン・タランティーノに多大な影響を与えたというB級映画の傑作と呼ばれるものだが、正直きついです。映画の始まりからいきなり「能」とかやっちゃうあたりどうにかならないだろうか。日本映画で日本の雰囲気を出そうとしたり、芸術性を高めるためとかの理由で「能」とかやるのがよくあるが、勘弁願いたい。私の勝手な図式で、伝統芸能の階層関係は、武士=能、富裕な庶民=歌舞伎、庶民=浄瑠璃となっているのだが、映画は大衆芸術の一つなのだから、変に芸術性を求めるために伝統芸能の、しかも「能」なんてやる必要がないと思ってしまう。映画の中の芸術性は、あくまで映像の中で表現するもので既存の芸術に依存して表現することはない。いきなり高尚な「能」で始まっては、こっちは眠気に誘われるだけだ。しかも、ストーリーもなんだかよく分からない。おそらく「柳生一族」シリーズや時代小説ファンなら、分かるのかもしれないが、山田風太郎でしか十兵衛を知らないこちらとしては、十兵衛が何でそこら辺でウロウロしているのかが分からないし、事件に巻き込まれる動機もなんだかよく分からない。とにかく、原作をほとんど無視したオリジナル作品で、『魔界転生』なんて題さずに別の題名を立てて「原案」ぐらいにしてほしい。だいたい風太郎先生の柳生十兵衛は、快活で自由で怠惰な男である。千葉十兵衛は重すぎるんだよな。何度も寝てしまった。
平山版は、深作版では呪文を唱えるだけで死者が復活するという形式だったが、さすがに映像技術の発達で「忍法魔界転生」を映像で見せてしまうあたりが凄い。ストーリーも深作版を引き継いで天草四郎の復讐譚としているが、できるだけ原作に近づけようとしている。しかし、演出がどうもね。天草方の女忍者(麻生久美子)の演技がまるで戦隊モノの悪役のような陳腐なそれだし、宝蔵院胤舜と戦う場面など明らかに十兵衛以外では適わないであろうことは、荒木又右衛門戦で分かっているはずなのに、十兵衛主従で取り囲んで、案の定弟子たちはあっけなくやられ、十兵衛との一騎打ちで勝敗を決する。十兵衛だったら「お前たちでは適わない、引いていろ」ぐらいはいいそうなものなのに、全員でかかろうとするヒーローらしからぬ十兵衛。。。原作での弟子たちの死は、それぞれにやむをえない状況で死なねばならないという演出が施されている。これはダメである。さらにもっともいただけないのは、宮本武蔵役の長塚京三だ。これは確実にミスキャストで歴代武蔵の最悪の配役ではなかろうか。別に長塚が悪いのではない。選んだ方が悪いのだ。これもつまらなさで眠気を誘う。
まぁ、結局のところ、娯楽映画なんてキャストでナンボだ。どうせだったら、現在の大河ドラマ『風林火山』のキャストでやってみたら?という感じだ。私の案ではこんな感じ。
十兵衛:内野聖陽、天草四郎:Gackt、武蔵:緒形拳(深作版に引続き。ホントは山崎努がいい)、宝蔵院胤舜:市川亀治郎、荒木又右衛門:松井誠、柳生宗矩:仲代達矢、柳生如雲斎:千葉真一、田宮坊太郎:高橋和也(ホントはもっと若手がいい)、徳川頼宣:谷原章介、牧野兵庫頭:佐々木蔵之介、お品:柴本幸、お縫:水川あさみ、おひろ:池脇千鶴、お雛:貫地谷しほり、木村助九郎:西岡徳馬、田宮平兵衛:竜雷太、関口柔心:加藤武、由比正雪:田辺誠一、森宗意軒:佐藤慶(ホントは鈴木清順とかがいい)、松平信綱:伊武雅刀(ホントは津川雅彦とかがいい)
とかね。女優陣には不満が残るが。
でも原作に忠実にやろうとすると、技術的によりも映倫的に不可能だろうが、亀治郎なら7日に一度夢精するという胤舜を見事に演じられるだろう。もっとも風太郎先生の作品は実写化すると陳腐になるので、なんでも可能な漫画やアニメになった方がファンは喜ぶだろう。(以上、敬称略)
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