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2008年11月26日 (水)

沢木耕太郎『テロルの決算』文春文庫、2008年

私は、本書においてもやはり自分が誤解していたことを気づかされた。

それは浅沼稲次郎への認識だ。

戦前左翼であったが弾圧されると右翼的な組織を作り、戦後左翼的風潮になると恥ずかしくもなく、また左翼に走り便乗した日和見主義者

これは1960年10月12日に日比谷公会堂で浅沼を刺殺した山口二矢の浅沼観だという。私もそれほど変わることのない浅沼観を持っていた。社会大衆党の代議士として1938年には国家総動員法の賛成演説をし、1940年の斎藤隆夫除名問題では除名に賛成し、これを契機に作られた聖戦貫徹議員連盟の常任幹事となった。そして1942年の翼賛選挙では非公認の立候補を取り下げている。戦後は社会党結成に尽力し、1959年3月12日に中国で「米帝国主義は日中共同の敵」と発言し、「中共」のご機嫌をとり、それに憤激した右翼少年に殺された。その場面は、初めて人が殺される場面を写真に写し、またTVフィルムとしても残っているものである、というのが私の浅沼観で、正直あまり評価できる人物ではなかった。不幸な死に方をしたから、ある種の神格化が行われただけだろう、と思っていた。

しかし、著者も山口の認識について述べるように、「ある意味哀しすぎるほど哀しい浅沼の一生」の「一端」に過ぎなかった。本書は山口二矢の評伝ノンフィクション作品として流通しているが、著者自身も述べるように山口という夭折者と浅沼という老政治家二人の物語であり、山口が中野坂上から新宿経由で小田急線をつかって玉川学園に通ったというところに、小田急線沿線在住でバイト先が中野坂上近辺という奇妙な一致に驚いたものの、私には浅沼伝としての興味を覚えた。

もっとも哀しいところは昭和17年の翼賛選挙を前にして「発狂」したところだろう。浅沼は左翼活動家だった早稲田在学時に相撲部という体育会系に属しながら左翼運動をしたため右翼色の強い体育会系にとって近親憎悪の対象である事件をきっかけに凄惨なリンチを加えられる。また関東大震災の時もあわや銃殺というところまでの危機に陥っているが、その志を変えることはなかった。その後、正式の政党に属し代議士として活動し始めると尊敬してやまない麻生久の軍に協力することを通しての社会主義政権樹立という戦略に献身して親軍的政治行動を行う。しかし、目指したものとは全く異なる大政翼賛会の成立に失望した麻生が死んでしまうと今までの自分の行動に自信を持てなくなってリンチ、検束、入獄という恐ろしさばかりが思い出され、巨体を震わせ「縛りにくる、縛りにくる!」と精神に変調をきたした。それまではどのような暴力に会おうと「志」という存在基盤があったことで恐怖に打ち勝つことができたが、それを失い空虚な巨体しか残っていない生の浅沼が現れている。

この「発狂」が後に中国への贖罪意識へとつながり、「日中共同の敵」という社会党左派をも驚かせる発言になったという。そしてこの発言が自らの命をも失う契機となったのだ。

ここで描かれる浅沼は本当に哀しい人物だ。庶子として生まれ、母の元を離れると家族の愛情にも恵まれず、左翼運動に入り込んでも難しい理論は分からずその巨体もあいまって浮いた存在でありながらもただ居続けた。その愚直な姿勢で頭角を現すが、戦中戦後の「日和見」な姿はまさに庶民そのものだった。

私のような浅沼認識の方はけっこう多いと思う。本書を山口二矢伝としてではなく、浅沼稲次郎伝としてお奨めする。

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