萩原延壽『馬場辰猪 萩原延壽集1』朝日新聞社、2007年
アーネスト・サトウの生涯を追った『遠い崖』で著名な著者の最初の単行本で、吉野作造賞を受賞した記念すべき評伝作品。
初出は1966年6月号から同年12月号までの『中央公論』の連載で、すでに40年も昔の作品ということだが、文章の古さは特に感じることはなく、著者が石川淳に師事し安部公房を兄として敬愛していたことからもうかがえる文章の巧みさを感じる。
そもそも著者は岡義武に師事した日本近代政治史の研究者であったようだが、たしかに本書に見られるのは歴史的考察が主であるし、師匠の岡のようにエピソードによって語るというところがうまい。たとえば、有能な能吏であった祖父について「自伝」ではふれるものの、武芸には秀でていたが酒色におぼれ経済的才能もなく、どうやら女性関係で一時藩から「禁足」を受けるような父についての叙述はほとんどなく、それを反面教師として女性に対して当時の民権派の活動家とは異なり潔癖で、そのためかどうかは分からないが妹になにやら執着があったりというエピソードは単に「自伝」を読んでいただけでは分からない事情である。
また、上記のように文学的交流もみられたことから、馬場の心情に迫るという叙述が多く、歴史家の伝記というよりも作家のそれのようなおもむきがある。たとえば、二回目の英国留学から帰国するのを躊躇しているあたりの叙述で「観念としての民衆」と「事実としての民衆」の乖離が予測され、それに自分が耐えられるかどうかを自問している姿として、描くという手法は、その時の馬場に迫っているようにも感じるし、後の民権運動への絶望を暗示させていて、文が進むにつれて利いてくる、というような構成とか。
しかし、著者は「思想家」としての馬場を評価しているようだが、それについての考察はあまりない。もっとも詳しく述べられているのは加籐弘之との「人権新説論争」であるが、そこにしても馬場の発言を紹介し、それを元に加籐を批判するのみになってしまって、加籐の主張はもとより馬場の主張もあまり検討されていないのではないかと思えてしまう。それは馬場が「日本語で文章を書くのが不得手らしい」と噂されており、彼の日本語著作はほとんど講演筆記を印刷されたものであり、その印刷の過程で他人の手により修辞上の改変がなされていたので、文章から馬場の思想を正確に論じることの不可能さという事情もあったかもしれない。
たしかに講演を基にした『朝野新聞』連載の「読加籐弘之君人権新説」と慶應義塾出版社から公刊された『天賦人権論』には多少の変更があり、場合によっては全く意味が逆になってしまうような改変がなされているが、それが馬場の意思なのかどうかはわからないという事情を考えるとあまり突っ込んだ議論はしづらい。
しかし、加籐びいきの私からすれば、加籐を「藩閥政府のイデオローグ」というのはちょっとかわいそうで、客観的にはそうとしかいえないが、加籐本人としては「明治国家のイデオローグ」たらんとしてはいたが、「藩閥政府」のそれとは思っていなかっただろう。事実、20年代になると「藩閥政府」を専制政治の残滓として批判の目を向けているし、単に馬場も内心思っていたように民権運動家が頼りなく、この時期の「藩閥政府」の方がマシだと考えていたに過ぎないだろう。「転向」後も加籐の思惟傾向は丸山眞男が述べるように「自由と進歩と民権」であり「市民社会のイデオローグ(この場合の「市民社会」はブルジョワ社会の意味)」であり、労働者階級の政治への進出には警戒感を終始持ち続けたが、明治15年頃の士族民権・地主民権と求めるものとしてはそれほど変わらない(どちらかといえば、改進党的都市事業者民権に近いが)。加籐が警戒したのは、「天賦人権」の名の下に、無常の権力を与えられていると考えて何でもできてしまうと勘違いしてフランス革命にみられた「理性」の「暴政」が行われるのを恐怖しただけだ。「妄想」であろうと別にそこまで批判するほどでもなかろうという「天賦人権論」を加籐が否定する理由としてあげているのは、「暴政」への危険性である。
その辺で馬場はフランス革命の惨状は専制政府に原因があるので、ルソー的イデオロギーに原因を求めるのは本末転倒としていて、著者もそれに同意してしてしまっている。たしかにルソー的「天賦人権」にのみ原因を求める加籐の議論は粗雑だが、現在のフランス革命研究ではフランス王政が専制的であったから革命が起きたり、虐殺が行われたり、というものではなく、民衆の力を王が借りようとした過程でなし崩しに革命がおき、さらにイデオロギー的側面にかなり重点が置かれているように感じられるが、明治期のフランス革命に関する著作は基本的に専制政治の問題として片付けられていたんだろうか。また著者も1万人あまりが虐殺された革命というものの原因を単に専制政治のため、という馬場の言を本気で信じていたんだろうか。自由民権運動を論じる際、どうも民権派の主張に耳を傾けすぎるのは如何なものかな、と自由で民主的な社会を享受している私などはいつも考えてしまうのである。
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