猪瀬直樹『黒船の世紀』文春文庫、1998年
近年では、道路公団民営化推進委員として行政改革にあたったり、現在では東京都副知事となり、ポスト石原の最有力候補とまでなった著者だが、出発点は明治大学の大学院で橋川文三に日本政治思想史の指導を受けた人物であり、日本近代史をテーマに扱ったノンフィクション作家であった。
本書は、その恩師である橋川がユーラシア大陸を挟んでの人種戦争の問題を精神史的に追った作品『黄禍物語』に対応するように、太平洋を挟んだ人種戦争の言説をフォローした精神史となっている。水野広徳とバイウォーターという元軍人であったりスパイ経験のあるジャーナリストの軍事知識に裏打ちされたリアルな日米未来戦記と、池崎忠孝とホーマー・リーという屈折した秀才の世間的名声を得るために大衆を煽動するようなそれとの二大潮流があり、後者が勝利を得ていく大衆消費社会のゆがみを描いてくれる。「軍人が国民を引きずったのも事実だが、世論のほうも軍人の思惑を越えて戦争を呼び込んでいたのである」という一文は、正統的な歴史叙述からは脱落してしまうところを拾い上げている。
こういう社会史的な側面とは、歴史教科書に載りにくいので30年も経つと忘れられる。本書で述べられる1908年(明治41年)の米国大西洋艦隊の周航で日本に来日した際の日本の歓迎振りは、ニコライ遭難時の半狂乱したような自粛ムードと同様に恐怖の裏返しだったという。歴史研究者の目で見れば、政府も新聞も「歓迎一色」であり、それを米国に対する恐怖と取ることはできないらしい。しかし、このいじらしいほどの歓迎振りは恐怖の裏返しと見た方が正しいような気がする。もちろん、政府当局者は諸外国で見られる日米戦争必至論を打ち消すためとの演出であろうが、それも恐怖の裏返しともとれる。その直後に、英国を仮想敵国とした連合艦隊大演習が行われている事実が物語っている。ある意味、北京オリンピックの聖火リレーで反対運動が巻き起こった今年の状況というのは、歓迎一色よりも健全な日中関係の裏返しだったのかもしれない。
本書は、水野広徳、ホーマー・リー、バイウォーター、池崎忠孝の評伝として読んでも面白い。水野が第一次大戦をイギリスにて間近に見たことで反戦平和主義者になったというエピソードは面白いし(軍拡主義者であった時の『此一戦』の描写でも十分に反戦の著作になりえる)、芥川龍之介への対抗意識から抜け出せなかった池崎の滑稽さも興味深い。文体を変えれば、博士論文にもなり得た本作にて、猪瀬氏への認識を変えたが、お忙しい現在の氏にはもうこれ以上のものは書けないんだな、と思うとさびしい。
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