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2008年8月21日 (木)

三浦展『下流大学が日本を滅ぼす!』ベスト新書、2008年

前にも書いたが、私はこの著者をあまり信用していない。著書自体は、現在のある程度の傾向を知るためには面白いものだという印象を持っていたが、本書を読んでたぶんもう読まない、という気分になってきた。

本作は、一言でいえば、倒産を恐れた大学がどんな学生でも入学させてしまい子供たちの社会進出を遅らせ、ひよわで役に立たない大人を量産している、というところだろう。

私自身も「お客様世代」の尻尾に連なるものとして耳が痛いが、著者は少々ヒートアップしてきて、一体想定読者は誰なんだ、というほどに「下流」人間たちをこき下ろす。著者が30代のころは若者に媚びたようなものを書いていたのに、50代にもなると若者を罵倒したくなってくるらしい。新書の読者層は、通勤の長いサラリーマンだといわれるが、こうしたおっちゃんたちも「そうそう、今の若者、困るんだよね」とうなずくかもしれないが、一方で低学歴者を小ばかにしたような内容にどんな感想をもつだろうか。

まぁ、それはいいとして、最後の提言として、できるだけ若者を社会に出す仕組みとして高校を廃止し、中学を3年とし勉強を続けたい者はさらに3年の期間を与える、大学は学問をする場の4年制大学と職業大学の2年制大学して、4年制大学進学率を20%にとどめる、早い者では17歳で大卒の社会人になれる、というものがあった。

なるほど、確かにこれはいい提案かもしれない。学ぶ意識のない者が社会に出ても役に立たないような勉強をする場である大学に進学するという状態を変えられるし、大卒信仰も緩和されるだろう。しかし、この構想だとかなりの中卒者がでるだろうし、10代で社会に出る人々も増大する。著者は、これのほうがいいというだろう。私も以前はそんな風にも考えたものだが、最近考えを変えた。

そもそも何でこれだけ勉強する意識のない子供を進学させ、本作にも書かれているが底辺校ではひらがなも書けない高校生の存在を文部官僚は何十年も前から知っていたのに放置させているのか。著者は、国土交通省が道路を作りたがると同様に既得権益を手放したくないから、と述べているが、別の要因があるような気がしていたのだ。

それは少年犯罪の抑止だ。

http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm

こちらは少年犯罪のグラフで、最近は常識になってきたが少年犯罪のピークは昭和35年前後で、その後急激に犯罪は低下し、現在に至っている。この原因は何かなと思っていたが、それは高等教育機関への進学率が一つの要因になっているらしい。

http://www.gender.go.jp/whitepaper/h17/danjyo_gaiyou/danjyo/html/zuhyo/G_32.html

こちらのグラフを見ると分かるように昭和40年あたりから高校進学率が、また大学進学率も急激に上昇している。また少年犯罪が沈静化した昭和50年代以降は高校進学率が90%以上、大学進学率が40%前後で安定し始めた時期にあたる。おそらく頭のいい人がすでに指摘していると思うが、私は最近それに気づいてなるほどと思ったものだ。では、戦前との相関関係はどうなんだ、という感じだが、確かに昭和30年前後の突出振りは異常である。しかし、これはこの時期の高度経済成長により、旧来の社会秩序に変更が起こり、またこの時期の集団就職という形で都市に少年たちが集まり、地方の共同体から離れてアノミー化した若者たちが犯罪に走ったと見ることができる。

おそらく、当時の行政関係者は少年犯罪の急増に恐れをなし、少年たちを管理の届く場所に押し込めておく必要を感じて高校・大学進学を促したのではなかろうか。まぁ、かなり印象的なものだし、10代職業人に偏見を持たせてしまうような話になってしまったが。。

そんなわけで文部官僚たちは、高校・大学進学の必要のない者まで高等教育機関に行かせることによって社会秩序の維持を図ったのではなかろうか。三浦氏の提言は、学ぶ必要のない者を早々卒業させて、社会性を身につけさせるというものだが、一方で一箇所に押し込めて管理しやすかった若者たちを社会に分散させることで、犯罪のリスクを高める可能性を秘めている。三浦氏は、妙な猟奇的犯罪を無個性な郊外の都市に原因があったというような発言をしていたが、今回の提言はさらなる犯罪のリスクが高まる要因ともなるので、そのあたりのケアまで考えていかないとずいぶんと危険なものともなりかねない。

三浦氏は人間は社会に出ればまともになると考えているようだが、それはエリートサラリーマン社会で暮らしてきた者のある種の偏見であるかもしれない。ゼミの発表に質問したら泡を吹いて失神してしまう学生にも困ったものだが、気弱で自主性のない学生たちの面倒を見るか、犯罪率の上昇の可能性をどのようにケアするか、ということも発言力の強いらしい著者は考慮に入れたほうがいい。

