2008年11月 5日 (水)

オバマ上院議員の勝利

バラク・オバマ氏、勝ちましたね。

私は9月あたりまでマケイン氏が勝つと思っていたから、日本での大統領選報道がオバマ、ヒラリー両氏にかたよった報道は大丈夫なんだろうか、と思ったものだったけど、ちゃんと既定どおりの進展で、時代が欲したということでしょう。しかし、オバマ氏の勝利は確実に9月からの金融危機が追い風となったわけだが、あの時期での金融危機は民主党支持の投資家の陰謀などという意見はでないだろうな。。

私が初めてオバマ氏を見たのは、ずいぶん前のピーター・バラカンさんが司会をしている『CBSドキュメント』で初の黒人大統領を目指せる人材として取り上げられた時だったが、「美男な黒人政治家がいるんだなぁ」と思ったし、黒人であることを強調しないし、中庸な思想の持ち主で、私も米国人ならこの人に投票するな、と思ったものです。まぁ、日本人としてはクリントン時代の悪夢がありますから、マケイン氏の方がマシだな、と思ったが、ヒラリー氏が敗退したので、どっちでもいいかとも考えてました。

で、既にささやかれている暗殺の危機ですが、少数の文明人と大多数の未開人で構成されているアメリカ合衆国という印象を我々に与えてくれないよう願います。ちょっと黒いトリビアだと、大統領選挙があった米国時間11月4日は87年前の日本で最初の本格的政党内閣を率いた原敬が東京駅南口で国鉄駅員に刺殺された日でもあります。その後の日本を考えるとテロはまったく惜しい人物ばかりの生命を奪うなぁ、思わせますので、こういうことが起きない事を願います。

年配者の私としてはオバマ効果でデンジャラスのノッチの再ブレークも重ねて願います。

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2008年11月 4日 (火)

「日本は侵略国家であったのか」

田母神俊雄元幕僚長の話題の論文。こちらで読んでみたが、少々がっかり。自衛隊航空幕僚長ぐらいの地位にあった者の論文がこの程度で、しかも懸賞論文で優勝してしまうとは。正直、『正論』や『諸君!』をひらけば、よくありそうな内容で、参考にあがっているのも、ほとんど学術論文とはいえないものばかりで、これらの主張の層がアンチアカデミズムであるのがよく分かる。しかし、今回のような迅速な更迭をみると日本はずいぶんとシビリアンコントロールのしっかりした国なんだな、と思わせる。軍人を甘やかさないという点で戦前の教訓が生きているんだな、と安心した。

内容において植民地統治に関しては、そういうところもあったんだろうな、という印象が私にもあるが、そもそも植民地統治の問題は「東京裁判史観」と関わりがあるんだろうか。東京裁判について詳しく知っているわけではないが、審議の範囲は1928年以降だし、判事側の英、仏、蘭などはいまだに海外領土を持つ植民地帝国であるし、この審議中フランスはインドシナを再占領しようとしてインドシナ戦争の真っ最中である。こうした中で植民地統治に関して審議が行われたんだったかな。やはり問題は条約で決められた範囲への逸脱にあったのであって、そのあたりはすべて外国の陰謀で済ませているあたり、この論文のまずいところだ。そもそも張作霖爆殺事件をKGB犯行説って、10年ぐらい前に出てきた話だが、当時の日本側資料からして成り立たないんじゃないか。

それに国際法上認められた軍の駐留や植民地云々の話をすれば、西洋諸国の植民地や海外領土への侵犯をした大東亜戦争を肯定することはできない。国際法を持ち出すなら、日本の統治はよくて西洋のそれは残虐であったからよくないとはいえない。どちらも「認められた」範囲内での話である。大東亜戦争肯定論なら、西欧の都合で作られた国際法それ自体を否定する当時の「現状打破」勢力の意見を突き詰めるべきで、国際法などで自らの主張を補強すべきではない。

