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2008年2月27日 (水)

新刊漫画

ざっと読んだ新刊漫画の感想。

村上よしゆき『新約「巨人の星」花形』第7巻、講談社、2008年

紅洋高校野球部の2、3年生対新入部員の対決で、1年生につらく当たる副キャプテンとキャプテンの過去を描くことで、その意味が明らかにされる。シニアで四番を打ち、チームをベスト4に導いたとされる芳賀君が実は名門・帝都高校野球部に入れないほどの実力しかないということで、何で弱小高校の先輩方に歯がたたないのかという疑問はとけたものの、またやってしまいましたね、この漫画。一番の見せ場、花形のランニングホームランのクロスプレー、捕手の足を軸にホームインするって、また『MAJOR』から拝借したようです。いいのか、これで。でも、もう『MAJOR』は現在の野球漫画の代表となってしまったから、もはやこれからの引用は今後避けられないのだろうか。村上先生、月刊誌にでも移って、じっくり描いてください。

藤原カムイ『ロトの紋章~紋章を継ぐ者達~』第6巻、スクウェア・エニックス、2008年

恥ずかしながら、藤原カムイのドラクエシリーズはまだ読んでしまうんですね。中学の時に読んだ『雷火』があんまりにも面白かったものだから、藤原カムイ作品は読み続けてしまうんだな。はっきり言って、表現は古いし、青臭いしで、『ロトの紋章』と『アンラッキー・ヤングメン』ぐらいしか面白いものはないわけですが、彼の絵が好きなのとドラクエ裏歴史をここまで書いてしまったわけだから、最後まで見届けようと。今回も進んでいるんだか、そうでないんだかで、前作で大賢者だったポロンが海賊王になってたりと、前作を読んでないと何も楽しめないんですが、いいんです。特にお薦めはしません。私の個人的な楽しみです。

鈴木みそ『銭』第6巻、エンターブレイン、2008年

待望の新刊。前回のエロ業界のお話の完結編と葬儀の値段前篇。今回も勉強になりました。素人ナンパ物の出演料は、顔消しで5万、顔出しで6~10万。単体物だと制作費40~80万で女優の取り分は半分ぐらい。素人の方は、ずいぶんと安く、単に身体を売るではなく、映像として半永久的に残るものにそれぐらいのお値段とは驚く限りですが、彼女たちは映像は残ってしまうという現状にどれだけ自覚的なのだろうか。売れっ子になると月に20本ほど撮るらしいから月収600万とされるが、女優人気は1年もてば大物とされる業界で20本もあれば、それ以上の収入は難しいだろう。なかなかギャンブルな業界だが、出演するものたちは後を絶たない。お金を稼ぐのは大変なことだ。それでもって、製作者側の方は、インターネットに押されてジリ貧状態。今後は質が落ちるのか、安くても出てくれる出演者が増えるのか、この業界も正念場です。葬儀の方は、人の死というものは高くつくようです。一番安いお棺で、お別れなし、見送りなし、坊さんなしで8万4000円。行灯一つで20万もする業界だと人並みの葬儀には250万もかかるのだという。お香典という奇妙な制度も、これだけかかるのだからお互いの助け合いとして必要なのだと再認識。これだけ金のかかることをしなければならないのだから、自然死、事故死は仕方ないとして自殺は本当に迷惑をかける行為だということを知っておいた方がいい。

さくらももこ『4コマ ちびまる子ちゃん』第1巻、小学館、2008年

どうやら『ちびまる子ちゃん』が『東京新聞』とかに掲載が始まったということを耳にしたが、ついに単行本化。最近、アニメの方は毒がなくなって『サザエさん』化してきたので観ていないが、やはりさくら先生の描く『ちびまる子ちゃん』は違う。面白すぎる。4コマになってからの活躍が著しいのは、藤木。本当は大して卑怯ではないのに卑怯と蔑まされ、この作品でほぼ唯一内省的な人物である藤木は、ギャグ漫画の中でも稀有な存在だろう。その存在が遺憾なく発揮されているところに、私は喜びを禁じえない。さくら先生は、4コマがうまいなぁ。ウニの話なんて、よく朝刊でできるよなぁ。まだまだパンクな精神が健在です。個人的には、妻を虐げながらも町の川の清浄化に勤める川田守さんの登場を期待。ちなみに私は自分の顔を似顔絵で描くと藤木に似ている。

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2008年2月26日 (火)

「ディアボロの試練」クリア

昨年4月、荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』連載20周年を記念して、有志の方々が制作したフリーソフト『ディアボロの大冒険』。ついに「ディアボロの試練」をクリアして終らすことができた。長かった。ダウンロードした時は、はまり込みすぎて、一日中こればかりやっていたものだったが、3番目のダンジョン「ディアボロの試練」がどうしてもクリアできず、半年ばかり放置していたが、ついに99回死んだところでクリア。

装備ディスクは

攻撃:スター・プラチナ+5、防御:ハーミット・パープル+45、能力:ハーミット・パープル+1

でした。防御にはパール・ジャム、スパイス・ガールズ、ウェザー・ロポート、クラフト・ワーク、スーパー・フライ、メタリカ、イエロー・テンバランスというほぼ完璧な能力つき。まったく運が良かったとしかいえないが、私はバージョン0.11でやっていたので「エルメェスのアレ」がいつまでたっても出てこず、不安なプレイを続けつつ、最後はパープル・ヘイズ+8と「時の学帽」でウンガロをやっつけてやった。

