2008年6月28日 (土)

安彦良和『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』第17巻、角川書店、2008年

副題は「ララァ編・前」。

本巻は、アニメ版屈指の名場面ばかり。

副官ドレン大尉の戦死。「やさ男」カムラン。ガンダムのことを一番わかっている父さん。ララァとの邂逅。「この人は本気なんだよ、わかる!?」のスレッガー。「礼の一言くらい言ってほしい」シャア。「かしこい」ララァ。「ななあつ」のアムロなどなど。

これだけの名場面を一巻に入れてしまうのは、贅沢のようだが、逆に言うと安彦先生は、このあたりに大して思い入れがないのだろうか。また、やはり、本作を漫画として読むと違和感があるのは、アニメのような動きのある絵が静止画としてコマにおさまっているからだろうか。一コマ一コマに動きがあるのに、さらにコマわりがアニメのセル画を並べるような配置になって、一つ一つの表情の変化をすべて書き込もうとする場面があったりする。安彦先生の絵は、一つでその情景すべてを語るような叙情的な表現をできるものだと思うのだが、あえて動きを作ろうとしているのは、かつてのいしかわじゅん氏の批判を気にしすぎているのだろうか。私は、記号的であっても安彦先生の絵が好きなんだけどね。しかし、シャア一人異常にカッコいいなぁ。

今日の一枚

Kids In Glass Houses『Smart Casual』2008年

エモ系の新人。全体的に疾走感あふれるカッコよすぎるアルバムで、そのドキャッチーさが、すぐに飽きるんじゃないかと心配だが、しばらくは楽しめそう。個人的にはsyrup16gの「生活」のイントロを思わせる「Dance All Night」がお気に入り。

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2008年4月 2日 (水)

村上もとか『JIN-仁-』集英社

歴史漫画というものには、あたりハズレがあって、手にするのにどうも勇気がいる。読めば面白いのだろうけど、手にしてガッカリという徒労が歴史好きなだけに重くのしかかるのだ。

今回読んでみた本作は、あたり!面白すぎる。現代から過去のある時代にタイムスリップしてしまうという話もこれまでにもいくつかあったが、一体どのような職業の人間がそこにいれば役に立ち、また当時の一流の人物と交わることが可能か。作者が出した答えは、医者だった。これはたしかにそのとおりだろう。村上もとかといえば、私の世代では『六三四の剣』だったりするし、その後『龍-RON-』とかで剣客漫画を描いてきた作者とすれば、現代の剣道大会で優勝するような警察官がタイムスリップして、幕末の剣豪と渡り合う話になってもいいだろうに、今回は医者。まぁ、やっぱり、一目でこの人凄いと思わせたり、恩義を感じて世話をしてくれるような人が現れる職業は、医者であろうし、その中でも外科医だろう。その時点で、勝ちである。政治学者や歴史家や科学者などは、役に立つかもしれないが、時代の立役者たちとうまい具合に出会えるような場面を作り出すことは、よっぽど作者の都合のいい作為がなければ、できるものではない。幕末の日本では、洋学といえば医学であったように、先端技術や知識は医学から入ってきたのだから、そのあたりも都合がいい。

で、この漫画では、幕末のヒーローたち、勝海舟、坂本龍馬、緒方洪庵、松本良順、西郷吉之助、近藤勇、沢村田之助などが登場するのだが、この作者のすごいところが、かれらを出来るだけ、残っている写真から忠実に描こうとするところ。一番衝撃を受けたのは

沖田総司

である。いわずと知れた新撰組一番隊組長の沖田は美男剣士として知られ、数々の漫画に描かれ、世の漫画好き女性を魅了してきたのだが、今回の沖田は、この誰もが見てみぬふりをしてきたあの恐るべき想像画をモデルにしているのだ(コレ)。

この画がどのような由来で描かれたものかは知らないが、これをモデルにして沖田を描いた漫画家を私は知らない。これだけでも凄い。しかも、この顔でこれまでの沖田像そのままに無邪気で爽やかな青年として造形しているのである。村上先生は偉大である。

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2008年3月 4日 (火)

