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2008年4月10日 (木)

入江昭『歴史を学ぶということ』講談社現代新書、2005年

本で家が狭くなってきたので、積読していた本を読まなければならない。それで目についたのが本書。著者は「歴史学会のイチロー」(服部龍二氏)と呼ばれ、米国外交史学会、米国歴史学会の会長を務めた入江昭氏。普通には、いまだ絶版になっていないと思われるロングセラー『日本の外交』中公新書の著者として知られているだろう。その著者が自伝と自らの仕事と現在について語るというもの。

本書を読んで分かったことは、入江氏の仕事が後代に与えた影響の大きさである。入江氏の研究スタイルは、外交史でありながら、政府関係資料にあたり、事件の経過を詳細に論じつつも、その為政者や国民の思想や文化的背景に焦点をあてたものであるらしい。つまり、当時の政府に関係した知識人や学者、マスメディアが、国際社会をどのように考えていたか、敵対する国に対してどのようなイメージを持っていたかを考察するものだ。これって、現在活躍している外交史研究者が、作を重ねるに連れて、徐々に思想史っぽい論文を次々と発表していることの原型を見るような感じがする。

また、なるほどというかお勉強になったのが、入江氏が論文指導を受けた際、これから読む文献リストを提出すると、指導者が一つだけに丸をつけ、「これは二時間かけて読む価値がある」として、あとは十数分の時間で読めばいいと教えたところ。これってかなり重要で、つまり一般の人が知識を得るために読むならば、すべて読まなければならないが、研究者はあくまで自分で資料にあたって自分の歴史を書かなければならない。だから、研究書は、この人がだいたい何を言っているのかを知れば、それで足りるのであって、すべて読む必要はないということだ。こういう読書法というのは、言われれば簡単なのだが、なかなか発想として浮かんでこない。私も目からウロコな感じで、こうすればより多くの本を読むことができるのか、と感じ入った次第です。入江氏が繰り返し述べているのは、事実は変らないが解釈は人それぞれだ、ということ。事実=資料は同じでも、解釈=論文は各人で異なるのだから、歴史家ならば自分で資料にあたるべしで他人の書いたものは参考に過ぎないのである。これはお勉強になりました。

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2008年4月 5日 (土)

電気グルーヴ『J-POP』

前作『VOXXX』を聴いていいたのが、大学院受験を控えて、英文解釈問題集に取り掛かっていた時。それから、いつのまにか、研究室の長老グループに属する年齢に達してしまった。それだけ長い間待ち望まれた電気グルーヴの新作なのである。

タイトルが、『J-POP』というのは、明らかに一聴してカッコイイが、半年後にはもう聴かねぇやというような日本のポップミュージックを揶揄したもので、聴く前から覚悟はしていたが、うーん、微妙である。先行シングル『青春ヤング』『モノノケダンス』は、日本の音楽シーンとは明らかに異質ではあったもののこれまでの電気のもっていたポップセンスを遺憾なく発揮した曲ではあるが、本作のアルバムミックスでは完全にポップさは消え去っていた。

ほとんどの曲が、メインとなるメロディが背後に後退し、電子音のドラムビートが全面に出ており、アパート暮らしで大音量が出せない私の家のコンポのアンプからは50分間ほとんど「ド、ド、ド」としか聴こえてこない。イヤホンで聴いて初めて曲の違いが分かるというような感じで、しかもCD代金の対価の分聴き込まなければ、私のようなポップミュージック好きのはそのよさは分からないんだろう。

これまでの電気では、アルバムでシングル曲をミックスすることはあってもこれほど原曲のメロディを変えることはなかったように思う。これでは、『墓場鬼太郎』のあまりにカッコイイOPでファンになったオタクの皆さまを排除するために作ったようなアルバムであると同時に、従来の電気ファンも微妙な位置に立たせてしまうような気がする。アホさも少ないし。そういえば、私が本作を購入する際、某外資系CDショップで試聴していたら、三人ほどが再生してせわしなく曲をスキップして、買わずに去っていった。これが普通の感覚だろう。

前作を一日10回ぐらいリピートしていた私としては残念でならない。できれば、メロディとリズムを反転させた『逆J-POP』をリリースして欲しいものだ。そうすればかなり聴きやすいかっこいいアルバムになるはずだ。まぁ、こう書いてきていても、何度も聴くうちに気に入るかもしれない。実は前に紹介したアジカンのアルバムも悪口言ってたわりに何度も聴いているうちに結構いいアルバムじゃないかと感じてきたように。

でも、初回限定のDVDは良かったですよ。『少年ヤング』の監督は大槻ケンヂだし。

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2008年4月 2日 (水)

田中秀臣『不謹慎な経済学』講談社、2008年

私がいつも読んでいるブログに田中秀臣先生のものがある。ご専門の経済から、漫画、韓流映画まで幅広い話題で読んでいる者を飽きさせないブログで、毎日チェックしている。その著者の新著ということで、遅ればせながら、読んでみた。いや、面白くて、最近、拾い読みばかりで、一冊すべてを読むのが苦痛になっていた私にしては、一気に読めてしまった。

論旨は明快、「経済学は役に立つよ」、「現在の日本を現在の経済学的常識で読み解くと、金融政策に問題があるんだよ」と、なるほど、日本ではずいぶんと専門家が重要視されない大衆社会なんだな、と思わせてくれる。しかし、論旨は明快なのだが、その論理や提供される情報とがピタリとあっているのか、よく分からず、曖昧模糊とした印象も持ってしまう。ブログでの文章は、分かりやすいのだが、どうもこの著者の書籍の文章は、易しい文章なのだが、分かり難いと感じてしまう。

それはさておき、経済学の方は詳しくない私がちょっと疑問だなと思える点を少々。まず、テロリズムに対して「民主的教育」や「経済的豊かさ路線」が意味をなさない、というのをクリューガーの研究によって、テロリストが経済的に豊かな層出身で、学歴も高いということを根拠に挙げている。しかし、これは考えてみれば、あたりまえのことで、政治的な主張(それが暴力であれ)をしたいというほどの人間は、ある程度の理論武装が必要であり、それなりの教育水準があるだろうし、政治活動するぐらいの暇がなければ、できないので、それなりの資産があるだろう。問題は、テロリスト本人にあるのではなく、彼らを英雄視する一般世論が彼らを下支えしているというところだろう。テロリスト対策に、「民主的教育」と「豊かさ」が役に立たないとすれば、これが行き届いた社会でもテロリストが生じる、ということになるだろう。もちろん、オウムのような例外はあるだろうが、彼らを支持する人々は、豊かな社会ではほとんどいない。結局のところ、テロリズムは社会の変容期にそれに対応できていない人々が、現状を変えようとする人々や、変りつつある先の社会で気楽に暮らしている連中への嫉妬によって、行われ、そして支持されていると考えた方が良いだろう。とすれば、米国が提示する「豊かな社会」が定着すれば、それが終ると考えてもよいような気がしてしまう。もっとも、その押し付けが良いか悪いかは別にして。

あと、「コンドームを買えない貧困層が増えれば、子供はすぐ増える」という都市伝説に対して、オーラルセックスがコンドームの代替として定着しているという論旨から、それを否定するというのもよく分からない。アメリカの調査では、性感染症への不確かな知識や「信念」によって、それは行われているというが、日本の調査は、ただ「口で何をしたことがあるか」を問うているだけで、それがセックスのすべてか、その過程での一行為かを問うているわけではない。オーラルかノーマルかの二者択一で普及しているかは、この調査では読み取れない。単純にかつての貧困層と今日の貧困層とでコンドーム購入に差があるかどうかを調べた方が話としては分かりやすい。もっとも、コンドームの生産数は落ちているそうだが、これが不況と関係しているかは分からないし、それが少子化に役立っているかも分からないが。

というように、面白いトピックはあるものの、それが内容との整合性があるかはよく分からないのだ。しかし、その面白いトピックを提供してくれる田中氏の博覧強記ぶりには感服してしまうし、良い刺激をあたえてくれるのは確かで、お薦めの本です。

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村上もとか『JIN-仁-』集英社

歴史漫画というものには、あたりハズレがあって、手にするのにどうも勇気がいる。読めば面白いのだろうけど、手にしてガッカリという徒労が歴史好きなだけに重くのしかかるのだ。

今回読んでみた本作は、あたり!面白すぎる。現代から過去のある時代にタイムスリップしてしまうという話もこれまでにもいくつかあったが、一体どのような職業の人間がそこにいれば役に立ち、また当時の一流の人物と交わることが可能か。作者が出した答えは、医者だった。これはたしかにそのとおりだろう。村上もとかといえば、私の世代では『六三四の剣』だったりするし、その後『龍-RON-』とかで剣客漫画を描いてきた作者とすれば、現代の剣道大会で優勝するような警察官がタイムスリップして、幕末の剣豪と渡り合う話になってもいいだろうに、今回は医者。まぁ、やっぱり、一目でこの人凄いと思わせたり、恩義を感じて世話をしてくれるような人が現れる職業は、医者であろうし、その中でも外科医だろう。その時点で、勝ちである。政治学者や歴史家や科学者などは、役に立つかもしれないが、時代の立役者たちとうまい具合に出会えるような場面を作り出すことは、よっぽど作者の都合のいい作為がなければ、できるものではない。幕末の日本では、洋学といえば医学であったように、先端技術や知識は医学から入ってきたのだから、そのあたりも都合がいい。

で、この漫画では、幕末のヒーローたち、勝海舟、坂本龍馬、緒方洪庵、松本良順、西郷吉之助、近藤勇、沢村田之助などが登場するのだが、この作者のすごいところが、かれらを出来るだけ、残っている写真から忠実に描こうとするところ。一番衝撃を受けたのは

沖田総司

である。いわずと知れた新撰組一番隊組長の沖田は美男剣士として知られ、数々の漫画に描かれ、世の漫画好き女性を魅了してきたのだが、今回の沖田は、この誰もが見てみぬふりをしてきたあの恐るべき想像画をモデルにしているのだ(コレ)。

この画がどのような由来で描かれたものかは知らないが、これをモデルにして沖田を描いた漫画家を私は知らない。これだけでも凄い。しかも、この顔でこれまでの沖田像そのままに無邪気で爽やかな青年として造形しているのである。村上先生は偉大である。

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