いやー、つらかった。いったい私の貴重な時間をコイツに何時間とられたことか。空腹で死んだこともあった。装備ディスクがほとんど出なくて死んだこともあった。ハーミット・パープル+120の時は、開始直後のモンスターハウスでプッチ神父に抜き取られて、ウェザー・リポートに殺された。ハーミット・パープル+70の時は、ロードローラーにつぶされたところでミスタに殺られた。何度も煮え湯を飲まされた末の勝利。しかも結構並みの装備で。良かった。これで解放されるというものですよ。

こんなものしらねぇ。という方に簡単に説明すると、『ジョジョの奇妙な冒険』第5部のボス・ディアボロは、ジョルノのゴールド・エクスペリエンス・レクイエムによって何度も死を体験する運命に陥ってしまった。何度目かの死の末、あるホテルの一室に閉じ込められ、そこからつづいているダンジョンを冒険するようになった。そのダンジョンでは、『ジョジョ』第6部で登場した記憶ディスクや『ジョジョ』にまつわる様々なアイテムが落ちており、それらを駆使して最終階を目指すというもの。

ゲームとしての完成度が異常に高く、またジョジョファンには嬉しい様々な敵やアイテムの数々。昨年の20周年記念企画の中で、もっとも「ジョジョ愛」にあふれた作品で、しかもタダ。この営利目的でないところに、製作者の愛を感じるし、またディスクを装備した際に、それにあわせたロックの名曲を電子音で聴くことを可能にした。本当に、この作品、販売品ではなくフリーソフトで良かった。あの音楽がなければ、本作の魅力は激減しただろう。ダンジョンのメインテーマ、King Crimsonの「21st Century Schizoid Man」がカッコよすぎてKing Crimsonのベストを買ってしまった。個人的には、クラッシュ装備時のThe Clash「Rock The Casbah」がお気に入りで一時期、こればかり聴いていた。

本当に楽しませて頂きました。製作者の方々、すばらしいゲームをありがとう。本作は、ほぼ永久に終らない「一巡後の世界」も用意されているが、私はまだ未プレイ。そのうち、やってみよう。

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2008年2月22日 (金)

水木しげる『神秘家列伝 其ノ一』角川ソフィア文庫、2004年

現在放送中の『墓場鬼太郎』が、あまりに面白く、原作本も現在第3巻まで順次購読中だが、同じ水木コーナーにこんなものを発見して読んでしまった。

本作で取り上げられている人物は、スウェーデンボルグ、ミラレバ、マカンダル、明恵。これを全員知っていた人は大した神秘家です。私は、スウェーデンボルグを石ノ森章太郎『サイボーグ009』の「海底ピラミッド編」でタイムトラベラーの宇宙人が変装した一人として現れており、その後新書本で彼の思想にふれたがまったく覚えていない。あと、明恵は名前ぐらい。他の二人は知りません。

面白かったのは、「マカンダル」。彼は、ハイチ革命の前夜、ブードゥー教の司祭として奴隷の指導者となり、飲み水に毒を入れて白人約6000人を殺害したという恐るべき人物。ハイチといえば、ハイチカレーというぐらいの貧困な知識しか持ち合わせていなかった私にとって、北半球における米国に次ぐ植民地独立革命が行われていたとは知らなかった。しかし、ブードゥー教といえば、ゾンビという発想しかないが、このゾンビというものも本来は死者を甦らすものではなく、一時人を仮死状態にさせ自分の意志で生きられなくするという一種の「奴隷」のようなものらしい。ブードゥー教がオドロオドロしい宗教だとされたのも、マカンダルをはじめとする黒人奴隷の反乱のよりどころとされたために、白人側が、またはハイチ政権側が作りあげたものだったという。まんまと騙されていました。

あと、明恵の描写も面白く、性欲に悩まされて「捨身」して自殺を謀ろうとしたり、耳を切り落としたりと聖人伝説のウラに性欲アリとの描き方は、神秘は信じても人間なんてこんなものという水木先生のクールな視点が光ります。

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2008年2月19日 (火)

戦闘民族サイヤ芸人

先日、こんなものを発見した。↓

http://www.youtube.com/watch?v=NcSzkRCPq4I&feature=related

「ベジータだぁ!」。いや本当にベジータです。どれだけウケなくてもキャラを崩さない姿勢がいい。ほぼベジータのセリフそのまんまでお笑いができるんだなぁ。若井おさむみたいなものだが、孫悟空ではなく、ベジータというところにセンスが光る。なんかこの会場は寒い雰囲気なのに、ケータイ投票で1位を獲得して、メダルをつるしているあたりの温度差がまたいい。

思えば、漫画・アニメネタのお笑いって、『ドラえもん』か『サザエさん』か古典野球漫画しかないのに、時代の古さを感じていたものだが、『ドラゴンボール』もついに参入したんだなぁ。やはり昨年の荒木飛呂彦再評価と同様、現在30代ぐらいの人が発言権を持ち始め、そういったものを受け入れる下地ができたから可能なのだろう。なにせ、『ドラゴンボール』は全世界で3億部数だからね。ハリウッド版にはまったく期待しないが、R藤本には期待しよう。

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CG映画と漫画

CGアニメ映画ってのがありますが、あれはどうなんでしょう。BOOM BOOM SATELLITESの曲が使われているということで、曽利文彦監督『ベクシル 2077年日本鎖国』を観てみた。