『ドラゴンボール』再読

R藤本を見ていたら、どうしても「オレは超(スーパー)ベジータだ!!」が見たくなって、完全版全34巻通して読んでしまった。

何度読んでも面白い。かの荒木飛呂彦先生が、「好きな漫画を三つ挙げてください」との質問に、白土三平、梶原一騎を熱く語った後、「横山光輝か?」と思いきや、おもむろに「あとは『ドラゴンボール』かな」とつぶやいて、ジョジョのカルト性=白土、王道性=梶原につづいて、大衆性=ドラゴンボールという要素を見せてくれたことを思い出す。やはり、日本一有名なカルト漫画を描いている荒木先生ですら、『ドラゴンボール』は否定できない面白さがあるのだろう。

本作は、もともと西遊記をモデルにした冒険物と孫悟空とブルマのラブコメを描くという予定もあったようだが、結局のところ、格闘漫画へと変貌を遂げ、世界どころか宇宙を救う救世主伝説へと変っていった。

再読して思ったのだが、こうした路線変更のターニングポイントは、桃白白だったのかな、と。それまでの『ドラゴンボール』はあくまで怪物君の孫悟空という存在があまりに大きすぎて、ライバルといえるような者は皆無なギャグ漫画だった。それが桃白白の登場により、圧倒的な強さ、登場人物の死、短期間の修行と再戦による勝利、ドラゴンボールの道具化というパターンが始まる。桃白白の登場が、この漫画の神話化の始まりだったといえよう。

また、Wikiで見て知ったことだが、サイヤ人篇から担当が代わったというのも大きな変化だったらしい。この担当氏は、少女漫画誌出身の編集者で『ジャンプ』の女性ファン獲得の流れを『ドラゴンボール』で作ろうとしたらしい。たしかに、ラディッツの登場は同時代の読者としても衝撃的だった。これまでの『ドラゴンボール』の美男子キャラはヤムチャだった。通常、少年漫画の文脈だと、日本刀とか剣を使うキャラクターは、クールな美男子が多いものだが、初期『ドラゴンボール』で現れたのは、ヤジロベーであり、ムラサキ曹長というイマイチな者たちだった。そこまでキャラクターに抑制的だった鳥山明の作品に、ラディッツという戦闘服に身を包んだカッコイイキャラが出てきたのだから、結構びっくりしたものだった。しかも、その後、ベジータやザーボン、トランクス、19号など、その後の鳥山明のイラストの美男子キャラが登場するようになる。ピッコロと孫悟飯との関係もそうした文脈の中で見ることができ、編集者の力が作品を変えた例が見られ、その後の『ジャンプ』の編集方針まで変えてしまったと見ることができる。

保守本流の『ドラゴンボール』ファンは、ピッコロ大魔王篇までが面白いと考え(作者自身もそうだったらしい)、ラディッツからセルまでの緊張感あるストーリーに魅かれるのは、編集サイドのマーケティング能力の勝利といえる。私は、現役の読者だった時には、グレートサイヤマンあたりで読者をやめていたのだから、やはりマーケティングに負けていたといえる。ブウ篇以降は、担当交代により作者がイニシアティブを取り戻し、もう辞めたいという雰囲気を漂わせつつ、自由にやり始めていた面があったからだ。やはりやめ時は難しい。私はフリーザまでは物語の進行上必要だったと思うが、セル篇までが限界かな、と思ってしまう。ラスト近くで15代前の界王神が「やれやれ、また、ドラゴンボールか、ふう」とつぶやくが作者のため息のように聴こえてしまう。

まぁ、何にしても何度読んでも面白い漫画であることは確かだ。

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2008年2月27日 (水)

新刊漫画

ざっと読んだ新刊漫画の感想。

村上よしゆき『新約「巨人の星」花形』第7巻、講談社、2008年

紅洋高校野球部の2、3年生対新入部員の対決で、1年生につらく当たる副キャプテンとキャプテンの過去を描くことで、その意味が明らかにされる。シニアで四番を打ち、チームをベスト4に導いたとされる芳賀君が実は名門・帝都高校野球部に入れないほどの実力しかないということで、何で弱小高校の先輩方に歯がたたないのかという疑問はとけたものの、またやってしまいましたね、この漫画。一番の見せ場、花形のランニングホームランのクロスプレー、捕手の足を軸にホームインするって、また『MAJOR』から拝借したようです。いいのか、これで。でも、もう『MAJOR』は現在の野球漫画の代表となってしまったから、もはやこれからの引用は今後避けられないのだろうか。村上先生、月刊誌にでも移って、じっくり描いてください。

藤原カムイ『ロトの紋章~紋章を継ぐ者達~』第6巻、スクウェア・エニックス、2008年

恥ずかしながら、藤原カムイのドラクエシリーズはまだ読んでしまうんですね。中学の時に読んだ『雷火』があんまりにも面白かったものだから、藤原カムイ作品は読み続けてしまうんだな。はっきり言って、表現は古いし、青臭いしで、『ロトの紋章』と『アンラッキー・ヤングメン』ぐらいしか面白いものはないわけですが、彼の絵が好きなのとドラクエ裏歴史をここまで書いてしまったわけだから、最後まで見届けようと。今回も進んでいるんだか、そうでないんだかで、前作で大賢者だったポロンが海賊王になってたりと、前作を読んでないと何も楽しめないんですが、いいんです。特にお薦めはしません。私の個人的な楽しみです。

鈴木みそ『銭』第6巻、エンターブレイン、2008年

待望の新刊。前回のエロ業界のお話の完結編と葬儀の値段前篇。今回も勉強になりました。素人ナンパ物の出演料は、顔消しで5万、顔出しで6~10万。単体物だと制作費40~80万で女優の取り分は半分ぐらい。素人の方は、ずいぶんと安く、単に身体を売るではなく、映像として半永久的に残るものにそれぐらいのお値段とは驚く限りですが、彼女たちは映像は残ってしまうという現状にどれだけ自覚的なのだろうか。売れっ子になると月に20本ほど撮るらしいから月収600万とされるが、女優人気は1年もてば大物とされる業界で20本もあれば、それ以上の収入は難しいだろう。なかなかギャンブルな業界だが、出演するものたちは後を絶たない。お金を稼ぐのは大変なことだ。それでもって、製作者側の方は、インターネットに押されてジリ貧状態。今後は質が落ちるのか、安くても出てくれる出演者が増えるのか、この業界も正念場です。葬儀の方は、人の死というものは高くつくようです。一番安いお棺で、お別れなし、見送りなし、坊さんなしで8万4000円。行灯一つで20万もする業界だと人並みの葬儀には250万もかかるのだという。お香典という奇妙な制度も、これだけかかるのだからお互いの助け合いとして必要なのだと再認識。これだけ金のかかることをしなければならないのだから、自然死、事故死は仕方ないとして自殺は本当に迷惑をかける行為だということを知っておいた方がいい。

さくらももこ『4コマ ちびまる子ちゃん』第1巻、小学館、2008年

どうやら『ちびまる子ちゃん』が『東京新聞』とかに掲載が始まったということを耳にしたが、ついに単行本化。最近、アニメの方は毒がなくなって『サザエさん』化してきたので観ていないが、やはりさくら先生の描く『ちびまる子ちゃん』は違う。面白すぎる。4コマになってからの活躍が著しいのは、藤木。本当は大して卑怯ではないのに卑怯と蔑まされ、この作品でほぼ唯一内省的な人物である藤木は、ギャグ漫画の中でも稀有な存在だろう。その存在が遺憾なく発揮されているところに、私は喜びを禁じえない。さくら先生は、4コマがうまいなぁ。ウニの話なんて、よく朝刊でできるよなぁ。まだまだパンクな精神が健在です。個人的には、妻を虐げながらも町の川の清浄化に勤める川田守さんの登場を期待。ちなみに私は自分の顔を似顔絵で描くと藤木に似ている。

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2008年2月22日 (金)

水木しげる『神秘家列伝 其ノ一』角川ソフィア文庫、2004年

現在放送中の『墓場鬼太郎』が、あまりに面白く、原作本も現在第3巻まで順次購読中だが、同じ水木コーナーにこんなものを発見して読んでしまった。

本作で取り上げられている人物は、スウェーデンボルグ、ミラレバ、マカンダル、明恵。これを全員知っていた人は大した神秘家です。私は、スウェーデンボルグを石ノ森章太郎『サイボーグ009』の「海底ピラミッド編」でタイムトラベラーの宇宙人が変装した一人として現れており、その後新書本で彼の思想にふれたがまったく覚えていない。あと、明恵は名前ぐらい。他の二人は知りません。

面白かったのは、「マカンダル」。彼は、ハイチ革命の前夜、ブードゥー教の司祭として奴隷の指導者となり、飲み水に毒を入れて白人約6000人を殺害したという恐るべき人物。ハイチといえば、ハイチカレーというぐらいの貧困な知識しか持ち合わせていなかった私にとって、北半球における米国に次ぐ植民地独立革命が行われていたとは知らなかった。しかし、ブードゥー教といえば、ゾンビという発想しかないが、このゾンビというものも本来は死者を甦らすものではなく、一時人を仮死状態にさせ自分の意志で生きられなくするという一種の「奴隷」のようなものらしい。ブードゥー教がオドロオドロしい宗教だとされたのも、マカンダルをはじめとする黒人奴隷の反乱のよりどころとされたために、白人側が、またはハイチ政権側が作りあげたものだったという。まんまと騙されていました。

あと、明恵の描写も面白く、性欲に悩まされて「捨身」して自殺を謀ろうとしたり、耳を切り落としたりと聖人伝説のウラに性欲アリとの描き方は、神秘は信じても人間なんてこんなものという水木先生のクールな視点が光ります。

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2008年2月19日 (火)

CG映画と漫画

CGアニメ映画ってのがありますが、あれはどうなんでしょう。BOOM BOOM SATELLITESの曲が使われているということで、曽利文彦監督『ベクシル 2077年日本鎖国』を観てみた。

結論からいうと、つまらなかった。何故つまらないかといえば、まずやはりあのCG画がダメだろう。質感のない風体と不自然な動き、そして誰が描いても同じような顔になってしまうキャラクター。どこにでもあるような演出、セリフ。一企業いや一個人の野心による世界危機というSFにありがちなストーリー。まるで無個性をめざしたかのような作品。これが果たして最新作といえるのかと目を疑ってしまう。

しかし、何故CGにしたがるのだろう。米国のアニメ市場がCG化していくのは何となく分かる。あちらのコミック・アニメは子供と動物は記号化しているが、大人の人間はあくまで人間のかたちをしており、写実的なのであるから立体的に表現できるCGが好まれるのは、当然であるといえるが、日本の漫画文化は、人間を記号的に描くことに特徴があるのだし、読者もそれを受容している。だから、CGが導入される時代に入っても、日本のアニメ市場は二次元のままだ。そして、その二次元の画でこそ、作者のオリジナリティが発揮できている。米国のコミック文化は、もともと作家のオリジナリティはなく、企業として、チームとして作品を生み出すことになっているから、個々のキャラクターには個性があるが、全体として眺めた時に、みな同じ雰囲気を持っている。

そうした中で本作をみると、作画の単調さにあわせるかのような、演出・セリフ・ストーリーの単調さ、無個性が現れてきてしまう。そもそも私がSFを楽しめないタイプであることにあるのかと思われるが、面白く感じない。笑いもないし。『ピンポン』をつくった監督が一体何をしたいんだろうか。

浅野いにお『おやすみプンプン』の第2巻を読んだ。この作品、一部で人気あるようですね。新宿のTOWER RECORDで「おやすみプンプン入荷しました」というポップを先月見つけて、こういう層に人気があるのかと、分かるような驚くような気がしたが。前巻にくらべて、異常な印象が足らないのは、慣れたせいかと思うが、そこに目を奪われない分、現実的にありうべき日常を過剰な演出で描いている青春漫画の雰囲気を感じ取れるようになった。ストーリーは小学生篇から中学生篇へと移行し、章替えのところでプンプンが人間の形で描かれるのかと思わせる演出をしながら、そのままという作者の意地をみた感じがする。

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2008年2月15日 (金)

邦画2本・漫画1冊

新作レンタルを2本観た。

1本目は、『キサラギ』。監督は佐藤祐市、脚本は古沢良太、出演は小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、香川照之。

謎の自殺を遂げたD級アイドル如月ミキ1周忌にファンサイトで出会った5人の男を描いた密室劇。密室劇って、映画でやる必要が、また映画館で観る必要があるんだろうか、とか思いつつ、きっと面白かろうとレンタルを待っていた。観てみてやはりハズレではなかった。次々に現れる登場人物と、彼らの正体、徐々に明らかにされる事件の真相、そして最後にやっと顔を見ることのできる如月ミキ。最後まで飽きさせない演出が効いているが、別に映画としてそれほどすぐれているわけでもないし、三谷幸喜とかが苦手な人には向かないだろう。でも、面白い。気楽に観られる映画。

2本目は、『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』。監督は三池崇史、脚本は三池とNAKA雅MURA、出演は伊藤英明、佐藤浩市、伊勢谷友介、安藤政信、石橋貴明、木村佳乃、香川照之、クエンティン・タランティーノ、桃井かおりなど。

壇ノ浦の戦いから、数百年後、源氏も平氏も落ちぶれて、ギャングに成り下がっている時代に、平氏の財宝の眠る村で両者の争いがおき、そこに凄腕ガンマンが現れる。これも観たかったが機会を逃しました。話としては以上のとおりであるが、裏ストーリーとしては、タランティーノ『キル・ビル』のビルと主人公の関係が別で子供も生きていたら、というような仕掛けがあるように思える。タランティーノは「ビリンゴ」だし、桃井かおりはアレだしね。しかし、映画としてはむちゃくちゃで、最後の桃井の活躍をみるとそれまでの悲劇は何故起きたのか、よく分からなくなるし。でも、いいのです。むちゃくちゃなのが、いい。石橋貴明は、どうみても芸人にしかみえず、俳優としてのキャリアが長いのに違和感があるが、他の役者はいい演技している。香川照之は、『キサラギ』でもそうだけど、いい役者だなぁ、『渡る世間は鬼ばかり』に出ていた時は精彩を欠いた人だったのに。安藤政信の凋落ぶりにやはり『RED SHADOW 赤影』は大きな作品だったのだな、と思わせる。最高なのが、清盛(ヘンリー)役の佐藤浩市だね。この人が出てきただけで笑える。これも気楽に観られる映画です。

漫画は、『Y十M 柳生忍法帖』第9巻。山田風太郎『柳生忍法帖』を忠実に再現している恐るべき作品で、結末を知っている身にとっては、ちゃんとやってんだなと確認するような感じで読んでいる。ストーリーは、芦名銅伯と南光坊天海が双子で、二人の生死が一蓮托生だと知って、銅伯を倒すことに絶望した沢庵が降伏するが、柳生十兵衛が「徳川家も滅んで結構」と啖呵をきる場面。ずんずん進んで、はやく次回作であろう『魔界転生』が読みたいなぁ。

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2008年2月12日 (火)

南條範夫・原作/山田貴由・漫画『シグルイ』秋田書店、2004年~

話題にはなっていたが、なかなか手が伸びずにいて、ほうっておいたが、ついに読んでしまった。面白い。ここまでやるか、という肉体と残虐な描写。発想としてはあっても、現実に乳首を指でつまんで切り取るとか、腹をつかんで臓物を引き出すとか、初めて画でみた。こんなもの描いてしまう人がいたんですね。怖い。けど凄い。

舞台は、徳川時代初期。徳川家光との後継争いに負けて、精神に異常をきたしている残虐な暴君徳川忠長は、武芸者の真剣による殺し合いを見てみたいと、御前試合を設ける。出場剣士11組22名、敗北による死者8名、相討ちによる死者6名、射殺2名、生還6名、内重傷2名という惨憺たる結果に終った御前試合の第一戦目は、同じ道場に学んだ因縁のある、隻腕の剣士・藤木源之助と盲目で片足が不自由な伊良子清玄。物語は、彼らが出会う遠江国岩本虎眼道場から始まる。

本作の主人公は、藤木と伊良子であるが、読者の視点は、夜鷹の息子で最底辺から成り上がろうとする天才剣士の伊良子ではなく、藤木よりのものとなっている。原作がどうなっているかは分からないが、野心家の伊良子はかなり悲劇的な人物で、『ベルセルク』のグリフィスのような存在だが、伊良子へのリンチに加わっている藤木が主人公になり得るのは、御家大事と考える愚直さが誠実さに見えるのに対し、伊良子のあまりに破壊的な野心のためだろう。しかし、それにも増して、彼らの運命を変えてしまう魔人・岩本虎眼の存在感が凄まじい。濃尾無双を名乗り、将軍指南役の柳生宗矩をも凌駕する実力を持ちながら、300石の扶持に甘んじている。そして、この物語の時代には、すでに精神が「曖昧」な状態で、狂気を発している。この不気味な人物を造形したところで、本作が傑作になりえた理由であり、原作では30頁程度という第一戦が、すでに単行本9巻にまで及ぶ大作になってしまったのも、彼の存在感のためだろう。これ以上書くと完全なネタバレになるからやめときますが、いやー、つづきが気になります。

