赤城徳彦農水大臣が辞任した。先の参議院議員選挙の自民党大敗の原因は、何にも増してこの赤城問題であろう。選挙前、一週間ほどは大方の予想通り、年金問題は背景にひき、連日、赤城大臣の「顔」がテレビに映されていた。政治に対する国民の不信や怒りは、いつも「カネ」にまつわるものである。年金問題で納付したのに給付されないという不安が広がり、無駄に搾取されていると考えた国民からすれば、社会保険庁だけでなく、政治家の金の扱いが杜撰となれば、その怒りが投票行動に結びつくのは当然である。
今後の安倍内閣であるが、メディアの予想を反して、各種世論調査では、安倍首相の続投への支持・不支持は半々であるという。別に参議院選挙が政権選択の選挙ではないという形式論を理解してのことではない。おそらく、安倍首相本人が嫌いな人が不支持の大部であり、安倍内閣支持者(約30%)と安倍首相個人のファンであるが内閣は支持しないという人(約10%)、安倍首相の方が選挙に勝ちやすいと考える野党支持者(数%)が支持した人の内訳であろう。では、今後の安倍首相は何をすべきか。
まず第一に、わかりにくいカタカナ用語を使わないことである。現在の高齢化社会においては、有権者の多くが高齢者であり、すでに彼らの時代からカタカナ用語は氾濫していたとは言え、新しいカタカナを使われてもそれを調べて理解しようとする努力を彼らはしない。結局のところ、安倍首相の売りは保守主義にあるのだから、保守的な高齢者を支持者とみなければならない。若者の保守化が進んでいたとしても、彼らが保守や右翼に魅かれるのは論壇やインターネットで好まれるラディカルさの競争の中で最も先鋭なものが保守的な言論であったという一時期の現象あって、保守主義そのものに魅力を感じたのではない。また、慰安婦問題での「広義の強制」、「狭義の強制」など、「ああ、朝日新聞がいってたあれね」と受け取るのは、よっぽどのマニアで、一般人には何を言っているのかわからない。もはや一部の人だけに通じる言葉は使うべきではない。
第二に、メディア対応である。メディアの安倍政権への攻撃は、たしかに異常な部分はある。しかし、外部のものがそれをいうのはいいが、政権側がそうした認識を持つべきではない。そもそも原因は、政権側にある。発足当初の安倍政権は、初めからメディア対応を誤り、その関係がギクシャクしていた。それは、首相のぶら下がり会見を、小泉政権では午前と午後の二回としていたのを、一回に変えたことだ。安倍首相は、そもそもメディアに執拗な攻撃を受けていた政治家で、そのことからメディア不信を感じていたことは理解できる。しかし、自分が自民党総裁に選出されたのは実力ではなく、人気であったことを謙虚に思い出すべきだ。その点を理解していた小泉前首相は、ぶら下がり取材を会見へと制度化し、しかも二回にした。それによって、どうでもいいワイドショーのネタになる質問にも気軽に答えるいいおじさん且つ国民と同じ感覚を持つ政治家というイメージをつくりあげた。
メディア対応で考えられるもう一つの点は、あのカメラ目線である。別に違和感があるとか気持ち悪いからとか言う意味ではない(それもあるが)。まず事実としては、カメラ目線をしている時は支持率が落ち続け、やめてしばらくすると支持率が浮上し始めた。それでまたカメラ目線になると、また落ちた、という相関関係があった。次に、安倍首相はカメラ目線の理由を「国民に直接語りかけたいから」とまたメディア不信からくる発言をしている。しかし、安倍首相が語りかけているのは、メディアが用意したカメラであって国民ではない。しかも、その映像は生でそのまま放送しているのではない。カメラに映った映像は、メディアが編集して放映するものだ。だから、カメラに向かって話しかけても首相の言葉は、国民に直接ではなく、メディアの編集を通してなされるわけだ。それなのに、記者が質問しているのに記者をないがしろにして、カメラに向かう姿勢は記者の気分にどういう影響を与えると思っているのか。記者は、あまりいい気分ではないだろうし、反感を持つだろう。そういう現場の気分が、テレビや新聞の編集に伝わるのは当然のことだ。記者を無視してカメラに向かうなどの佐藤栄作ばりのつまらないことをするよりも、教育改革の一環として小中高のカリキュラムにメディアリテラシーの授業を盛り込むよう計画する方が迂遠だが、よっぽど意味のあることだろう。