結論からいうと、つまらなかった。何故つまらないかといえば、まずやはりあのCG画がダメだろう。質感のない風体と不自然な動き、そして誰が描いても同じような顔になってしまうキャラクター。どこにでもあるような演出、セリフ。一企業いや一個人の野心による世界危機というSFにありがちなストーリー。まるで無個性をめざしたかのような作品。これが果たして最新作といえるのかと目を疑ってしまう。

しかし、何故CGにしたがるのだろう。米国のアニメ市場がCG化していくのは何となく分かる。あちらのコミック・アニメは子供と動物は記号化しているが、大人の人間はあくまで人間のかたちをしており、写実的なのであるから立体的に表現できるCGが好まれるのは、当然であるといえるが、日本の漫画文化は、人間を記号的に描くことに特徴があるのだし、読者もそれを受容している。だから、CGが導入される時代に入っても、日本のアニメ市場は二次元のままだ。そして、その二次元の画でこそ、作者のオリジナリティが発揮できている。米国のコミック文化は、もともと作家のオリジナリティはなく、企業として、チームとして作品を生み出すことになっているから、個々のキャラクターには個性があるが、全体として眺めた時に、みな同じ雰囲気を持っている。

そうした中で本作をみると、作画の単調さにあわせるかのような、演出・セリフ・ストーリーの単調さ、無個性が現れてきてしまう。そもそも私がSFを楽しめないタイプであることにあるのかと思われるが、面白く感じない。笑いもないし。『ピンポン』をつくった監督が一体何をしたいんだろうか。

浅野いにお『おやすみプンプン』の第2巻を読んだ。この作品、一部で人気あるようですね。新宿のTOWER RECORDで「おやすみプンプン入荷しました」というポップを先月見つけて、こういう層に人気があるのかと、分かるような驚くような気がしたが。前巻にくらべて、異常な印象が足らないのは、慣れたせいかと思うが、そこに目を奪われない分、現実的にありうべき日常を過剰な演出で描いている青春漫画の雰囲気を感じ取れるようになった。ストーリーは小学生篇から中学生篇へと移行し、章替えのところでプンプンが人間の形で描かれるのかと思わせる演出をしながら、そのままという作者の意地をみた感じがする。

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2008年2月15日 (金)

邦画2本・漫画1冊

新作レンタルを2本観た。

1本目は、『キサラギ』。監督は佐藤祐市、脚本は古沢良太、出演は小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、香川照之。

謎の自殺を遂げたD級アイドル如月ミキ1周忌にファンサイトで出会った5人の男を描いた密室劇。密室劇って、映画でやる必要が、また映画館で観る必要があるんだろうか、とか思いつつ、きっと面白かろうとレンタルを待っていた。観てみてやはりハズレではなかった。次々に現れる登場人物と、彼らの正体、徐々に明らかにされる事件の真相、そして最後にやっと顔を見ることのできる如月ミキ。最後まで飽きさせない演出が効いているが、別に映画としてそれほどすぐれているわけでもないし、三谷幸喜とかが苦手な人には向かないだろう。でも、面白い。気楽に観られる映画。

2本目は、『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』。監督は三池崇史、脚本は三池とNAKA雅MURA、出演は伊藤英明、佐藤浩市、伊勢谷友介、安藤政信、石橋貴明、木村佳乃、香川照之、クエンティン・タランティーノ、桃井かおりなど。

壇ノ浦の戦いから、数百年後、源氏も平氏も落ちぶれて、ギャングに成り下がっている時代に、平氏の財宝の眠る村で両者の争いがおき、そこに凄腕ガンマンが現れる。これも観たかったが機会を逃しました。話としては以上のとおりであるが、裏ストーリーとしては、タランティーノ『キル・ビル』のビルと主人公の関係が別で子供も生きていたら、というような仕掛けがあるように思える。タランティーノは「ビリンゴ」だし、桃井かおりはアレだしね。しかし、映画としてはむちゃくちゃで、最後の桃井の活躍をみるとそれまでの悲劇は何故起きたのか、よく分からなくなるし。でも、いいのです。むちゃくちゃなのが、いい。石橋貴明は、どうみても芸人にしかみえず、俳優としてのキャリアが長いのに違和感があるが、他の役者はいい演技している。香川照之は、『キサラギ』でもそうだけど、いい役者だなぁ、『渡る世間は鬼ばかり』に出ていた時は精彩を欠いた人だったのに。安藤政信の凋落ぶりにやはり『RED SHADOW 赤影』は大きな作品だったのだな、と思わせる。最高なのが、清盛(ヘンリー)役の佐藤浩市だね。この人が出てきただけで笑える。これも気楽に観られる映画です。

漫画は、『Y十M 柳生忍法帖』第9巻。山田風太郎『柳生忍法帖』を忠実に再現している恐るべき作品で、結末を知っている身にとっては、ちゃんとやってんだなと確認するような感じで読んでいる。ストーリーは、芦名銅伯と南光坊天海が双子で、二人の生死が一蓮托生だと知って、銅伯を倒すことに絶望した沢庵が降伏するが、柳生十兵衛が「徳川家も滅んで結構」と啖呵をきる場面。ずんずん進んで、はやく次回作であろう『魔界転生』が読みたいなぁ。

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2008年2月14日 (木)