余談だが、原作者南條範夫は、國學院大學や中央大学の教授を歴任した学者小説家で、『願人坊主家康』説(林羅山が言及している出生の異説)を採用したことで知られているが、本作でも何の説明もなく、これに言及していることに驚く。読者は、みな『影武者徳川家康』を知っているのだろうか。また同時期に連載が始まった『センゴク』の描写でいちやく有名になった豊臣秀吉「指六本」説もふれられ、岩本虎眼の人物造形にも使われているのをみると、異説を採りいれた原作者へのオマージュの意味もあるのかな。

今日の一枚

Radiohead『In Rainbows』。新作を出すたびに今年最大の傑作になってしまうレディオヘッド。何か、彼らを好きだとプロフィール欄にでも書いておけば、ロックが分かっているとか、カッコイイとかいう雰囲気のある、口に出してハズレのないバンドである。しかし、私はいまだにその魅力をつかめていないカッコ悪い人間です。かといって毛嫌いしているわけではなく、全作品持っていて聴いている。だが、いいものなのだとは思うが熱狂的に好きになるというものにならない。私が好きなのは『The Bends』で次が『Pablo Honey』で、あと『Hail To The Thief』のジャケットがスイスの画家パウル・クレーに似ていて好きだが、それ以外はイマイチよく分からない。それなのに、売れている。純粋な音楽ファンにだけ受けているというなら、分かる気がするが、大衆的な人気を博していることに驚く。みんな本当に聴いていて楽しいのだろうか、ファッションとしてハズレがないからだろうか。分からない。しかし、レディオヘッドのおかげで自分が音楽の分からない野暮な男だとやっと気づいたので、EXILEさんとかコブクロとか聴いている人に眉をひそめることはなくなりました。結局、音楽の好さなんか、好きか嫌いかなのでしょう。しかし、音楽の分かるクールな方々には本作はお薦めです。

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2008年2月 2日 (土)

永井豪『デビルマン』講談社、1997年

永井豪の絵に拒否反応を起こして、なかなか読む気になれず、書店で手に取った時、最終巻の美樹ちゃんの惨殺シーンをみてしまい、アニメの『デビルマン』で育った私は、ショックを受けて、やはり読むことができなかった。

で、今回、ついに読んでみたのだが、凄いね、圧巻です。こんなに話を広げちゃって、いいのかよ、と思ったが、ちゃんとおさまっているし、バトル漫画、ホラー漫画、SF漫画、伝奇漫画、腐女子漫画といったあらゆるジャンルの表現が36年も前の漫画にそろっている。凄すぎちゃって、私なんぞが何か論評するなんてできません。凄いから、読むべきとしかいえません。

でも、サタンがデーモンの地球を守るために神と闘っていたというオチだが、全体を束ねて闘えるほどのカリスマがいるにもかかわらず、また全体に対する共感のような感情があったり、恋愛感情があったりするのは、最初のデーモンには「愛」がなく、戦いだけが生甲斐の暴力の歴史という設定と多少の矛盾がないか、とか思ってしまう。だが、これも飛鳥了=サタンが、不動明をデビルマンにするための恐怖感を与える偽りの記憶だったと説明されれば、まぁ、そうかとも思えるのでいいのだろう。

また、これだけの名作だが、連載は一年で、後半の最終戦争が1話分ぐらいで終っているのは、どういうことなのだろう。連載時はあまり人気がなかったのか、それとも作者の意向で終らせたのか。どっちなのだろう。で、オマケで途中にくっついている『新デビルマン』の話は、格段とつまらないんで次の再出版の際には、別の単行本とした方がありがたいような気がする。

今日の一枚

capsule『Sugarless GiRL』(2007年)

今現在のおしゃれポップな音を奏でるユニットであるらしいcapsuleの作品。私はこれを初めて聴いたのだが、ずいぶんと分かりやすいメロディのテクノポップで、歌も心地いい。けっこうはまります。しかし、テクノの分野って、どこかで聴いたことのあるメロディをサンプリング(?)的に使用されているが、これは別にいいものなのだろうか。

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2008年1月30日 (水)