私がこの手の主張で一番気に入らないのが、「侵略」は東京裁判で決められたことだ、とか戦後教育によって「マインドコントロール」された、とかカルト的臭みを漂わせることにある。保守派のつむぎだす「戦前」の歴史それ自体を否定する気にはならないが、当時のある程度の情報を得ていた政治家、官僚、軍人、知識人が「支那事変」や大東亜戦争を「侵略」と考えていたことを留意すべきだ。侵略と考えていたからこそ、その意味を変えようとした人々(たとえば竹内好や重光葵とか)がいたわけで、東京裁判史観とはまるで関係ない。先週取り上げた田中清玄や猪木正道氏なども戦後教育による効果とは思えない(ちなみに猪木氏が防衛大学校長に就任したのは1970年7月で田母神氏が卒業したのは71年3月。猪木史観の洗礼は受けていないようだが、ある意味自衛隊への視線が厳しかった時期に学生生活を送っていたという点でこのような史観を持たざるを得なかったのは同情に価する)。

戦後を代表する保守思想家でこれまた戦中派のちょっと上の福田恆存なども「あの戦争」は侵略だと思っていたと記憶するが、「だから、何?」というぐらいの強さがあって、戦争に道義性を持ち込まなくては我慢できないというような脆弱性はない。近年の保守派がウヨク化(現実主義よりロマン主義的)しているのは、どうも精神的な弱さの表れにしか見えない。過剰に日本を「侵略国家」だ、という必要はないが、過剰に日本を美化する必要はない。かつて「自由主義史観」とか「新しい歴史教科書をつくる会」って、そんな主張をしていたように思えたが、それを超えた亜流が自衛隊の幹部にまで浸透していたとはずいぶん寂しい限りだ。

しかし、まぁ、新聞報道の「識者」の人選も人を見れば何を言うか分かるよ、という「定型」的なコメントする人ばかりでつまらない。こういう時は信頼のおける教科書でも読むのが一番でしょう↓。

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2008年9月 2日 (火)

福田首相辞任の雑感

辞めちゃいましたね、福田総理。

昨年は某新聞が「アベるという言葉云々」と報道していたが、今年は「フクダるという云々」という記事が別の某新聞にでるのだろうか。

まぁ、年末か年初の解散が既定となっていたところで、「最後」の首相にはなりたくなかったということがまずあって、国会が始まってからの辞任だと安倍前総理の辞任劇とかぶってしまうし、この時期で総裁選やれば、連立与党の公明党の希望通り、国会開会が9月末から10月になるというわけで、本人や政界のカレンダーの中では絶妙のタイミングだったのでしょう。

しかし、福田総理の役割というのは、ポスト小泉の時から負の遺産をすべて背負い込んでもらうという点にあったのでしょうね。それが予定がくるって一年経って、お鉢が回ったと思ったら、やはり予定通りの役割を果たした。彼を担ぎ出した読売新聞のエライ人がどういう意図だったかは分からないが、「最強の元総理」森喜朗氏はまさに「計画通り」と思っているのかもしれない。

実績としては、道路特定財源一般財源化、公務員制度改革、社会保険庁改革、防衛省改革等々と、小泉内閣でも手をつけかね、安倍内閣では致命傷となった諸改革を着実に進めていった。よく「首相が何をしたいのかが見えない」と批判されたが、それに対して首相は「あまり声が大きいと改革がつぶされる」といっていたとかいないとかで、静かに着実に行っていった。しかし、こうした制度改革って、国全体としては大きな改革であろうが、即効性はないし、今現在生きている人々にとって実は大した関心もないものだった。「改革派」と呼ばれる人にとっては重要なものだが、一般人にとっては優先順位が低いものばかりだ。ある意味、空気を読まない「正義派」の「改革派」に引っ張られすぎたのかもしれない。バラマキでもいいから経済対策してくれよ、という国民と、改革をショー化してくれよという国民とメディアの期待をともに受け止めることが出来なかった。