山田風太郎『警視庁草紙 下』ちくま文庫、1997年

山田風太郎の長編小説は、前半は多少退屈させて、途中放棄も可能なものもあるが、後半にいたるとまったく違う。面白すぎる。本作も、この傾向を持っており、正直私はこれが明治小説の中でもっとも評価が高いのに疑問を持っていた。読後も、『明治断頭台』や『エドの舞踏会』には及ばないものの、しかし、下巻にいたると加速度的に面白さが増し、傑作に入るものであろうと確信した。

こうした傾向の原因は、何かと考えるに、とりあえず私はあまりミステリーというか、殺人事件のトリックに興味がないので、序盤の人物紹介を兼ねた事件物を読んでも、それほど先が気にならないというものがあるだろう。私は、やはり歴史好きで、風太郎先生の人物描写の妙が好きなのだ。その点で、風太郎先生の後半からの作品は、途中現れた何気ない人物が、実は歴史上の人物だったのだ、という謎解きのような作品があり、これが面白い。作中現れる老巾着切り・むささびの吉五郎こと沼崎吉五郎が、伝馬牢の牢名主で吉田松陰の「見はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」で有名な絶筆『留魂録』を後世に伝えた人物であったということを描いた「吉五郎流恨録」は秀逸。というか、てっきり私は『留魂録』は、幕末の長州に送られて、彼らを鼓舞したものと思っていたら、明治9年に沼崎が松陰の弟子で神奈川県令だった野村靖に届けたことで世に出たとは知らなかった。自分の無知を恥じるばかり。

そこで語られる物語は、松陰に遺著を託された吉五郎は、三宅島に流され、それを守るため、笑い絵(春画)を用いて島民や同囚らをだますトリックを使う。このあたりはもちろん創作であろうが、エロティシズムが人間を混乱に落としいれ、秩序も創るという風太郎先生らしい群像劇が素晴しく、また島を出る際は連載中(1973年7月~74年12月)に起きた小野田寛郎少尉帰国の事件(1974年3月12日)を使っているのも面白い。

またたびたび現れていた妖女も実は明治の毒婦・高橋お伝で、彼女を主人公にした「妖恋高橋お伝」は、たった一度の殺人で「毒婦」にされてしまった女ををただの好色な女に変え、「毒婦伝説」を破壊している。といっても、風太郎先生は、お伝を貶める気持ちはなく、ただ性欲が旺盛な女として描いているに過ぎない。篠田鑛造編著『明治百話』の第一篇「首斬り朝右衛門」で最後の首斬り役人・八代目山田朝右衛門が、お伝を斬り損ねているエピソードをかつて夜鷹であったお伝と山田が関係していたとするのは、なるほどと思わせてくれる。

また秀逸な短篇「天皇お庭番」は、視点が旧幕臣で明治政府に反感をもつ主人公をあてている本作で、幕府側に著者が肩入れしているのかと思えば、作中もっとも残虐な犯罪を旧幕府のお庭番にさせていることで、必ずしも風太郎先生が幕府を持ち上げているわけではないことを示している。この作品は、お得意の忍法帖的手法で、一篇としても完成度の高い異質な作品となっている。

本作で、影のように現れては消えるもう一つの主人公は、大久保利通暗殺を実行した島田一郎ら4人である。彼らは、さまざまな事件に裏から関わってきており、主人公・千羽兵四郎らが、明治政府をからかっているだけで、やりたくてもやれないことをやってしまった影としての役割を果たしている。本作は、川路大警視を巨大な敵として設定しているが、その背後には、大久保がいる。まさに大久保時代を描いた作品であり、大久保・川路の権謀術数を辞さない力の政治と井上馨に象徴される金権政治との相克を描き、前者が敗れるものの、その謀略手法は生き残り、後年の破滅を予感させている。また、西南戦争を薩摩に恨みを持つ、会津や旧幕臣らを動員するために起したと思わせるラストも戦争による国民創出・動員体制を描いているような面がある。

こうして最後まで読み進めると、明治国家の縮図を明治初期に凝縮させる手法に圧倒され、山田風太郎恐るべし、という感を強くしてしまった。

登場する主な歴史上の人物

佐川官兵衛、黒田清隆、賀古鶴所、玉木真人、乃木希典、野村靖、浅井寿篤、高橋お伝、熊坂長庵、山城屋和助、山県有朋、柴五郎、山岡鉄舟、清水次郎長、清水定吉など(下巻登場のみ)。

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2008年2月12日 (火)

南條範夫・原作/山田貴由・漫画『シグルイ』秋田書店、2004年~

話題にはなっていたが、なかなか手が伸びずにいて、ほうっておいたが、ついに読んでしまった。面白い。ここまでやるか、という肉体と残虐な描写。発想としてはあっても、現実に乳首を指でつまんで切り取るとか、腹をつかんで臓物を引き出すとか、初めて画でみた。こんなもの描いてしまう人がいたんですね。怖い。けど凄い。

舞台は、徳川時代初期。徳川家光との後継争いに負けて、精神に異常をきたしている残虐な暴君徳川忠長は、武芸者の真剣による殺し合いを見てみたいと、御前試合を設ける。出場剣士11組22名、敗北による死者8名、相討ちによる死者6名、射殺2名、生還6名、内重傷2名という惨憺たる結果に終った御前試合の第一戦目は、同じ道場に学んだ因縁のある、隻腕の剣士・藤木源之助と盲目で片足が不自由な伊良子清玄。物語は、彼らが出会う遠江国岩本虎眼道場から始まる。