梶原一騎・川崎のぼる原作/村上よしゆき・画『新約「巨人の星」花形』講談社、2006年~

最近は久米田康司『さよなら絶望先生』は読んでいるものの、『少年マガジン』って、読まない雑誌なんだよね。その理由を考えるに、おそらく10年後にも読みうる傑作漫画がない、というところにあると思う。たしかにかつては『巨人の星』、『あしたのジョー』、『デビルマン』など、超一級品を生み出したのは『マガジン』である。しかし、私が漫画を読み始めてからの『マガジン』で、そうしたものって生まれているだろうか。『はじめの一歩』、うーん、最初の方は読んでいたけど、これが漫画史に残る大傑作とはいえないよなぁ。『金田一少年の事件簿』、これはたしかに現在でも連載しているらしいし、読みうる作品かもしれないけど、何かが足らない。今だと『ネギま』が代表作だろうけど、私は萌漫画は読まないので、評価はできない。

思うに私の勝手な印象では、『ジャンプ』=普通の人とオタクが読む、『サンデー』=オタクが読む、『マガジン』=普通の人が読む、という図式があるような気がする。ここでいう「普通の人」とは、年をとるに従って漫画を読まなくなる人、もしくは後に青年誌に移るが雑誌派で単行本を買わない人、「オタク」はいつまでも漫画を読み続けて雑誌よりも単行本を買う人、という意味で深い意味はない。で、『マガジン』読者は、雑誌掲載作品は、暇つぶしに読むのだが、単行本は買わないので、作品への思いいれはなく、単行本が売れないと他への影響力はないし、思い入れがないので作品を語る人もいない、ということで名作が生まれにくい、ということになるのではなかろうか。まぁ、実際、雑誌自体を読んでいないので、大した根拠はないので、そんな印象を持ってしまう。

で、『花形』である。いわずと知れた『巨人の星』の花形満を主人公にした「新約」作品である。作品の内容自体は、画は『マガジン』らしい綺麗な絵で読みやすいし、ストーリーも『マガジン』らしい不良漫画テイストとスポーツ漫画の王道らしく人間関係を軸にしたよくできたものである。だから「面白い」といえる。花形は、現在の美男の基準で描かれているし、無免スポーツカーではなく、バイクとしたところもカッコイイし、星飛雄馬が出てくるところは、かなり興奮する。私もすいすい第6巻まで読めてしまった。私は野球漫画が多分好きなんだろう。

しかし、どうも気になるところがある。それは、作家の問題というより、編集者の問題といえようか。安易によそからのストーリーやセリフを拝借したりするのが、ミエミエなあたりが気になる。たとえば、髪型をバカにされるとキレる不良は『ジョジョの奇妙な冒険』の仗助だし、花形が中学の野球部に入ろうとすると、そこは不良の溜まり場で、キャプテンが使い走りに使われるところでの理由が、部員に辞められると野球部が廃部になる、というもの。これって、『MAJOR』の小森君のエピソードそのままじゃないか。野球の道を断たれて、逆恨みして不良とつるんで部を廃部させようって『スラムダンク』の三井君じゃないか。あと、最近では花形が唐突にまだ大して信頼関係を築いていない自信のない投手を説得する際、「お前が信じる、俺を信じろ」って、『グレンラガン』のカミナでしょう。オリジナルなんてものは、世の中にほとんどないのは当然だが、あからさまにパロディと分かるものでもなければ、分からないように自然に使われるものでもない。何かこういう安易な拝借をしてしまうあたりが、『マガジン』の体質のような気がしてならない。

かつて、『マガジン』に『TENKA FUBU 信長』という作品が連載されていて、竹中半兵衛登場の際、彼の軍師としての能力を紹介するエピソードとして、女官を軍事演習に使って、ふざけていた女官を斬り殺して軍の規律を示すというシーンがあった(その後、ホントは殺していないということになっている)。「これって、孫子じゃん」って、ツッコミを入れた読者も多かったと思うが、こんな有名なエピソードを平気で入れられる作者と編集者の態度に私はあきれたものだ。どうも『マガジン』って、読者をバカにしたような、その場しのぎのつくりをやってしまう雰囲気があるような気がしてならない。これが、読者が雑誌読者で単行本で読み返さないというのを想定しているかのようなやり方である。だから、どうも名作が生まれにくい構造があるんじゃないか。

本作『花形』は、けっこうつづきの気になる面白い方の漫画だ。だから、もう少し慎重に育てて欲しい。私はそれほど原作に思い入れがないので、「原作の冒瀆」とは思わない。でも、あまり読者をバカにするような作品にはして欲しくない。

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