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2008年8月13日 (水)

山田風太郎『新装版 戦中派不戦日記』講談社文庫、2002年

中学・高校の時から、書店では見かけていたが、どうも読む気がしなかった。なんか題名からして、「この愚かな戦時下にあって、戦争には協力せず、反戦の志をもって書いた」とかトクトクと書かれては、ずいぶんと当時の人々を馬鹿にした話だし、インテリぶって、いけ好かないねぇ、といった印象を持ってしまったからだ。おそらく私が当時生きていたら、死にたくねぇなぁと思いつつ、戦争の遂行と帝国の勝利を信じている、もしくは願っている「愚か」な大衆の一人だと思うし。山田風太郎を読むようになってからも、風太郎先生がそんな時代に迎合した恥知らずな日記を公開していたら、失望しちゃうな、と思って敬遠していた。

しかし、まったくの誤解でした。後の風太郎先生である山田誠也青年は、敗戦の日である8月14日未明に友人と自分たちだけでもゲリラ部隊を組織して、一兵となっても戦争継続をしようと語り合うほどの憂国の士であったようです。

こんな戦争映画やドラマで、視聴者に「余計なこというなよ」と思わせてしまう狂信的な人物であったことをあえて公開してしまう風太郎先生はやはり偉かった。

しかも狂信的である誠也青年は、一方で合理的で、日本人の「科学」教育の欠如を憂い、日本精神鼓吹者を軽蔑するリアリストであったりする。この矛盾は何であろうかな、と思うが、おそらく単に帝国主義的野心から追い詰められた「自存自衛」の戦争に過ぎない「大東亜戦争」を「アジア解放」や「世界史的使命」というように意味づけて、嘘をホントにしてしまおうとした竹内好や他の頭のいい人たちがやったように、まったく信じてもいなかった「日本精神」を本当のものにしようとしたというロマンティックでニヒリスティックな気分が彼をして、そのような行動に赴かせたのではなかろうか。これは彼の同級生を含めた同胞の死が、戦勝国の占領政策によって単なる「愚行」として片付けられることを鋭敏な誠也青年には予測されて、そのような無意味な死にはさせない、したくないという同時代人特有の使命感があったためだろう。

しかし、この企ては以前同様のことを考えたが挫折した級友の冷笑によって熱が冷め、翌日の「玉音放送」によって完全に断念させられた。これから考えると彼の「忍法帖」がたいてい使命を果たして死んでいくというパターンは、死すべき時に死ねなかった自分の本当の姿を描いている、ともいえる。

さらに面白いのが、誠也青年の憂国・愛国の感情が、完全な日本政府、日本民族への絶望から反転していく過程で、そのきっかけとなったのが鈴木貫太郎内閣の日ソ交渉を伝え聞いたことによるところだ。このような失敗が目に見えている外交政策に期待する政府に失望し、その後、日本の敗北が頭をかすめるようになり、日本民族の未熟さや幼稚さを述べたものの引用や言及がつづき、絶望の果てに徹底抗戦を述べるようになる。これは、愛国の情よりも、このような劣等民族は滅びてしまえ、というような自暴自棄な叫びである。そして、ソ連への宣戦布告を期待した8月15日正午の「玉音放送」は降伏の宣言であり、この情景を描いた8月16日の記述は他の終戦物語を圧倒する美しい文章である。そこには誠也青年同様に失望する人々と世の変化に関係なくアイスキャンデー屋に群がる子供たちや女剣劇を楽しむ庶民の姿が描かれている。そして、9月に入ると矮小な政府指導者たちの姿や占領軍におもねるジャーナリズムや知識人たちの変貌に鋭い批判の目を向ける。天皇個人には敬愛の念を抱きつつも、皇族将軍の自己弁護に失望して、「天皇制」にも疑問を持ちはじめる。

こうして誠也青年は、何も信じられなくなった。この体験が、彼をしてナンセンスな小説を描いていく下地になっていったのだろう。意味のあるものを書いても、その意味を信じられなくなる日が必ず来ると思って。後年の山田風太郎は、選挙ではいつも共産党に投票していたといっている。「絶対に政権につくことはないから」と本人も言っているが、おそらく自分が選んだ政治家が実際に権力を行使することを嫌ったためだろう。ちなみに風太郎先生は、細川護煕首相の「侵略戦争発言」に反発した文章を残している。こういう矛盾したような投票行動する戦中派老人って、意外と多いのではなかろうか。

