仲正昌樹『〈宗教化〉する現代思想』光文社新書、2008年
哲学をやっていたり、やっていた人に「形而上学って、何ですか?」と聞くとあまり要領を得た答えをしてくれない。こちらはとりあえずの基礎的な解釈や意味を教えてほしいのに、あちらは真面目なので断定的な物言いを避けたがる。
本書では明解に「自然とか宇宙全体の本性といったような、人間の知覚によって直接的に認識することがそもそも不可能であるようなものをめぐる議論のこと」(37頁)と答えてくれる。だいたい私がイメージしていたことをちゃんと言語化してくれて助かるのだが、やはりこれだけではすまない。これだけを形而上学とすれば、考え方によっては「形而上学を超えた真理」というような安直な議論が次々と登場してしまう。結局、究極の真理に到達しようとする哲学・思想は不可避的に形而上学的な性格を帯びてしまうようである。
そこで著者のスタンスとしては、「形而上学を超えた真理に到達した」と考えている人ほど形而上学に染まってしまい、それを認識していないだけたちが悪く、付き合いきれない、といったところか。だから、形而上学を克服するといって別の形而上学をつくるよりも、それぞれが暫定的な答えに過ぎないということを認識していくことが重要だ、ということだろう。
本書で繰り返し述べられることは、こうした真理に到達したと考える思想・哲学とそこに「哀れみ」のような感情が政治に入り込むと、この真理から考えて「哀れ」むべき人々に共感できない者は真理から外れた人非人であり、排除してもかまわないというフランス革命やスターリン支配に見られた暴力が生じてしまう危険があるということだ。そのあたりをサヨクの皆さんは無自覚ではないか、ということ。当然、こうしたメンタリティーを有するようになった「左傾化」したウヨクの皆さんにもあてはまる。
本書は、西洋哲学史としてなかなかよくできているようだし、仲正氏と統一教会とのかかわりをこれまでの作品に比べて多くのページを割いているという点で興味深い。しかし、現在、骨と皮しかないように思える仲正氏が学生時代、左翼学生と流血をも生じる闘争の渦中にいたというのは想像できないが、当時の学生は熱かったんですね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント