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2008年12月25日 (木)

お知らせ

心身ともに疲れ、もう少し真面目の研究生活に取り組みたいと考えまして、ブログをやめようと思います。

このような駄文ばかりの弱小ブログを定期的に読んでいただけた方々もいたようで、大変嬉しく、日々の糧となっておりました。皆様どうもありがとうございました。

しかし、少々疲れました。私のような不精者としては、よく続いたなとも思っております。

また性懲りもなく、再開するかもしれませんし、まったく別の場所、別の名前で始めるかもしれません。しばらくの間はこのまま放置しておくつもりですが、再開しなければ、そのうち閉鎖すると思います。

本当にありがとうございました。皆様の健康と幸せを願いつつ。

筆者

LÄ-PPISCH「ハーメルン」

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2008年12月11日 (木)

植原悦二郎『日本民権発達史』その2

第二章 明治の新政府

本章は、東京奠都と五箇条の誓文から始まる。植原によれば、前者は京都の住民と公卿の他は大して重要な問題とされず、後者も後年「我国の歴史に於いて殆ど革命的異彩を放てる重大な出来事」となったが、当時の国民一般から注目されなかったという。さらに後者は、歴史家、憲法学者らが我が国立憲政体の根源と主張しているが、そんなものではないと言下に否定する。

植原によれば、五箇条の誓文「広く会議を興し、万機公論に決すべし」は単に新政府の諸藩士が佐幕派から単なる政権簒奪との嫌疑を避け、国内統一を共に協力して新政府を設立しようという熱意と誠意を天下に公表しようとしたに過ぎず、議会政治設立の宣言とは関係ない、ということである。本書でも述べられているが、周知のように後の民権派や大正デモクラシーの運動家が自分たちの主張の正統性を示すために言及したのが五箇条の誓文であり、さらに下って第二次大戦後のいわゆる「人間宣言」で昭和天皇は日本にも民主主義はあったことを思い起こさせるために冒頭に引用したということを念頭に置くと、民権の発達を説く書としても大正期のデモクラット植原のイメージからは意外な感じがする。この感は、植原同様にリベラル派の斎藤隆夫も著書『帝國憲法論』で述べていた時にも感じた(後の斎藤は日本の「國體」を表すものとして五箇条の誓文を挙げているが)。もっとも歴史的には植原の解釈が正しく、議会政治や民主主義を五箇条の誓文から取り出すことは政治的アジテーションに過ぎないが、さらには植原のこの著書は、日本の民権は上から与えられたものではなく、民衆が勝ち取ったものだと強調するための著作であると序文に書いてあるから、安易に政府側の声明に正当性をおくのは戦略的に望ましくないと考えたのだろう。そのあたりに、明治期の専制政府、昭和期の軍国主義との対決の中で正統性を天皇に求めて説得するという時代背景と、大正期の獲得するという意思との相違が表れているのかもしれない。

また、政府部内において立憲政体なる問題が主張されるようになったのは明治6年ごろの木戸孝允の建議書としているが、議会制自体は幕末以来の懸案事項で政府内で共通了解であるし、憲法に関しても明治4年の岩倉使節団に参加した時から木戸の調査目的となっていたことは周知の通りである。もっとも民選議院という発想は、現実的政策目標として現れていなかったのはいうまでもないから、植原の発言も間違いではないだろう。

第三章 民権運動

民権運動の嚆矢は、征韓論をめぐる政府内の分裂から、板垣退助らが民選議院設立の建白書を提出したことにある、というのはよく知られているが、これに関しても植原は冷淡である。「這は征韓論の為めに敗北せし在野党が、世論は彼等の主張に同情して居つたにも係はらず、其主張の貫徹せられざりしことを憤激して、在朝有司を攻撃し、世人に訴へて其鬱憤を晴さんと企てし一手段であった」として、そもそも板垣、副島らは武断国権派で、政府の分裂がなければ、民選議院の話などでなかったであろう、と述べている。また明治14年の政変の大隈重信も自らの財政政策の失敗により低下した声望を高めるためと論じているあたり、あくまで明治新政府主導の民権発達を否定し、板垣・大隈という後の二大政党の首領の神話を否定して現実的な権力関係による政治過程を述べるというところに植原の歴史叙述の特徴があるように思える(つづく)。