本作の主人公は、藤木と伊良子であるが、読者の視点は、夜鷹の息子で最底辺から成り上がろうとする天才剣士の伊良子ではなく、藤木よりのものとなっている。原作がどうなっているかは分からないが、野心家の伊良子はかなり悲劇的な人物で、『ベルセルク』のグリフィスのような存在だが、伊良子へのリンチに加わっている藤木が主人公になり得るのは、御家大事と考える愚直さが誠実さに見えるのに対し、伊良子のあまりに破壊的な野心のためだろう。しかし、それにも増して、彼らの運命を変えてしまう魔人・岩本虎眼の存在感が凄まじい。濃尾無双を名乗り、将軍指南役の柳生宗矩をも凌駕する実力を持ちながら、300石の扶持に甘んじている。そして、この物語の時代には、すでに精神が「曖昧」な状態で、狂気を発している。この不気味な人物を造形したところで、本作が傑作になりえた理由であり、原作では30頁程度という第一戦が、すでに単行本9巻にまで及ぶ大作になってしまったのも、彼の存在感のためだろう。これ以上書くと完全なネタバレになるからやめときますが、いやー、つづきが気になります。

余談だが、原作者南條範夫は、國學院大學や中央大学の教授を歴任した学者小説家で、『願人坊主家康』説(林羅山が言及している出生の異説)を採用したことで知られているが、本作でも何の説明もなく、これに言及していることに驚く。読者は、みな『影武者徳川家康』を知っているのだろうか。また同時期に連載が始まった『センゴク』の描写でいちやく有名になった豊臣秀吉「指六本」説もふれられ、岩本虎眼の人物造形にも使われているのをみると、異説を採りいれた原作者へのオマージュの意味もあるのかな。

今日の一枚

Radiohead『In Rainbows』。新作を出すたびに今年最大の傑作になってしまうレディオヘッド。何か、彼らを好きだとプロフィール欄にでも書いておけば、ロックが分かっているとか、カッコイイとかいう雰囲気のある、口に出してハズレのないバンドである。しかし、私はいまだにその魅力をつかめていないカッコ悪い人間です。かといって毛嫌いしているわけではなく、全作品持っていて聴いている。だが、いいものなのだとは思うが熱狂的に好きになるというものにならない。私が好きなのは『The Bends』で次が『Pablo Honey』で、あと『Hail To The Thief』のジャケットがスイスの画家パウル・クレーに似ていて好きだが、それ以外はイマイチよく分からない。それなのに、売れている。純粋な音楽ファンにだけ受けているというなら、分かる気がするが、大衆的な人気を博していることに驚く。みんな本当に聴いていて楽しいのだろうか、ファッションとしてハズレがないからだろうか。分からない。しかし、レディオヘッドのおかげで自分が音楽の分からない野暮な男だとやっと気づいたので、EXILEさんとかコブクロとか聴いている人に眉をひそめることはなくなりました。結局、音楽の好さなんか、好きか嫌いかなのでしょう。しかし、音楽の分かるクールな方々には本作はお薦めです。

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2008年2月 9日 (土)

『仁義なき戦い』1~5、1973~74

ついに最後まで観た。いや凄かった。街中で平然と行われる凶行、主要キャラが次々と死んでいくストーリー、そして、山守義雄の卑劣な陰謀。

菅原文太は、一人仁義に熱い、傍観者だったなぁ。北大路欣也、いつも主役級で死んだり、瀕死の重傷を負ったり、やくざの英雄像を演じてたなぁ。松方弘樹、親分になったり、キレたヒットマンになったり、いつも死んでたなぁ。梅宮辰夫は、当時『ポルノの帝王』だったのに、いつも文太の兄貴分だったなぁ。山城新伍、お調子者の単細胞だったなぁ。小林旭は、インテリやくざだったなぁ。渡瀬恒彦は、一人で青春映画を演じてたなぁ。成田三樹夫は、渋いカッコイイやくざだったけど、大物との抗争を予感すると逃げ出してたなぁ。田中邦衛は、小心者の小悪党で、こいつは死なないと思ってたのに殺られちゃったなぁ。千葉真一は、どうみても千葉真一に見えなくて、探偵物語だったなぁ。川谷拓三は、小物で、自分の女を人に抱かせて「男」になろうとするセコイ奴だったなぁ。梶芽衣子は、抜群に美しかったなぁ。丹波哲郎は、ほとんどセリフなくて、「丹波哲郎」というだけで大物やくざだったなぁ。室田日出男は、印象に薄い殺され役だったり、カメレオンのような奴だったりしたなぁ。加藤武は、いかにも口先だけの小悪党で指まで詰めされて哀れだったなぁ。宍戸錠は、千葉の大友と似ても似つかなかったけど、いつもの千葉の演技のモノマネだったなぁ。金子信雄は、「おとうちゃんは、お前の好きな金の玉を二つもっちょる」外道だったなぁ。

しかし、これだけの豪華出演陣。凄すぎる。もはや物故者もかなりおられるが、今では時代劇でしか、お目にかかれない重厚な布陣。しかも、一人も美男がいないのにカッコよく見えてしまう不思議な演出。しかも、実録ということで、事実を元にしているところが驚き。昭和30年代を「神話」にしようとする傾向から真っ向対立する地獄絵図。これらを作品として完成させる深作欣二の暴力演出と、やくざに憧れを覚えさせない陰謀渦巻く群像劇を名台詞をちりばめて表現した脚本、違う人物を同じ役者が演じても違和感を抱かせない演技、そして裏の主人公金子信雄演じる山守義雄の強烈な個性と「金と女と権力への執着は尽きることのない」外道さにあるといえよう。