外交に関しては、総理ご自身自信を持っていたといわれるが、それほどの成果は挙げられなかった。しかし、特に荒波が立ったわけではないし、こちらも地味に着実にやっていたのかもしれない。「国民の生命より日中友好が大事か!」という声が、ラディカルな人々から聞こえてきたが、これって幣原外交を批判した標語に似ていて、苦笑を禁じえない。被害者の方には申し訳ないが、ギョーザ事件(餃子でもギョウザでもない)ぐらいでこんな標語が出てくるんだから、居留民が殺害されたり、領事の妻が輪姦されたと噂が流れたりした1920、30年代に「暴支膺懲」の声があがったのも理解できるし、今こんなことが起きたら、戦前の愚行を笑うことが果たして出来るだろうか。しかし、主要政党や大新聞からこうした声が出てこないのは、日本が成熟したためか、憲法のおかげか、どうかわからない。

しかし、何とも本人がやる気もないのに祭り上げられて、いろいろやっていたのに負債を一挙に引き受けて、辞め方も官房長官時の颯爽とした逃げとも異なり、いまいちとなるとかわいそうな人だな、と思うのだが、別に同情する気にもならないのは、福田首相のキャラクターなんでしょうか。それはともかく、大変なお仕事お疲れ様でした。

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2008年1月18日 (金)

政治ポジションテスト・外交編

Yahooの「みんなの政治」のポジションテストで「外交編」ができていたのでやってみた。

結果はこちら

うーん、微妙ですね。できるだけ曖昧な回答は避けていたのに、結果はタカハト軸±0、グローバルローカル軸グローバル+2。極めて中道でちょっと若さが見えているようで気恥ずかしい。私はこんな奴だったのだろうか。

しかし、最近の政治は面白くない。面白くない原因はいろいろあるのだろうが、この結果からみるに、どうやら福田康夫内閣になってからというものの、いわゆる「グローバル化」という点でかなりの後退が見られるからではなかろうか。最近の政治の話題といえば、インド洋給油を除いては、年金であったり、薬害肝炎訴訟であったり、防衛省汚職だったり、ガソリン税だとかとずいぶん内向きである。しかも、インド洋給油は民主党の小沢一郎代表によれば、国民にとって「重要な法案ではない」ということらしいので、重要なのは内向きの政策のみなようである。

政府与党の方も、小沢代表に引っ張られるようにして、幹部たちはいわゆる「古い自民党」すなわちローカル指向の政治家が多いように見受けられる。別に「顔」が古くてもかまわないのだが、ローカル指向の政治はどうも表面に現れにくい部分があり、ニュースを見ているだけでは分かり難い。このあたりに面白さを感じないあたりなのかな、と思ってしまう。

思えば私が政治に関心を持ち始めたのは、橋本龍太郎内閣からだと思うが、この内閣から安倍晋三内閣までは、先のポジションテストでいえば、タカ派ローカル指向からタカ派グローバル指向へと徐々に移っていった過程だった。地域振興券という奇妙な政策を行った小渕恵三内閣ですら、経済戦略会議の決定で経済の市場化に大きく舵を取った内閣であり、グローバル指向があった。森喜朗内閣も意外と財政出動には慎重で削減の方向に進んでいた。その次の小泉純一郎内閣はいわずもがなで、安倍内閣もそれを引き継いでいた。それが福田内閣において、いきなりハト派ローカル指向に反転したという印象を持ってしまうのだ。もっとも、同じ自民党政権なのだし、現在の日本の採りうる外交政策は限られているのだから、タカハト軸は実はそんなに変化はないのだろう。しかし、グローバルローカル軸は、かなりの変化だと何となく感じてしまう。おそらく福田総理が何かを提示するのではなく、ローカル指向の小沢代表が場をつくってしまい、それへの対応の姿しか見られないからローカル指向に見えてしまう、ということもあるのだろう。

まぁ、こうやって書いてきても面白くないんだなぁ。政治なんてそもそも面白くないものだから、別に面白くなくていいのだけど、かつての政治ウォッチャーとしては寂しいかぎりだが、後年の研究者にとってこういうつまらない時期を面白い時期として提示する余地が生まれるんだろうなぁ。

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2007年9月25日 (火)

福田康夫新内閣における森氏の影

先日の自民党総裁選で勝利した福田康夫氏が第91代内閣総理大臣に任命された。

正直、私はテレビで見る氏の発言や世評でしか、彼の事は知らず、彼の書いたものを読んだことがないのでどういう人物か、よく分からない。何故か、リベラルな方々に妙に期待をかけられているというのが不思議だ、という感想はある。自民党内最右派の清和会に所属し、岸信介に最もかわいがられた福田赳夫の息子が何故、リベラル派に期待されるのだろう。また、官房長官時代、「政府高官」の名で「核武装は現憲法下でも可能だ」といった発言をしたとも思われるが、このあたりは最近聞かなくなった。まぁ、要するに現在のリベラルの最大公約的目的は、「アジアと仲良く」ということなのか(福田氏は反米ではないそうだ)。

それはともかく今回の党人事・組閣で感じられることは、森喜朗元首相の影響力である。ここで見られるベテラン達は小泉内閣時代から森氏が重用すべきだと進言してきた人物(古賀氏、谷垣氏、官房長官に町村氏など)である。そして、世評では入閣が当然とされた山崎拓氏の名前がない。また、加藤紘一氏の復権もなされなかった。この二人は、今回の総裁選で早くから福田支持を打ち出し、福田新総裁選出に一役買ったはずであり、彼らが求めるアジア外交再建を可能にする人材として、福田氏が好まれたと思われる。しかし、この二人の名がないということは、結局のところ、森内閣時の「加藤の乱」がまだ後を引いているのかな、と。森氏は、この二人の復権を許してはいない。そのため、二人の名は閣僚名簿にないということは、この内閣における森氏の影響力は前内閣にくらべて大きなものであるということの証左だ。つまり、トップの異なる森内閣の復活だと考えるのが妥当だろう。森内閣は、首相自身の失言癖とメディアとの関係のまずさがなければ、極めてオーソドックスな自民党内閣だった。そのことを考えると、福田新内閣の施政も、それほど極端なことはしないまずまずな内閣なのではないかな、と思われる。だから、保守派の危惧もリベラル派の期待も、あまり考慮する必要がないのではなかろうか。長期になれば、また福田氏の個性が出てくるでしょうが、そこまで続くのかどうか。。

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2007年9月14日 (金)

安倍晋三首相辞任の雑感

安倍晋三首相が9月12日に辞任を表明した。公式的には対テロ法の継続をするための小沢一郎民主党代表との会談を断られ、その継続の目途が立たなくなったからだという。しかし同日の与謝野馨官房長官の説明に健康問題が言及され、その言葉のとおりに翌13日、慶應大学病院に入院した。

このことにつき、もうすでに様々な憶測を呼んでおり、麻生太郎幹事長と与謝野官房長官に政権を乗っ取られ、自分のやりたい政策を行えなくなったからだとか、先日のブッシュ米大統領との会談で北朝鮮との米朝国交正常化が決まったことを知らされ、拉致問題を最優先課題としてきた安倍首相としてはこれ以上の強硬路線は日米関係を不安にさせることを懸念したからとか、噂されている。

この辞任劇については、今後情報が出てくることにより明らかにされるであろうから、何もこれを詮索する必要はあるまい。しかし、この安倍政権や安倍首相とは何だったのか、また今後の日本についてどれだけの意味があったのかを考える必要はあるだろう。

安倍政権の誕生は、小泉純一郎氏という現在の政治制度をかなりの程度まで使いこなせた稀代の名宰相の後を継ぎ、小泉モデルともいうべき国民的人気とトップダウンの政治手法を継続できる自民党唯一の人材として前任者の小泉氏の肝いりで成立した。たしかにその当時の安倍首相の人気は高く、ポスト小泉では常にトップを走り、著書は50万部を売り上げ、内閣発足時の支持率70%という数字に表れていた。その人気の源泉は、小泉時代に盛り上がった対東アジア・ナショナリズムに後押しされた彼の強硬姿勢やそれまでの保守的言動であった。しかし、政権が発足されると安倍人気の資源である対アジア強硬姿勢は薄れ、対中韓との関係改善、靖国神社参拝への曖昧戦略、河野談話の容認など、彼を熱烈に支持してきた保守層を失望させるものばかりであった。もちろん、これらは一国の首相の政策としてはある種当然の振る舞いではあったが、小泉氏を「改革者」として熱烈に支持してきた「小泉ファン」のような、安倍首相を国民的誇りを取り戻すべき「闘う政治家」として支持してきた人々に失望を与えるに十分な妥協だった。また、小泉改革の後継者としてのイメージも郵政民営化法案での造反議員を次々に復党させるなどして、小泉支持であった無党派層まで離反させた。つまり、彼にとっての重要な資源である「安倍ファン」の保守層や「小泉ファン」を次々と裏切り、最後に残ったのは「自民党の首相だから」という消極的な支持層しか残さなかった。

そして、最後に残った自民党支持層にまで見放されたのは、彼の首相の資質、つまり決断力のなさというようりも国民意識を読み取ることができないという感覚の鈍さが露呈したからであった。その始まりは造反議員の復党問題で、復党を決断したならすぐにでもやればいいもののズルズルと引き伸ばし、世論の反発が徐々に強まった末に復党させるという最悪の決断をし、その後の閣僚の問題も守るのか切るのか曖昧な印象ばかりを残すばかりであった。これでは彼の内閣がどれだけ政策的に問題がないとしても彼自身の統治能力に疑問符がつくのは当然であり、自民党支持層であっても見放すであろう。

結局、誰もが安倍首相に冷笑的な態度しかとらざるを得ず、参議院選挙時に見られた安倍擁護の言も民主党に不満があるからという消極的態度からのそれでしかなくなっていた。安倍首相を個人を支持したから、という人々はいなくなってしまったのである。

そういえばこんな文章がある。

「然るに独り○○公のみは年齢はまだ五十歳になるかならないかの壮年であり、学問もある。頭脳も良し、聡明叡智であり、人格も上品にして温厚である。其の上最も時代が要求する革新気分が横溢して居るやうに見えたから、公が出たならばどしどしと革新政策は断行せられて、政界も明朗化するに相違ないと思うて国民は公の出馬を歓迎し、○○公に向かって多大の期待を有して居たことは疑われない。然る所が愈々新内閣が成立して見れば、国民は先づ第一に失望の念に打たれた。それは閣僚中の少なくとも数人は世間何人の眼より見るも到底大臣の地位に就くべき資格ある人ではない。まったく公の私的関係即ち情実因縁よりして其の器にあらざる者を挙げて国家の重職を与えたからである。当時世間では○○内閣は全く公の私的内閣であると言うたが、全部が私的ではないにしても一部は確かに私的であったに相違ない。果せる哉其の後国務を進めていく中、閣僚の無能と不適任に触れて、内閣存続中一年有半の間に屡々閣僚を更迭せしめた。」

これは大正・昭和期の政治家斎藤隆夫が近衛文麿を論じた文の中の一部だ。斎藤は、結局のところ、近衛の経験不足によって内閣を組織したところに問題があり、その無責任な対応の原因は、苦労がなかったことにあったと論じている。もっとも、近衛自身の人生にまったく苦労がなかったわけではないが、その政治生活においては、確かに斎藤のいうとおりであろう。

小泉内閣成立の頃、私はその内閣の顔ぶれを見て、この文章を思い出したし、当時の週刊誌で色川大吉氏が小泉氏を近衛になぞらえていたが、私は当時盟友と言われた加藤紘一氏の森内閣への反旗を収束させた手腕から小泉氏と近衛とはまったく違うなと思っていたので、政権運営には心配していなかった。そして、安倍内閣を見て、またこの文章を思い出し、嫌な予感を抱いたが、この文章の通りになってしまった。ここで思い出されるのは、安倍首相が総裁選出馬を検討していた時に、森喜朗氏が「安倍君は自民党の最後の切り札だから、ここは見送って、派閥の方に戻ってきてもらいたい」とかいう言である。この言は正しかった。小泉氏も軽量とはいえ数々の閣僚経験と派閥の長を経験していたから、あれだけのことができたのだ。森氏は、首相としての資質には欠けていたが、政治家または評論家としての感は鋭いものを持っていたな、と改めて認識させられる。現在の総裁選での森氏の言動も注目に値するだろう(ホントか?)。