第三に来月行われる内閣改造である。安倍首相は、選挙の結果を「人心一新しろとの声」と受け取ったようである。これはおそらく赤城農水大臣のことを念頭においての発言と思われる。先の世論調査をみても、そういえないわけではなさそうである。と、すればここは思い切った改造をやって欲しい。従来、思い切った改造といえば、若手や女性、メディア露出の多い民間人の起用と決まっていた。しかし、今回の改造で求められるのは、そんなものではないだろう。
ずばり、「憲政史上もっともクリーンな内閣」。
これが求められる。そもそも安倍内閣への不信は、発足当初から露わになった「政治と金」の問題が大きなもので、今回の選挙で問われたものもそこだ。とすれば、やるべきことはもうわかっている。まず、組閣の一ヶ月前から大臣・副大臣候補100人程度に企業献金、個人献金、事務所費、政治団体資金の一切の収支報告書を3~5年分の領収書つきで官邸に提出させる。この時点で次の大臣候補の情報がマスコミに流れ、メディアを独占できる。そして、その中から問題のない者を精査して組閣し、新大臣の記者会見では、全大臣が領収書持参で記者に公開する。当日の人事発表よりも、こちらの方がサプライズで、この効果は絶大である。
まず、おそらく記者がまっさきに質問する事務所費問題の機先を制することができる。次に、候補者が各派閥の推薦であっても金銭問題の方に注目が集り、批判はなくなり、また現実的には派閥順送り人事は不可能になる。さらに次を狙う人もこの慣例が作られることで、脱落する者が現れるし、批判者もクリーンでなければ信用されないという効果を生む。また、報告時に虚偽報告を行ったことが後に発覚すれば、即日辞任する誓約書を書かせることで首相の人事権の強化にもつながり、首相へのダメージは最小限に止まる。そして、一番大きな効果を生むのは、野党のネクスト・キャビネットの対応である。現実の政権担当者がこのようなものを公開するならば、野党の擬似内閣も公開せざるを得ない雰囲気になる。そこで野党が先の安倍内閣の閣僚のような対応をすれば、不信感が募るだけである。
こうして、日本憲政史をずっとおおっていた金にまつわるスキャンダル合戦は、ある程度縮小される。私の先の案で公開義務があるのは、大臣・副大臣のみでしかも3~5年という期間をきった。これにより、どうしても金のやりくりが利かない政治家には党務か、政務官までで活躍してもらうことになる。山崎拓氏の例に見られるように、政治家のスキャンダルは党で起きてもそれほど政権へのダメージはない。政務官も政府の構成員だが、今後の課題として、直近の改造ではそこまでいく必要はないだろう。また、期限に関しては、今現在の制度の中では何か後ろ暗いことをした議員もいるであろうから、5年ぐらいクリーンなやりくりをした者なら何とか許されるかもしれないし、今後、自分に目がないとすれば、自暴自棄に陥って政権批判に加わるリスクをつくるかもしれないから、期間を区切るのが現実的である。また、それ以前の問題が発覚した大臣は、「領収書をなくしました」とか「大変申し訳ありません、反省しております」と早々謝れば、傷は小さくなる。最近の民主党の対応はこれで何とかすんだのである。
記者会見で領収書を公開する。これはかなりかっこ悪いことであり、また現実味もない書生論である。しかし、これをやれたら一ヶ月でつぶれても大した功績である。是非これを実行していただきたい。ただ、安倍首相本人が、公開できる政治家であることを前提としますが。。
最近のコメント