余談だが、加藤弘之、斎藤隆夫(加藤を私淑)、山田風太郎(加藤の遠縁、晩年に知る)という兵庫県但馬出身者は、何故こうも共通して「戦争に正義はない」、反戦は無意味、人間は動物に過ぎず目的もない利己的な存在、日本人の「科学」的精神の欠如を憂う、神の不在を確信する唯物主義者というようなペシミスティックでリアリスティックな人々なのであろうか。また、なぜそういう三人に私は魅かれるのだろうか。

これらは今日の私の一つの読み方であって、また別の読み方もいく通りもできる作品である。そういうのを名作というんだろうが、後半を読んでいくと、本当に面白く、夜が明けるのを忘れ、読後興奮して眠れないほどであった。読んでいない方には、8月分だけでもぜひお薦めしたい。

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2008年8月 7日 (木)

長谷川幸洋『官僚との死闘七〇〇日』講談社、2008年

第一次福田康夫改造内閣が成立して1週間経とうとしている。組閣の日、最も印象的であったのは、テレビのコメンテーターとして登場した竹中平蔵氏が

「最後に一言だけ、この内閣によって日本経済は確実に悪くなります」

といっていたことだ。大臣になった時は当然したであろうが、小渕内閣や森内閣のあたりからテレビによく出始め時に、これほど党派性剥き出しの発言をする人だとは思わなかった。政府寄りの発言が多かったが、中立を装った意見をする人だったのに、やはり政治家をすると変わるものだな、と。しかも竹中氏は現在の政治対立軸である「財政再建派=大きな政府」VS「上げ潮派=小さな政府」の後者の大物である。これだけ露骨に前者に傾斜した内閣を見て、感情的な発言をするのも当然かもしれない。

さらに「上げ潮派」の人々のこの内閣に対する反応もかわいそうなくらい悄然としたものであった。とりわけその頭目・中川秀直氏などは映像で見ても落胆していたし、自身のホームページではいつも痛々しいくらい福田内閣を応援し、世論調査が発表されるたびに内閣を応援する根拠を見出そうとする忠誠心をあらわにしていた。その結果が、これでは「あんまりだ」という気分になったであろう。

で、本書は「上げ潮派」を応援する立場で、しかも実際に安倍晋三内閣時に審議会委員などで政治に関わった人物による著作で、近年有名になった「改革」の実務家・高橋洋一氏を主人公にすえている。

本書の売りは、とにかく狡知に長けた官僚たちの謀略を実名をあげて批判しているところだろう。素人には分からないような資料の一部差し替え、修正によって、意味をまったく変えたり、権限を縮小させようとしたり、虚偽の政策方針を記者に流して新聞報道させることで政治の方向性を操作しようとしたり、恫喝したり、と。

とりわけ、この新聞報道の操作というのは印象的で、よく新聞報道が出て、政治家本人に問いただすと「知りません」と答える場面を見ることがあるが、見ているものは普通、政治的配慮で知らないというふりをしているのだろう、と思うものだが、場合によっては本当に知らず、周囲が自分たちに有利になるように流したものもあるのだな、と考えさせられる。歴史研究や現在の政治を分析する上で資料としての新聞の価値は高いものだが、これをみるとその真偽が確かなものか、しっかり見定める必要があるということを再確認させられた。

著者は、盟友の「教授(末延吉正氏か?)」との会話で、「私は「政策」なんです」と答えた。つまり、内閣や政治家への評価は、「政策」を基準とするのであって、「人」ではない、と。「政策」を基準とすれば、官僚の抵抗はともかくとして、公務員制度改革や社会保険庁改革などの成立を見れば、改革派の勝利にも感じられる。しかし、「人」、つまり安倍晋三首相としては、奇しくも官僚派の頭目として謀略をめぐらした的場順三官房副長官の「だから、おれが言ったじゃないか。自業自得だ」の言のように、改革派に載せられて官僚の謀略とマスコミの無理解のために葬り去られた哀れな政治家にも見える。2006年末の道路特定財源の一般財源化騒動で大田弘子経財相のタイミングの悪い前のめりのために敗北した、と本書で述べられているが、公務員制度改革も「タイミング」が悪かったのかもしれない。本書でガソリン税は2007年末ごろ争点にすればよい、と述べているように、先の諸改革も参院選の後でもよかったであろう。そもそも安倍政権は、公務員制度改革をするためではなく、選挙に勝つために成立したのだから。かといって、理論家たちを責めるわけにはいかない。選択したのは、安倍氏であったのだから。安倍氏は前任者に嫉妬しないという資質に欠けていたし、ポピュリストな面もあったのだろう。