それはともかく、安倍首相の政権を経たことで言論界において、やっぱ政治家なんかに期待しちゃダメだよな、という健全な認識が保守派の中で再確認されることは確実だろう。我々は、近衛や安倍首相というイデオロギー色の強い政治家への期待は慎むべきだろう。

しかし、近衛と安倍首相のアナロジーでいえば、安倍政権下で戦争が起きなかったことは幸いだし、首相が頼りなくても国民生活にさほど支障がない現在という時代を寿ごう。

最後に安倍首相、お疲れ様でした。

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2007年8月 1日 (水)

安倍内閣窮余の一策

赤城徳彦農水大臣が辞任した。先の参議院議員選挙の自民党大敗の原因は、何にも増してこの赤城問題であろう。選挙前、一週間ほどは大方の予想通り、年金問題は背景にひき、連日、赤城大臣の「顔」がテレビに映されていた。政治に対する国民の不信や怒りは、いつも「カネ」にまつわるものである。年金問題で納付したのに給付されないという不安が広がり、無駄に搾取されていると考えた国民からすれば、社会保険庁だけでなく、政治家の金の扱いが杜撰となれば、その怒りが投票行動に結びつくのは当然である。

今後の安倍内閣であるが、メディアの予想を反して、各種世論調査では、安倍首相の続投への支持・不支持は半々であるという。別に参議院選挙が政権選択の選挙ではないという形式論を理解してのことではない。おそらく、安倍首相本人が嫌いな人が不支持の大部であり、安倍内閣支持者(約30%)と安倍首相個人のファンであるが内閣は支持しないという人(約10%)、安倍首相の方が選挙に勝ちやすいと考える野党支持者(数%)が支持した人の内訳であろう。では、今後の安倍首相は何をすべきか。

まず第一に、わかりにくいカタカナ用語を使わないことである。現在の高齢化社会においては、有権者の多くが高齢者であり、すでに彼らの時代からカタカナ用語は氾濫していたとは言え、新しいカタカナを使われてもそれを調べて理解しようとする努力を彼らはしない。結局のところ、安倍首相の売りは保守主義にあるのだから、保守的な高齢者を支持者とみなければならない。若者の保守化が進んでいたとしても、彼らが保守や右翼に魅かれるのは論壇やインターネットで好まれるラディカルさの競争の中で最も先鋭なものが保守的な言論であったという一時期の現象あって、保守主義そのものに魅力を感じたのではない。また、慰安婦問題での「広義の強制」、「狭義の強制」など、「ああ、朝日新聞がいってたあれね」と受け取るのは、よっぽどのマニアで、一般人には何を言っているのかわからない。もはや一部の人だけに通じる言葉は使うべきではない。

第二に、メディア対応である。メディアの安倍政権への攻撃は、たしかに異常な部分はある。しかし、外部のものがそれをいうのはいいが、政権側がそうした認識を持つべきではない。そもそも原因は、政権側にある。発足当初の安倍政権は、初めからメディア対応を誤り、その関係がギクシャクしていた。それは、首相のぶら下がり会見を、小泉政権では午前と午後の二回としていたのを、一回に変えたことだ。安倍首相は、そもそもメディアに執拗な攻撃を受けていた政治家で、そのことからメディア不信を感じていたことは理解できる。しかし、自分が自民党総裁に選出されたのは実力ではなく、人気であったことを謙虚に思い出すべきだ。その点を理解していた小泉前首相は、ぶら下がり取材を会見へと制度化し、しかも二回にした。それによって、どうでもいいワイドショーのネタになる質問にも気軽に答えるいいおじさん且つ国民と同じ感覚を持つ政治家というイメージをつくりあげた。