「観たことがないなら早く観たほうがいいぜ、俺の血はそいつでできてる」

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2008年2月 8日 (金)

井上勝生『日本近現代史①幕末・維新』岩波新書、2006年

一昨年、岩波新書がリニューアルされてからの順次刊行されている通史の第一巻をブックオフで購入。従来とは、異なり東アジアの中の日本という視点で、描こうということらしく、いってみれば「アジア的専制」のように評価の低かった近世社会を持ち上げることで、近代日本を批判的に考察するといったものらしい。

そこで、本書ではペリーと徳川幕府との交渉を丹念にたどり、これまでのように幕府外交は「軟弱外交とか無為無策とか」と批判されていたことは適当ではなく、幕府もかなり言いたいことは言っていたということを史料を駆使して描いてくれる。

しかし、帯にもあるように「日本開国期に、日本中が攘夷で沸きたち、そうした世論の中心に天皇・朝廷の攘夷論があったという維新当初から強調された、日本開国の物語」は誤りで、近代日本がつくり出した「神話」に過ぎないことを繰り返し強調しているのだが、この辺がよく分からなかった。というのもこの記述があるのは、「おわりに」であるが、同様の記述で「断固条約拒否で幕末外交の世論が沸騰し、それをうけて正論の朝廷・天皇が浮上するというよく知られた物語」も事実と異なっている、とされている(62頁)。ここの記述にいたるまでの過程は、要するに幕府は、現実的で時にはペリーらを抑えるような堅実な交渉をしたが、やらなきゃいいのに朝廷や諸大名に相談し、大名の多くは開国支持に回り、朝廷内の上級貴族も支持するが、孝明天皇一人が断固拒否を貫き、上級貴族もそれにひきづられ、平貴族たちは「尊号一件」の時にあったに過ぎない「列参(強訴)」をしてまで天皇支持を訴える。そして「よく知られた物語」批判にいたるわけだが、著者は従来の幕府外交が「軟弱」ではないことや大名世論が開国支持であったことから、「世論が沸騰」していないと主張しておられるようだ。それはそれで正しいと思うのだが、最後の平貴族の「列参」がくると、特に孝明天皇だけが頑張っているわけではなく、その支持者がいて、それが拡がっているのだから「天皇が浮上する」という「物語」もそれほどおかしなものではない、という印象を本書を読んでも感じてしまう。

そもそも一般的に理解される「物語」は、ペリー来航―幕府の朝廷へのお伺い・大名への諮問―天皇の不支持―幕府権威の低下・天皇の浮上―国論分裂―天皇を担いだ側の勝利―明治維新というものだろう。つまり、従来の忠誠の対象が、藩士→藩主→幕府であったのが、最高権力の動揺により天皇が浮上し、先にあるように大名も幕府に同調したため、藩士→天皇と忠誠対象が変ったという「物語」なのであって、大名世論が開国支持でもいわゆる「幕末の志士」、つまり下級武士がどのような世論を持っていたかを検証しなければ「物語」を否定することにはならないのではなかろうか。本書でも孝明天皇が頑張ってしまったために外交政策や国内政治が動揺したことが強調されているが、天皇一人だけではなく平貴族や下級武士がそれを支持したから、混乱したのだし、天皇が浮上してくるのだ。現実に幕府外交が「軟弱」かどうかは問題ではなく、「軟弱」に見られたということの方が問題だったのだろう。だから、「物語」を「神話」と断ずるには、冷静に事務を処理していた側ではなく、「物語」に酔ってしまった側から検証していかなければ、意味をなさないのではなかろうか。もっとも、そうした研究はあるだろう。西郷が「攘夷は倒幕の口実」といっていたのは有名であるし。

しかし、著者が攘夷の「世論の中心に天皇・朝廷の攘夷論」があったというのは「神話」と断ずるにしても、あまりに孝明天皇が「断固拒否」であることを強調しているために(事実そうなのだが)、やっぱり「世論の中心」は天皇ではないか、という印象をあたえてしまう。だから、「神話」を補強こそすれ、否定しているという文脈にとれず、何が言いたいのかよく分からない。

よく意図するところが分からないのだが、天皇が邪魔して幕府の堅実外交が機能しなかったということを強調して、天皇批判をするなら、それでいいと思うが、「開国の物語」批判の文脈では、あまりうまい手ではないような気がする。本書を読んでも孝明天皇が無茶なこと言い出したから、天皇が政治の舞台に浮上してきたんだな、と感じてしまうし、そもそも、もうあまり天皇を大きなものとして(「敵」として)みた歴史叙述にやっきになるのはやめた方がいいのではないか、という印象をもってしまう。

平成の御世になってから保守勢力は、天皇とは結びついていない。昭和期における保守は、おそらく昭和天皇が現行憲法に疑問を持っていただろうと思えたから、天皇支持と憲法改正は矛盾しなかった。しかし、今上陛下は現行憲法支持であるから、保守勢力はあまり天皇個人に興味を持っていないのだ。だから天皇を貶めたとしても保守勢力には大して打撃にならない。現在の保守が伝統的なそれとは異なってしまったというのに、「岩波」の新しい歴史通史が伝統的な枠組みで歴史叙述をしようとしているのが残念でならない。

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2008年2月 7日 (木)

