山田風太郎『同日同刻』ちくま文庫、2006年
日米の開戦の日である昭和16年12月8日と終戦に至る昭和20年8月1日から15日までの同日同刻の記録を編集したノンフィクション作品。
これを読むと12月8日午前7時、徳富蘇峰は「皇国に幸運あれ、皇国に幸運あれ」と書きつつ、『近世日本国民史』で「征韓論」を書き、「若し征役直ちに利を得るといえども、その得る所、恐らくはその失う所を償うに足らず、況んや遠征歳月を経るに於てをや」と大久保利通の意見書を紹介していた。その一時間後には松岡洋右は三国同盟を一生の不覚として「僕は死んでも死にきれない」と泣き、戦後広島の原爆慰霊碑に「過ちは繰返しませぬから」と書いた旧制広島高校の雑賀教授は「頓狂な声で〝万歳〟を叫んだ」。そしてその頃、もっとも落ち着いていたのは、ルーズベルト米国大統領だった。
言論人である蘇峰と歴史家である蘇峰との相違や、日米関係に決定的な打撃を加えた松岡の涙、日本が狂喜し米国政府高官たちが慌てふためいているところ、悠然と構える大統領というように、ここに歴史の皮肉がみられる。先の田母神論文でルーズベルト陰謀説を非難していたが、ルーズベルトは追い込んだのだし、ある程度の情報は得ていただろうが、それを陰謀と唱えるのはずいぶん情けない。ルーズベルトの戦略勝ちであり、仮に非難するとすれば、それは日本人ではなく、米国海軍の遺族だろう。
しかし、8月の記録には身をつまされる。原爆の記録は、悲惨としか言いようがない。具体的には書かないが、これほどの惨事と恐怖の現場を体験し目撃した人たちがさらになお生き続けて日常生活を営んでいたというのに妙な驚きを感じてしまう。人間というのは、強い生物なんだな、と。戦中を生き抜いた人々は我々が想像できない強靭な精神力を持っている。
しかし、この時期に至るまで「一億玉砕」を叫び、「2000万の日本男子が特攻すれば、必ず勝利を得る」という東京の軍将校たちの精神構造とは如何ばかりなのだろうか。正直、よく分からない。それを分からない狂信者とするばかりで目を閉じても何も得るところはない。実際、狂信者はいただろう。しかし、ソ連が攻めてくると情報を得るとさっさと逃げてしまう関東軍のような姿を見ると、逆に人間らしく、まともに見えてしまうと思うと、やはり徹底抗戦を唱える軍の主張とは、自らの失敗を認め責任をとらされ、非難されることを恐れただけに過ぎないように思える。その点、最後までゴネて首相や外相を困らせつつも陸軍の暴発を抑え、玉音放送を前に自決した阿南陸軍大臣は立派である(どうでも良いが、阿南大臣は自決後、介錯を拒み、しばらく生きていたが、最後に義弟竹下中佐が頚動脈を短刀で切ったというが、こういうのは刑法的にどうなっていたのだろうか)。徹底抗戦を唱えつつも生き延びた人々はおそらくゲリラで死なすのは一般ゲリラで自分は頃合いを見て生き残る手合いだろう。こうした責任回避の官僚的習性をもった人々までも擁護しかねない大東亜戦争肯定論は有害だろう。
こうしてみると戦後の日本国民が軍事アレルギーになったのもうなずける。散々、偉そうにしていた関東軍が逃げ出すのを目撃しているわけだし、戦陣訓を示達した当時の陸軍大臣で日米戦争の象徴となり最後まで戦争継続を訴えていた東條英機が逮捕直前まで自決せず、しかも自決に失敗しているのを目の当たりにしているのだ。戦後教育や東京裁判のせいにしてはいけないだろう。
そんな中、さわやかなエピソードは、広島の第二総軍の教育参謀李鍝公殿下が原爆で死亡し、その後を受けてお付武官吉成弘中佐が殿下の死の直後に病院の芝生に正座してピストルで殉死したことだ。私はこの話を初めて知ったが、李鍝公がそれだけ立派な人物だったのだろうが、それを受けて殉死した日本軍人がいたことに驚き、感動した。
しかし、終戦の日(敗戦の日は14日)の記録でやはり白眉なのは著者山田風太郎自身の記録だろう。玉音放送を町の大衆食堂で聞いていた山田誠也は放送の難解さから「宣戦布告」の放送でしょう、と問うおかみに
「済んだ」/と、僕はいった。/「おばさん、日本は負けたんだ」/「く、口惜しい!」/一声叫んでおばさんは急にがばと前へうつ伏した。はげしい嗚咽の声が、そのふるえる肩の下から漏れている。みな死のごとく沈黙している。ほとんど凄惨ともいうべき数分間であった。/四人は唖のように黙ったまま外へ出ていった。明るい。くらくらするほど夏の太陽は白く燃えている。負けたのか?信じられない。この静かな夏の日の日本が、今の瞬間から、恥辱に満ちた敗戦国となったとは!/過去はすべて空しい。眼が涸れはてて、涙も出なかった。
誰も有名人が出るわけではなく、学生とまったく市井の人々の雰囲気を表していて、この国の多くの場所で見られたであろう情景を映し出している。それに比べて、「私は歌いだしたかった」と書く、加籐周一の自伝は同じ医学生でもこれだけ違うのかと思うほど、なんとも共感しがたい、つまらない記録である。帝大生と私大生の違いだろうか。
風太郎先生の底の深さを感じさせる作品で、しかも資料に語らせる力強さを感じさせる。
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