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猪瀬直樹『黒船の世紀』文春文庫、1998年

近年では、道路公団民営化推進委員として行政改革にあたったり、現在では東京都副知事となり、ポスト石原の最有力候補とまでなった著者だが、出発点は明治大学の大学院で橋川文三に日本政治思想史の指導を受けた人物であり、日本近代史をテーマに扱ったノンフィクション作家であった。

本書は、その恩師である橋川がユーラシア大陸を挟んでの人種戦争の問題を精神史的に追った作品『黄禍物語』に対応するように、太平洋を挟んだ人種戦争の言説をフォローした精神史となっている。水野広徳とバイウォーターという元軍人であったりスパイ経験のあるジャーナリストの軍事知識に裏打ちされたリアルな日米未来戦記と、池崎忠孝とホーマー・リーという屈折した秀才の世間的名声を得るために大衆を煽動するようなそれとの二大潮流があり、後者が勝利を得ていく大衆消費社会のゆがみを描いてくれる。「軍人が国民を引きずったのも事実だが、世論のほうも軍人の思惑を越えて戦争を呼び込んでいたのである」という一文は、正統的な歴史叙述からは脱落してしまうところを拾い上げている。

こういう社会史的な側面とは、歴史教科書に載りにくいので30年も経つと忘れられる。本書で述べられる1908年(明治41年)の米国大西洋艦隊の周航で日本に来日した際の日本の歓迎振りは、ニコライ遭難時の半狂乱したような自粛ムードと同様に恐怖の裏返しだったという。歴史研究者の目で見れば、政府も新聞も「歓迎一色」であり、それを米国に対する恐怖と取ることはできないらしい。しかし、このいじらしいほどの歓迎振りは恐怖の裏返しと見た方が正しいような気がする。もちろん、政府当局者は諸外国で見られる日米戦争必至論を打ち消すためとの演出であろうが、それも恐怖の裏返しともとれる。その直後に、英国を仮想敵国とした連合艦隊大演習が行われている事実が物語っている。ある意味、北京オリンピックの聖火リレーで反対運動が巻き起こった今年の状況というのは、歓迎一色よりも健全な日中関係の裏返しだったのかもしれない。

本書は、水野広徳、ホーマー・リー、バイウォーター、池崎忠孝の評伝として読んでも面白い。水野が第一次大戦をイギリスにて間近に見たことで反戦平和主義者になったというエピソードは面白いし(軍拡主義者であった時の『此一戦』の描写でも十分に反戦の著作になりえる)、芥川龍之介への対抗意識から抜け出せなかった池崎の滑稽さも興味深い。文体を変えれば、博士論文にもなり得た本作にて、猪瀬氏への認識を変えたが、お忙しい現在の氏にはもうこれ以上のものは書けないんだな、と思うとさびしい。

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2008年12月 6日 (土)

植原悦二郎『日本民権発達史 第壱巻』その1

植原悦二郎は大正・昭和期の政治家。前半生は、米国・英国への遊学・留学をし、帰国後は私大を中心に政治学・憲法学を講じ、天皇には統治権はあるが、主権は国民にあるという国民主権論を提唱した。これは親交のあった石橋湛山にも影響を与えた。その後、1917年犬養毅の求めに応じて、立憲国民党から衆議院選挙に立候補し当選。衆議院副議長まで務めたが、翼賛選挙では落選。戦後、鳩山一郎らと日本自由党を結成し、第一次吉田茂内閣で国務大臣として初入閣した。現行の日本国憲法には国務大臣として憲法改正案に副署しているが、非武装規定、衆参議院の同質性、地方自治制度の財源問題、憲法改正が困難というような論点から不賛成である旨を閣議で訴えたが、幣原喜重郎にたしなめられ、しぶしぶ署名したという。

そういう人物が、1916年(大正5年)に上梓し、1958年(昭和33年)に日本民主協会から再刊されたのが本書である。全5巻だが、後半はどうやら植原の筆ではないらしい。とりあえず、読んだ部分をメモ代りに少しずつ感想を書いてみる。

