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2008年3月28日 (金)

高橋洋一『さらば財務省!』講談社、2008年

「小泉改革」における司令塔・竹中平蔵氏の実務担当者として、「郵政民営化」「道路公団民営化」「政策金融改革」をデザインし、安倍政権では竹中氏を引き継ぐかたちで安倍晋三氏に任用された高橋氏の作品。これを読めば、「小泉改革」とは何であったか、安倍政権は何故つぶれてしまったかのある一面がわかるようだ。

これを読んでいると、マスコミ報道や同時代の評論などか、いかにあてにならないかが分かるが、現在において重要なのは、消費税増税によって財政再建を目指す「財政タカ派」と経済成長によって財政の健全化をめざす「上げ潮派」の対立ということになろう。著者は、いわゆる「リフレ派」と呼ばれる低インフレを導く金融政策によってデフレを脱却して経済成長を成し遂げようとする立場にある。現在、「財政タカ派」を代表するのは、谷垣禎一氏と与謝野馨氏で、「経済成長派」は中川秀直氏だ。著者の中川氏への評価は、マスコミ報道に比して著しく高い。森政権時のスキャンダルによって、大臣ポストへの道が遠い氏が、小泉・安倍政権で党役員として活躍したのは、記憶に新しいが、現在は福田政権を裏で支えているとはいえ、この二派以外のいわゆる守旧派が復権を果たした今精彩を欠いている。一方、「財政タカ派」はマスコミ受けもよく、谷垣氏はリベラル派を代表する政治家で現在も政調会長にあり、与謝野氏は麻生太郎氏の盟友であるから、麻生内閣においては重要ポストに挙がるだろう。

それを考えると、今後の福田内閣がどうなるかはわからないが、次期政権の可能性のある谷垣氏、麻生氏ともに「財政タカ派」の政権となり、消費税増税は避けられないようだし、現在混迷している日銀総裁人事もインフレ恐怖症の日銀人脈の中から選びたい民主党の意向を考慮すると、「成長派」に目はないようだ。そこで現在可能性があると考えられる「成長派」の内閣の首班とは誰か、ということになると、思い浮かばないが、小泉・竹中路線の象徴であり、中川氏の復権も見られそうな人物は、、

小池百合子氏

ということになる。これはずいぶんと怖ろしい予測だ。対テロ特措法の時に、「米国が怒るから、法案を通せ」となんとも情けない主張をした防衛大臣が首相になるのかと思うとさびしい感じだが、経済政策について未知数な分、高橋氏が行財政担当大臣、中川氏が財務大臣という形で振り付けも可能であろう。別に小池政権を待望しているわけではないが、高橋氏のような逸材が行政に帰ってくることを望むのなら、これが適当なような気もする。

まぁ、そんな先のことは気にせず、小泉・安倍時代を回顧するには欠かせない作品であるのは確か。しかし、題名は酷いな。

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2008年3月12日 (水)

ASIAN KUNG-FU GENERATION『ワールドワールドワールド』2008年

2年ぶりのアジカンの新譜です。

いやー、待ちに待った!というわけでもないのが、ちょっと寂しい。前作『ファンクラブ』は、評論家筋では高評価を得たようだが、正直、私にはぐっとくるような曲はなく、通して聴いたのは2、3回ぐらいだろうか。そして、その間のB面集『フィードバックファイル』は、存在も忘れていたし、買わなかったなぁ、と思っていたら、棚にささっていて、どうやら買ったらしい、とほとんど忘却のかなたにあったようだ。

で、本作なのだが、やはり前作の『ファンクラブ』の路線を継続して、バンドサウンドを前面に出しているような印象があり、またハイかロウかといえば、ロウな楽曲が続いている。つまり、地味って言うことだが、どうもあまりいい方向へいっていないような気がしてしまう。

私にとって、アジカンは疾走感あふれるギターサウンドと後藤氏の叫ぶようなボーカルと内省的な歌詞が魅力だった。そして、それにも増して、「君という花」、「ループ&ループ」、「Re:Re」(これが一番好き)のようなギターリフが印象的で、上昇感が全面にあらわれるダンス・チューンを演奏できるバンドとして好んでいた。しかし、前作ではそうした曲は影を潜め、今作では、それが復帰しつつあるとはいえ、それまではサウンドチームが控えめで、ボーカルが前面に出ていて、ダンスチューンでありながら歌モノとして成立していたものだったのが、弱くなっている。そこにバンドとしての成長は見られるが、楽曲としての地味さを感じさせてしまうところだろう。