山田風太郎『警視庁草紙 上』ちくま文庫、1997年

山田風太郎の明治小説の第一作目。

初代警視総監川路利良を先頭に近代化を推し進める警視庁と、近代化が嫌いな元同心・千羽兵四郎、元南町奉行駒井信興が知恵比べをする。その周囲には、幕末に活躍した人々や明治の異彩たちが走り抜ける。

山田風太郎は、織田信長が好きだというように合理的な人間が好きだ。その一方で、明治維新によって創り出された近代国家の崩壊期に青春時代を送っており、その近代に愛憎の念を抱いている。そのためか、明治国家の評価はあまり高くないようだが、合理主義的で建設的な人物を好む風太郎先生は、川路利良という警察官僚を例外的に好んでいて、たびたび活躍させている。しかし、一方で明治国家に反抗する人物を主人公にあてたいという意識があって、この両者の対決を本作で描いている。勝利はするが、その合理精神の遺産は食い潰される運命にあるものと、大きな流れに抗しようとするが敗れていくもの。巨大な権力と敗れゆく者の対比が、風太郎小説のモチーフだ。

本作でも、このモチーフは維持され、軽快なストーリーと贅沢な人物配置によるミステリーを楽しませてくれる。まだ前篇であるから、ラストにみせる加速度的な興奮は味わえないが、時折見せる風太郎先生の人物本位の歴史観が面白い。例えば、明治の草創期は、西国の勝ち慣れた人物の活躍が目立つのに、昭和になると歴史に一歩ずつ「遅れて来る」、歴史的に負け慣れている東北人脈が現れてくるというように。

個人的には、「幻燈煉瓦街」の幻想的で美しい情景の描写が、何ともいえない情感をあたえてくれた。

登場する主な歴史上の人物

川路利良、西郷隆盛、駒井信興、三遊亭円朝、岩倉具視、武市熊吉、島崎直方、斎藤一、今井信郎、青木弥太郎、夏目漱石、樋口一葉、桜井直成、東條英教、下岡蓮杖、種田政明、唐人お吉、榊原健吉、上田馬之助、島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、天田五郎、平間重助、沼崎吉五郎、細谷十太夫、永倉新八、幸田成延、幸田露伴、河竹黙阿弥、井上馨、田中儀右衛門、海後嵯磯之介、米内受制、板垣征徳、八代目山田浅右衛門、森鴎外など。

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2008年2月 6日 (水)

『天然コケッコー』2007年

昨年の邦画の中では『それでもボクはやってない』に次いで評価が高かったらしい作品ということでDVDを借りて観てみた。

ストーリーは、小学生3人、中学生3人という廃校寸前の村の学校に東京から中学2年の少年・広海が転校してきて、同学年のそよとの恋を描いたものだ。ストーリー自体は、この通り単純そのものだが、その背景にある人間模様が面白い。そよの父親と広海の母は、かつて恋人同士であったが、彼女が二股をかけていたということで憎み、そよと広海との交際を認めようとしないが、一方で二人の中はなにやら怪しい。若者が、ほとんどいない閉鎖的な村のため、人間関係が濃密で、そこからはみ出すと孤独を感じざるを得ないし、高卒で郵便局員をしているらしい青年が中二のそよに恋心を抱いていたりするのも、都会なら異常事態だが、人間の少ない村なら自然な感情で周囲も容認している。

面白かったのが、そよたち全員で、海に行くシーンで、徒歩で行く範囲だから近くにあるのだろうと思わせるのだが、異常に長い時間を映画の中で費やしている。町の天満屋に買い物に行くのは場面転換だけなのに、海に行くのは長い。海でのシーンは、ほとんどなく海への道だけが、やたらと長いのだ。人間関係が狭く、大きな村ではなかろうに、徒歩圏の海の遠さは異常だ。村の自然の美しさを見せるためなのか、そよたちの村の比重の重さ、離れがたさを描いているのかは分からないが、そこでの場面が、そよの村への愛着と、村の仲間と異分子である広海が加わることによる人間関係やそよの感情の変化をあたえるシーンとなっていることは確かだろう。

それはともかく、音楽はレイ・ハラカミ、エンディングテーマがくるりという組み合わせが、また良いので、面白く観させてもらった。

今日の一枚

syrup16g『syrup16g』。syrup最後のアルバムで、syrupの中でもっとも聴きやすいアルバム。全体的に、シンプルなジャケット、歌詞カード、終末を予感させる曲が並ぶ、まさに解散アルバムに相応しい作品だが、無頼者の心象や行為を描いてきた初期作にくらべると、これだッ!と思わせる曲はないようにも思えるが、私は「さくら」の美しさに涙ぐむ。

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2008年2月 2日 (土)

永井豪『デビルマン』講談社、1997年

永井豪の絵に拒否反応を起こして、なかなか読む気になれず、書店で手に取った時、最終巻の美樹ちゃんの惨殺シーンをみてしまい、アニメの『デビルマン』で育った私は、ショックを受けて、やはり読むことができなかった。

で、今回、ついに読んでみたのだが、凄いね、圧巻です。こんなに話を広げちゃって、いいのかよ、と思ったが、ちゃんとおさまっているし、バトル漫画、ホラー漫画、SF漫画、伝奇漫画、腐女子漫画といったあらゆるジャンルの表現が36年も前の漫画にそろっている。凄すぎちゃって、私なんぞが何か論評するなんてできません。凄いから、読むべきとしかいえません。

