山田風太郎の唯一とも言える戦国時代を真正面からとらえた「歴史小説」。初出は、『週刊大衆』にて1965年10月2日号~66年12月29日号まで連載。
蜂須賀小六率いる乱波集団・蜂須賀党に属する「猿」と呼ばれた少年は、その容貌の醜さから女にもてず、「戦利品」である女にすら拒絶されつづけ、安女郎や他の仲間たちに使い古された女しか抱くことができない。その後、蜂須賀党から離れた「猿」は、彼らに狙われた姫君に一目惚れして一行を助ける。その姫君こそが、織田信長の妹・市姫だった。その市姫の近くにいたい、自分のものにしたいと考えた「猿」は織田家に仕える。「藤吉郎」と名乗るようになった「猿」は、出世して市姫に近づくため、邪魔者を次々と陰謀によって葬り去っていく。それは、主君・織田信長も例外ではなかった。
山田風太郎の時代小説は、虚実入り乱れ、「実」を丹念に検討した上で、奇想天外な「虚」の世界を形作っていく。本作は、通例とは異なり、「実」をメインに据えた作品である。しかし、ただ「実」を延々と述べていくのではなく、ミステリー的手法を用いて、秀吉の陰謀の密談に多くのページを割いている。「忍法帖」では、最初に実在の権力者たちの陰謀が語られ、それを実現するために忍者が使われ、その忍者たちの死闘がメインに据えられている。本作では、その忍者の部分をカットして陰謀の部分が語られているのである。つまり、『甲賀忍法帖』では後継者争いに忍者を使うことを進言する天海と家康の密談、『伊賀忍法帖』では松永久秀の野心を遂げるために根来忍僧を使うことをそそのかす果心居士と松永の密談、というような部分が次々に述べられていると考えていい。本作で忍者の役割を果たすのは蜂須賀党であるが、彼らの活動はほとんど見えてこない。蜂須賀小六は、秀吉の出世に絶大な役割を果たしているが、その活躍は具体的な記述として表れてこないのだ。これが、「忍法帖」を異史とすれば、本作は正史と位置づけられるところを作者自身が意識的に書き分けていることが表れているところだろう。
本作は、類希な知能と行動力を持った「もてない男」が、権力を握ろうと画策し、独裁者になった場合、どうなるかを描いた小説だ。その文体は、淡々としてしかも暗い。主人公・秀吉も、読者にしてみれば「早く死んでくれ」と思わせるような醜悪で危険な人物として形づくられている。甥の秀次とその妻妾への残酷ともいえる仕打ちは、「もてない男」の「もてる男」と「もてる男」に惚れる女への復讐だという解釈は虚をつかれた感がある。この「もてない男」秀吉が、自分より上位のしかも少女を好む性癖を持つという解釈は、なるほどと思わせ、この現象は現在にも見られるようだから、山風の人間観の秀逸なところだろう。
この秀吉解釈は、大変説得力を持ち、単純な私などもはやこうした目でしか秀吉をみられないほどだが、本作の見所の一つとして山田風太郎の歴史観のようなものを見ることができるところにある。例えば信長の死について、「とりかえしのつかない不幸であった」と述べ
「彼は恐るべき人物であった。しかしそういう人間でなければできないことを彼はしてのけた。「若しも」という仮定は、歴史を見る上で無意味であるが、国家制度の近代化という点はもとより、のちに秀吉が失敗した大陸進出も、若しも信長が生存していて彼の手で行われていたら、或いは或る程度成功していたかもしれない可能性がある。当時の宣教師でさえも舌を巻いた彼の世界の大勢に於ける適確な知識、南蛮渡来の兵器に対する旺盛な吸収力、その天性の非常なばかりの合理性などによってである。/大陸や南方への進出を侵略というだけの見地からみる現在ただいまの風潮からすれば論外の見方ではあるが、しかし現代ヨーロッパの驚くべき豊饒な文明の基礎をなしたものは、彼らのアジアからの富の奪取にあることは歴史的な事実だから、この十六世紀の時点に於て信長を失ったということは、それ以後の日本にとって、事実上想像できないほどの損害を与えたと作者には思われる」(上巻424頁)
とする。私などは信長の恐ろしさに縮こまって光秀の謀反を肯定的に見ている方だが、やはり風太郎先生は第二次大戦下の不合理がまかり通った日本を体験しており、その不幸を目の当たりにしているがために、信長への好意が表れてくるのではないかな、と思える。信長ファンに戦中派が多いのは、そのあたりにあるのではないだろうか。
この戦中派としての意識が色濃く出ているのは、小牧・長久手の戦いは徳川家康が自分を高く売るための戦いであって、勝つつもりのないものだったというところで、
「太平洋戦争全体をひとなぐりと見れば、あのむちゃくちゃぶりが、戦後の日本をどれほど高く世界に売りつけることになったかわからない。無軍備と称してそれが必ずしも近隣諸国にあなどられず、またアメリカがのどから手が出るほど日本軍の助力を望みつつ、あえてそれを強制しないのは、いずれも軍国日本の再現をさらに厄介なものと見ているからである。アジアと太平洋であばれ死にした数百万の日本兵は決して犬死ではなかった。―とはいえ、それはなんという大犠牲であったか」(下巻111頁)
と、述べるあたり、徴兵検査で体格不適格とされ、戦わずに戦後の平和を享受しえた風太郎の、戦場に散った同世代の者たちへの負い目を語ったものだろう。しかし、これほどの慰霊の言葉もないないだろう。
本作には、ところどころに「戦中派天才老人」山田風太郎の戦中の日本への嫌悪感と愛惜が述べられているように思える。そこにこの小説全体に暗さや悲しさが通低しているように思えてならない。本作になにかと第二次大戦下の日本についての言及がなされているのは、『中央公論』1963年9月号~65年6月号に林房雄が「大東亜戦争肯定論」が連載され、この時期「あの戦争」の問題が論壇でかまびすしく論じられたことの余波であり、風太郎先生なりに何かいわなければならないということの表れではないだろうか。
登場する主な歴史上の人物
豊臣秀吉、蜂須賀正勝、明智光秀、石川五右衛門、織田信長、北の政所、お市の方、前田利家、安国寺恵瓊、柴田勝家、丹羽長秀、徳川家康、浅井長政、竹中重治、織田信包、織田長益、織田信忠、織田信雄、織田信孝、足利義昭、蒲生氏郷、石川数正、酒井忠次、稲葉良通、京極竜子、森成利、森長隆、小早川秀秋、大野佐渡守、大蔵卿の局、お種の方、滝川一益、佐々成政、黒田孝高、石田三成、小西行長、波多野秀治、斎藤利三、直江兼続、明智秀満、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景、羽柴秀勝、佐久間盛政、加賀殿、淀殿、前田利益、服部正成、池田恒興、豊臣秀次、三の丸殿、姫路殿、長束正家、朝日姫、千利休、豊臣秀長、大谷吉継、片桐且元、豊臣鶴松、伊達政宗、大野治長、加藤清正、福島正則、前田玄以など他多数。
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