第一章 明治維新の政変

植原は、まず天皇の歴史から書き起こすがきわめて簡単に、最初期の天皇は政権を左右する軍事及び祭祀の実験を握っていたが、時代の推移と共に天皇の近親者に権力が移り、後に武士に統治権が左右されたというように「君主が親しく政権を左右し給ひし事実はないように思われる」という。しかし、一方で「名義上の統治者であった」ことから「政争以外に超越して泰然と在ましませしことと、皇室の連綿たりしことには、深き関係がある」と皇室の存続を願う者はその点を留意すべしと注意を促している。

徳川政権の特徴は、地方分権の専制制度であり、各大小名に領土内の統治権を付与し、封建的地方分権を確立していたが、一方で巧妙なる間諜組織によって、つまり外様大名と譜代大名、譜代大名間の相互監視による牽制を通して統治したことにあるという。それが我が国民の「陰険なる性格、熱烈なる嫉妬心及び島国的根性」を育てたという。

植原は維新の原因を「智的運動」すなわち学問の振興によるという。儒教的大義名分論による史学や国学の誕生による天皇の浮上、洋学の発展による鎖国主義の不可能性など。とりわけ前者の問題に関して、何故幕末期に政治的シンボルとして天皇が浮上したかは今もってもよく分からないそうだが、明治・大正期の歴史観においては儒教とりわけ朱子学の大義名分論が徳川統治を揺るがしたというイデオロギーの側面を指摘するものが主流派を占めていたのかもしれない。フランス革命を「ルソー主義」に原因を求める加籐弘之なども同様の歴史観を有していた。

植原によれば、幕末期の諸政治勢力=攘夷党、開国党、王政復古党や佐幕党も含めてすべての勢力が国内の統一、つまり封建的分権制度の改革という点で一致していたという。当時の欧米人の見解として、名義上統治権が天皇に奉還したとはいえ、軍備も財源も乏しい中央政府に何故諸藩は転覆を企てなかったのか、また財政的援助を惜しまなかったかに疑問を有していたという。しかし、外国からの圧力への恐れが、当時の人々には共通した認識としてあって、とにかく皇室を中心とした国内統一が至上命題だと考えられたから、だと植原は述べる。

また攘夷党が何故開国主義に移行するのに納得できたかといえば、神の如く思われた天皇が夷狄と見なされた謁見したという事件が影響したと植原は述べている。(つづく)

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2008年12月 3日 (水)

DS『采配のゆくえ』コーエー、2008年

関ヶ原の合戦を体感できるアドベンチャーゲーム。

主人公は、どうみても20代にしか見えない石田三成。三成となったプレイヤーは、「戦略」のパートで情報を集め、「合戦」のパートで言うことを聞いてくれない戦国武将たちを「説得」することによって、西軍の勝利を目指す。まさに「逆転関ヶ原」なのである。

と、書いてみたのは、私は本作はカプコンの『逆転裁判』シリーズのスタッフが会社をコーエーに移し、時を戦国時代に変えたのかと思っていたら、特に『逆転裁判』のスタッフが関係していたという情報を得ることができなかった。これって、本当に関係ないんですかね。。

ハッキリいってキャラクターの造形や台詞回し、演出、アシスタントに女の子、ゲームのシステムなどまったく『逆転裁判』と同じである。

ユーザーとしては、面白ければそれで良いので、両者の関係を云々する必要はないのですが、でもまぁさすがコーエーというか、歴史上の関ヶ原の戦いをほとんど忠実に再現しているという感じで、歴史ファンや司馬遼太郎『関ヶ原』などを読んだ人にはよくわかる小ネタが仕組まれており、けっこう楽しめる。私は司馬関ヶ原を読んで、三成頑張れと思った者だが、あそこで描かれていた三成はのろしを上げて督促したり、使者を出したり、自ら説得に当たろうとしたりと、一人気を吐いていた。本作はそうした三成のエピソードを巧みに使って、ゲームとしての楽しさを作り出している。