でも、サタンがデーモンの地球を守るために神と闘っていたというオチだが、全体を束ねて闘えるほどのカリスマがいるにもかかわらず、また全体に対する共感のような感情があったり、恋愛感情があったりするのは、最初のデーモンには「愛」がなく、戦いだけが生甲斐の暴力の歴史という設定と多少の矛盾がないか、とか思ってしまう。だが、これも飛鳥了=サタンが、不動明をデビルマンにするための恐怖感を与える偽りの記憶だったと説明されれば、まぁ、そうかとも思えるのでいいのだろう。

また、これだけの名作だが、連載は一年で、後半の最終戦争が1話分ぐらいで終っているのは、どういうことなのだろう。連載時はあまり人気がなかったのか、それとも作者の意向で終らせたのか。どっちなのだろう。で、オマケで途中にくっついている『新デビルマン』の話は、格段とつまらないんで次の再出版の際には、別の単行本とした方がありがたいような気がする。

今日の一枚

capsule『Sugarless GiRL』(2007年)

今現在のおしゃれポップな音を奏でるユニットであるらしいcapsuleの作品。私はこれを初めて聴いたのだが、ずいぶんと分かりやすいメロディのテクノポップで、歌も心地いい。けっこうはまります。しかし、テクノの分野って、どこかで聴いたことのあるメロディをサンプリング(?)的に使用されているが、これは別にいいものなのだろうか。

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2008年2月 1日 (金)

橋本左内/伴五十嗣郎全訳注『啓発録』講談社学術文庫、1982年

知人が、予備校講師になるというので、高校の教科書を手にお勉強していた。最新の歴史教科書は、どんなことが書いてあるのだろうと、私も手にとって見てみると、私の時代とはかなり違うなぁ、と。知人の教科書は三省堂のものを使っていたのだが、徳川綱吉の治世で文治政治に変ったとか、天和令を発布したとかはやったような気がしたが、この天和令が武家諸法度の改正であったなんて習ったかなぁ。最近は、「アジア・太平洋戦争」と言い表す向きもある「あの戦争」が、ゴシックで日本側は「大東亜戦争」、米国側は「太平洋戦争」と呼称した、とか、私の時は「大東亜戦争」は下段の注にふってあるだけだったけど時代は変ったなぁ、とも思うし、「慰安婦」でも「フィリピン女性など」と朝鮮半島出身の慰安婦よりも犯罪性がより確かな方を明示するなど慎重になっている。

で、気になった記述として、「橋本左内の影響で船中八策を坂本龍馬が起草」というような注があった。普通の記述では「坂本龍馬と後藤象二郎が起草」であり、私の認識では、大政奉還は大久保一翁、その他議会政治や憲法制定などは龍馬と親交があった横井小楠の影響だと思っていたので、「あれっ」と思ったのである。横井小楠は福井藩の政治顧問であり、橋本左内は藩主の補佐官のような立場にあった。で、その藩主が松平春嶽であるが、坂本龍馬は春嶽とも面識がある。そこで左内と龍馬はつながるわけだが、龍馬が春嶽に会う前に左内は刑死している。とすると、左内が横井に影響を与えたとなるのだが、そうだったんだろうか。

それで気になって手元にあった左内の『啓発録』を読んでみた。しかし、『啓発録』は左内15歳の時に書かれた著作であり、学問をする際の心得を記したものだから、船中八策に連なるものは見受けられないし、収録されている意見書なども学校制度に関わるものなので分からなかった。他のものにあたるしかないのでしょうね。

だが、本書自体は面白かった。先に書いたように『啓発録』は15歳という少年が書いたものとは思えないほどの作品であり、「去稚心」の「稚」は甘い物を好むと書かれてあって、いまだに甘い物が好きな私は「稚」のオッサンである。

それは、良いとして、収録されている書簡には、左内の外交政策について書かれたものがあり、そこでは現在の国際情勢では英国とロシアがトップランナーで、どちらかと同盟を結ばなければならないが、左内が選ぶのはロシアなのである。これが書かれたのは1857年でアヘン戦争の記憶が生々しい時期、英国は狡猾で貪欲で、逆にロシアは開国交渉で日本の要求を入れ、たびたび譲歩している点で、徳が高いと認識されていた。それ以前に蝦夷でたびたび紛争が起きていたが、それよりもこれらの外交交渉での誠実さがかわれたようである。ロシアへの認識が変るのは、おそらく1861年の対馬事件以降であるから、1859年に刑死した左内が存命だったらどのような反応をしただろうか。

左内は英国と結ぶとロシアと代理戦争をやらされると日露戦争を正確に予言しており、ロシアと同盟しても英国が戦争を仕掛けてくるが、同盟があれば勝てば良し、負けてもそれほどの被害はないとする。さらに米国とは、親善を基本とし、日露同盟と日米親善という日露戦争の日英同盟と逆の関係にあるだけで、その先見の明に驚かされる。

あと、左内は今後の改革について国家体制の変更は、その時々の「時勢」に左右されるが、国是は変えてはならないといい、その国是とは「尚武重忠」だという。左内は、「尚武」の根拠として、「三種の神器」の草薙の剣を持ってきている。たしかに剣が「武」とか「勇」であるのは分かりやすい。しかし、『神皇正統記』では剣は「知恵の本源」だったりするらしいので、「剣」=「武」という図式は左内が属した闇斎派の考えか、儒学一般がそうした解釈だったのか。『正統記』は、あまり影響力なかったのかな。

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