田中清玄・大須賀瑞夫『田中清玄自伝』ちくま文庫、2008年
「―田中さんは右翼だと思っていましたが。
右翼。本物の右翼です。」
と、本人が認めているのだから、そう呼んでいいんだろう。戦後を代表する右翼活動家田中清玄のインタビューを通しての自伝。とにかく面白い。戦前は24歳にして武闘共産党の指導者、スターリン主義に疑問を持ち、転向後、政財界から信用を受けていた山本玄峰に弟子入り、戦後まもない12月21日に昭和天皇に拝謁して、退位せず、皇室財産を放棄し、全国巡幸を進言。その後は建設業で財を成し、「若い者」を使って共産党デモを攻撃したり、安保闘争のリーダーたちに資金援助して、闘争目的を「反岸」に切り替えるようにして国民運動化したり、山口組三代目田岡一雄と結んで麻薬撲滅運動を起こして、それが原因で狙撃されたり、汎ヨーロッパ運動の指導者オットー・フォン・ハプスブルク大公と親交をあたため、それをフィードバックするかたちでアジア連盟を構想して鄧小平やスハルトと交流。その一方、米国石油メジャー独占の石油事業に単身果敢に取り組み、中東の油田から日本への輸入を実現させた。また、ハイエクのノーベル賞授賞式のメインテーブルに日本人で唯一人呼ばれたりするほどの親しい関係にあった。
なかなか興味が尽きないが、中でも面白いのが岸信介・児玉誉士夫との対立構図。今現在、右翼として思いつくのが、憲法改正、国軍創設、自衛隊海外派遣、核武装、靖国公式参拝、大東亜戦争肯定論、反中韓といったところだろうが、田中はこのすべてに反対の立場を貫く。で、岸・児玉に連なるラインは上記に挙げた諸問題の主張者であろう(当時、韓国は別であったろうが)。『大東亜戦争肯定論』を著した林房雄が児玉から資金提供を受けていたと田中が暴露しているあたり、これらの主張のバックには岸・児玉がいるといわれるゆえんである。彼が右翼と呼ばれるのは、反共の闘士であることと天皇崇拝者であることぐらいで、親中派であり、反米であり、贖罪的歴史観の持ち主で、いわゆる今のリベラル層と主張は変わらない。ま、いってみれば反共の闘士だった野中広務氏がリベラル派に好意的に見られているのと同じである。良いか悪いかは別にして時代は変わったものである。
こうしてみると戦前もそうだが、戦後においても権力の強化に傾く右翼と君側の奸を取り除けと主張する反体制を貫く右翼との二種類が鮮やかに色分けされる。そういえば、昨年の参議院選挙後に一部報道で山口組が民主党支援を各支部に指令を出していたとあったが、田中・田岡一雄と岸・児玉の対立が岸の孫である安倍晋三首相に直撃したとも言え、そうした背景があったのかなと勝手に思ってしまった。
あと個別事例のスターリン及びソ連の陰謀論。終戦直後、日本共産党ではなく田中に日本国内の撹乱作戦の協力を求めたり、GHQに朝鮮戦争勃発を予想して聞き入れなかったが、これは共産中国の大国化を嫌ったスターリンの米中対立の演出だといったり、スウェーデンのパルメはブレジネフのエージェントでモスクワ離れし始めたので暗殺された、とか。
私はアジアという西欧から名づけられた概念を基盤にするアジア主義には疑問を持っているし、田中の中国への認識の甘さ(ウイグルやチベットに責任ある自治を与えているとソ連との違いを賞賛したり)には賛同できない。しかし、こうしたアジア、とりわけ中国への好意というのは贖罪意識よりも共闘関係にあった同士のような認識なんだろうな、と思う。会津出身で明治政府に抑圧された祖先を持ち、共産党員として日本帝国に弾圧された身だし。それで権力側にいた人間を象徴する岸信介を敵として彼の思想を形づくっている。そのため岸に近かった台湾・韓国への関心は薄い。岸もアジア主義的な部分があったようだが、その日本盟主論的なアジア主義との戦いの中でアジア主義も形成されている。岸=安倍的なるものに対抗した思想や行動を探りたいような人には一読をお薦めする。
しかし、読後感としては田中清玄という人物、坂本龍馬が生きていたらやってそうなことをやった人だな、と。事業で金儲けしながら、民権派に資金援助したり、政府でも一緒にやれそうな人と提携したり、欧米にもアジアにも友人を作ったりね。
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