と、悪口ばかり言ってきたが、今作での私の好きなダンスチューンは「No.9」、これが一番カッコイイ!「No.9」はたぶん憲法第9条で(英文ではArticle.9だけどね)、歌詞の「ミスター・パトリオット」はミサイルと愛国者をかけているんだろう。まぁ、こんな分かりやすい反戦歌をトップに押すのは私の趣味ではないが、一番カッコイイのだから、仕方がない。ジャケットに例のツインタワーが描かれていたりと、輪に加わりたいんだけど、一歩踏み出せない個々の子供たちに向けた曲をかいてきたアジカンもずいぶん政治色を出したものだと、思ってしまうが、憲法改正を唱える政権が退場し、イラクも軍の増派のおかげで小康状態にあるこの時期にあえて反戦歌を打ち出すという、時流に乗るのではなく、一つの主張として歌うという姿勢には好感を持ちます。まぁ、人間30にもなると考えるところもあるんでしょう。しかし、さっき私が書いた上昇感あるギターリフ、歌モノとしてのボーカルの存在感、踊れるロックという条件にあったど真ん中の曲で、本当にカッコイイ。こういうのをもっとお願いしますね。次回作も期待してます。

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2008年3月 4日 (火)

『ドラゴンボール』再読

R藤本を見ていたら、どうしても「オレは超(スーパー)ベジータだ!!」が見たくなって、完全版全34巻通して読んでしまった。

何度読んでも面白い。かの荒木飛呂彦先生が、「好きな漫画を三つ挙げてください」との質問に、白土三平、梶原一騎を熱く語った後、「横山光輝か?」と思いきや、おもむろに「あとは『ドラゴンボール』かな」とつぶやいて、ジョジョのカルト性=白土、王道性=梶原につづいて、大衆性=ドラゴンボールという要素を見せてくれたことを思い出す。やはり、日本一有名なカルト漫画を描いている荒木先生ですら、『ドラゴンボール』は否定できない面白さがあるのだろう。

本作は、もともと西遊記をモデルにした冒険物と孫悟空とブルマのラブコメを描くという予定もあったようだが、結局のところ、格闘漫画へと変貌を遂げ、世界どころか宇宙を救う救世主伝説へと変っていった。

再読して思ったのだが、こうした路線変更のターニングポイントは、桃白白だったのかな、と。それまでの『ドラゴンボール』はあくまで怪物君の孫悟空という存在があまりに大きすぎて、ライバルといえるような者は皆無なギャグ漫画だった。それが桃白白の登場により、圧倒的な強さ、登場人物の死、短期間の修行と再戦による勝利、ドラゴンボールの道具化というパターンが始まる。桃白白の登場が、この漫画の神話化の始まりだったといえよう。

また、Wikiで見て知ったことだが、サイヤ人篇から担当が代わったというのも大きな変化だったらしい。この担当氏は、少女漫画誌出身の編集者で『ジャンプ』の女性ファン獲得の流れを『ドラゴンボール』で作ろうとしたらしい。たしかに、ラディッツの登場は同時代の読者としても衝撃的だった。これまでの『ドラゴンボール』の美男子キャラはヤムチャだった。通常、少年漫画の文脈だと、日本刀とか剣を使うキャラクターは、クールな美男子が多いものだが、初期『ドラゴンボール』で現れたのは、ヤジロベーであり、ムラサキ曹長というイマイチな者たちだった。そこまでキャラクターに抑制的だった鳥山明の作品に、ラディッツという戦闘服に身を包んだカッコイイキャラが出てきたのだから、結構びっくりしたものだった。しかも、その後、ベジータやザーボン、トランクス、19号など、その後の鳥山明のイラストの美男子キャラが登場するようになる。ピッコロと孫悟飯との関係もそうした文脈の中で見ることができ、編集者の力が作品を変えた例が見られ、その後の『ジャンプ』の編集方針まで変えてしまったと見ることができる。

保守本流の『ドラゴンボール』ファンは、ピッコロ大魔王篇までが面白いと考え(作者自身もそうだったらしい)、ラディッツからセルまでの緊張感あるストーリーに魅かれるのは、編集サイドのマーケティング能力の勝利といえる。私は、現役の読者だった時には、グレートサイヤマンあたりで読者をやめていたのだから、やはりマーケティングに負けていたといえる。ブウ篇以降は、担当交代により作者がイニシアティブを取り戻し、もう辞めたいという雰囲気を漂わせつつ、自由にやり始めていた面があったからだ。やはりやめ時は難しい。私はフリーザまでは物語の進行上必要だったと思うが、セル篇までが限界かな、と思ってしまう。ラスト近くで15代前の界王神が「やれやれ、また、ドラゴンボールか、ふう」とつぶやくが作者のため息のように聴こえてしまう。

まぁ、何にしても何度読んでも面白い漫画であることは確かだ。

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