さて、今後の展望として著者は、衆議院選で自民党が負けないと政界再編がおこると予想し、期待している。タバコ増税議連の集まった人々が中核になった改革派に期待するという。貧しい喫煙者の私としては、タバコ増税が消費税増税を防ぐ「増税派」に対抗する手段とされるのは迷惑なことだし、中心人物の中川秀直氏の大量移民受け入れ政策にも疑問なしとしない。かといって、安倍内閣末期同様に幹事長ポストを取り、禅譲を期待する麻生太郎氏が与謝野馨氏と組んで増税してスタグフレーションに入りつつある日本経済を混乱に陥れるのも困ったものだと思う。しかも、中川・麻生両氏とも、「北京オリンピックを支援する議員の会」という「世界で唯一」の超党派の議員連盟に名を連ねているのをみると、脱力する。というより、この議員連盟には、与野党のほとんどの主要政治家が参加しているので、政界自体に興味を失わせる(別に北京オリンピック応援してもいいけど、「世界で唯一」というのと、200人以上の議連というのがね)。

まぁ、私自身の興味はともかくとして、政界裏舞台をある一方の側から描いた本書は、面白く一気に読めてしまうので、現在の政治の流れにご関心ある方にはお薦めです。

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2008年8月 6日 (水)

安倍源基『昭和動乱の真相』中公文庫、2006年

戦前の内務官僚、終戦時の内務大臣、戦後は右翼団体を組織というエリートでありながら、ずいぶんとこうばしい人生を歩んだ人物の自伝的昭和史。

本書の売りは、著者自身が関わり研究した中国情勢、とりわけ中国共産党の叙述、警視庁初代特高部長時代の国家主義運動と共産党への回想、そして終戦後の巣鴨での尋問であろう。神兵隊事件とか7・5事件など昭和史の通史には言葉だけはのっているが、詳しい事件の概要がよく分からないものへの当事者ならではの言及があるのが面白い。

そして、彼の歴史観。「昭和動乱」の原因は、浜口内閣時のロンドン軍縮条約にある、というのは警察官僚として、国家主義運動の逮捕者が一様にロンドン条約について言及していたことが、このような見解になったのだろうか。そのためか、この条約を推進した民政党関係者、海軍「穏健派」に極めて厳しい評価を与えているのが特徴で、いわゆる「陸軍=悪玉」「海軍=善玉」の単純な昭和史解釈に親しい読者の常識を覆す。たしかに、大陸進出は陸軍が主導したと思われるが、大日本帝国を崩壊に導いた米英との対立は、上海事変しかり、南部仏印進出しかりで米英の権益に関連する地域での主導者は海軍である、と思われるふしがある。戦後の歴史観においては、中国への贖罪意識が強く、大陸への侵略を主導した陸軍は決定的に悪であり、米英に対しては単に戦争をした相手国という認識であり、そのきっかけをつくった海軍の責任を問う圧力は弱かったのかもしれない。米英との戦争が大日本帝国を滅ぼしたとしても、全体主義的で軍国主義国家であった帝国の崩壊は、戦後史観においては歓迎すべきことであり、海軍の罪は目立たなかったのだろう。

それはともかく、もう一つ面白いのが、2・26事件など軍によるテロの原因を3月事件の処分があいまいだったことが後の10月事件、5・15事件、2・26事件を誘発したとの解釈している。まったく信賞必罰は統治の本道である、と思わせるものであるが、これは「粛軍演説」で斎藤隆夫も述べていたことであり、同時代の人々の共通認識か、斎藤を元ネタにしたのかは分からない。もっとも安倍は斎藤にはまったく言及していないが、王精衛を担ぎ出したのが失敗であった理由として、彼が武人ではなかったというところも斎藤と共通している。官僚嫌いの斎藤と代議士嫌いの安倍(西尾末広を除いて代議士にほとんど好意的な言及をしていない)の思考法が一致しているのが興味深い。

で、本書はどちらかというと前半が本人の回想と歴史書の突合せでできているが、後半は不思議なほどに安倍史観による歴史研究の書という体裁になっていて後半はあまり面白くない。そのつまらなさの原因は、やはり彼が特高部長時代に小林多喜二を含む共産党員の獄死者がもっとも多いという事実にふれない点と、wikipediaによれば、安倍は安部磯雄襲撃事件に背後で関わっていたといわれているが、そのあたりにまったくふれていないで、歴史叙述にページを割いているところだろう。もっとも後者の方は、出典がおそらく宮崎学『不逞者』というノンフィクションであり、オーソドックスな歴史研究でどのようになっているか私は知らないし、その能力もないのでどうだかわからないが。

また、少々怪しい史料選択もなされているが(葛西純一のものとか)、そのへんを割り引いても、当事者の歴史研究/物語として十分楽しめるし、巻末の水谷三公・黒澤良両氏の対談も面白い。

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