しかし、難易度は最近のゲーム一般に言えることだが、極めて低い。私のようなやりこまない系でゲームが余り得意でない人間にはありがたいが、一般ゲーマーには物足りないかもしれない。

次回作は、あるんでしょうか。コーエーには『三国志』など多彩なコンテンツがあるのだから、類似品はいくらでもできるだろう。でも、本作の「説得」という手法を使うなら、やはり「説得」本家の『維新の嵐』のリメイクが面白いかな、と。

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2008年12月 2日 (火)

猪木正道『軍国日本の興亡』中公新書、1995年

「軍国主義と空想的平和主義とは、互いに相手の裏返しだというのが、本書の原点であり、結論でもある」

本書「まえがき」の末尾を飾る一文である。つまり、どちらも独善的で国際的視野を欠き、一国主義的である、ということらしい。本書は、「空想的平和主義の克服」のために、その裏返しの「軍国主義」批判の書として書かれている。

対象となるのは、日清戦争から日米開戦まで。本書の歴史観は、いってみれば現在の「体制側」のそれである。国際協調の下での帝国主義政策は、積極的に肯定はしないが、否定はしない。しかし、ワシントン会議における「中国に関する9カ国条約」に締約国として参加しながら1928年6月4日に張作霖爆殺事件を起こし、田中義一首相は陸軍省と参謀本部の突き上げに勝てず関係者を処分できない失態を犯し、その間1928年8月27日の「不戦条約」を締約しながら、満洲事変を画策した関東軍をコントロールできなかった。これら軍関係者の暴走は、明治・大正期にも閔妃殺害事件(実際の日本の関わりはまだよく分からないらしいが)、日露戦争後の満洲駐兵問題、満蒙独立運動などにも見られたが、結局適切な処罰は行われていない。これらが背景にあったと著者は指摘するが、前記の諸問題はまだ国際条約による帝国主義戦争違法化の体制が出来上がっていない状態であり、日本国内の紀律や法の支配が確立していないという問題であるが、「9ヶ国条約」以降は国際政治の問題として立ち上がってくる。そのため、著者は「9ヶ国条約」違反と米国の一貫した対中門戸開放路線(日露戦争後の駐兵問題から一貫していることを著者は繰り返し指摘する)との関係から、「軍国日本」の「独善性」を批判する。つまり、1928年1月1日から日本の侵略行為を訴追対象とするいわゆる「東京裁判史観」と親和的なのである。

本書奥附には「1995年3月25日発行」とある。1995年といえば、終戦後50周年にあたり、有名な「村山談話」(8月15日)の出された年でもある。本書では韓国併合に関しても、伊藤博文の韓国皇帝に対する脅迫めいた言葉を長く引用し、米の生産高の上昇と人口の増加という面に触れつつも、基本的に「韓国人の憎悪」をもたらしたものと指摘し、上記のように中国に対する侵略行為を順を追って叙述している。本書が「村山談話」に与えた影響はどんなものかは分からないが、当時の自民党議員への影響があったとされる猪木氏の著書が、「村山談話」を受け入れる素地をつくったのかもしれない。

本書はその意味で現在の「政府見解」に近い歴史観を提示してくれる便利な本である。私はあまり異存を感じなかったので、自分はやはり「体制側」の人間なのかな、と思ってしまった。一応、アフィリエイトを張っておくが、本書はだいたいBook Offの100円コーナーで売っている有難い本なので、近代史初学者はまず本書を手にとってから、自己の歴史観を形成していくのがいいかもしれない。

余談だが、先日の「朝生」では、司会者から左の席の姜尚中氏や辻元清美氏が相手の意見を聞きつつも説得にまわる大人の対応する「体制側」に見え、右の席の西尾幹二氏が相手の意見を聞き入れず言いたいことだけを言う体制に反逆する革命家のようだった。西尾氏は福田恆在のゴーストライターとして書いた文章(『現代日本思想体系・反近代の思想』解説)などはニヒリスティックでクールなものだったが、ずいぶん変わったんだなぁ。それはともかく、こと歴史観に関しては、左右逆転のようなことが起きているようだった。

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