メディア対応で考えられるもう一つの点は、あのカメラ目線である。別に違和感があるとか気持ち悪いからとか言う意味ではない(それもあるが)。まず事実としては、カメラ目線をしている時は支持率が落ち続け、やめてしばらくすると支持率が浮上し始めた。それでまたカメラ目線になると、また落ちた、という相関関係があった。次に、安倍首相はカメラ目線の理由を「国民に直接語りかけたいから」とまたメディア不信からくる発言をしている。しかし、安倍首相が語りかけているのは、メディアが用意したカメラであって国民ではない。しかも、その映像は生でそのまま放送しているのではない。カメラに映った映像は、メディアが編集して放映するものだ。だから、カメラに向かって話しかけても首相の言葉は、国民に直接ではなく、メディアの編集を通してなされるわけだ。それなのに、記者が質問しているのに記者をないがしろにして、カメラに向かう姿勢は記者の気分にどういう影響を与えると思っているのか。記者は、あまりいい気分ではないだろうし、反感を持つだろう。そういう現場の気分が、テレビや新聞の編集に伝わるのは当然のことだ。記者を無視してカメラに向かうなどの佐藤栄作ばりのつまらないことをするよりも、教育改革の一環として小中高のカリキュラムにメディアリテラシーの授業を盛り込むよう計画する方が迂遠だが、よっぽど意味のあることだろう。

第三に来月行われる内閣改造である。安倍首相は、選挙の結果を「人心一新しろとの声」と受け取ったようである。これはおそらく赤城農水大臣のことを念頭においての発言と思われる。先の世論調査をみても、そういえないわけではなさそうである。と、すればここは思い切った改造をやって欲しい。従来、思い切った改造といえば、若手や女性、メディア露出の多い民間人の起用と決まっていた。しかし、今回の改造で求められるのは、そんなものではないだろう。

ずばり、「憲政史上もっともクリーンな内閣」。

これが求められる。そもそも安倍内閣への不信は、発足当初から露わになった「政治と金」の問題が大きなもので、今回の選挙で問われたものもそこだ。とすれば、やるべきことはもうわかっている。まず、組閣の一ヶ月前から大臣・副大臣候補100人程度に企業献金、個人献金、事務所費、政治団体資金の一切の収支報告書を3~5年分の領収書つきで官邸に提出させる。この時点で次の大臣候補の情報がマスコミに流れ、メディアを独占できる。そして、その中から問題のない者を精査して組閣し、新大臣の記者会見では、全大臣が領収書持参で記者に公開する。当日の人事発表よりも、こちらの方がサプライズで、この効果は絶大である。

まず、おそらく記者がまっさきに質問する事務所費問題の機先を制することができる。次に、候補者が各派閥の推薦であっても金銭問題の方に注目が集り、批判はなくなり、また現実的には派閥順送り人事は不可能になる。さらに次を狙う人もこの慣例が作られることで、脱落する者が現れるし、批判者もクリーンでなければ信用されないという効果を生む。また、報告時に虚偽報告を行ったことが後に発覚すれば、即日辞任する誓約書を書かせることで首相の人事権の強化にもつながり、首相へのダメージは最小限に止まる。そして、一番大きな効果を生むのは、野党のネクスト・キャビネットの対応である。現実の政権担当者がこのようなものを公開するならば、野党の擬似内閣も公開せざるを得ない雰囲気になる。そこで野党が先の安倍内閣の閣僚のような対応をすれば、不信感が募るだけである。

こうして、日本憲政史をずっとおおっていた金にまつわるスキャンダル合戦は、ある程度縮小される。私の先の案で公開義務があるのは、大臣・副大臣のみでしかも3~5年という期間をきった。これにより、どうしても金のやりくりが利かない政治家には党務か、政務官までで活躍してもらうことになる。山崎拓氏の例に見られるように、政治家のスキャンダルは党で起きてもそれほど政権へのダメージはない。政務官も政府の構成員だが、今後の課題として、直近の改造ではそこまでいく必要はないだろう。また、期限に関しては、今現在の制度の中では何か後ろ暗いことをした議員もいるであろうから、5年ぐらいクリーンなやりくりをした者なら何とか許されるかもしれないし、今後、自分に目がないとすれば、自暴自棄に陥って政権批判に加わるリスクをつくるかもしれないから、期間を区切るのが現実的である。また、それ以前の問題が発覚した大臣は、「領収書をなくしました」とか「大変申し訳ありません、反省しております」と早々謝れば、傷は小さくなる。最近の民主党の対応はこれで何とかすんだのである。

記者会見で領収書を公開する。これはかなりかっこ悪いことであり、また現実味もない書生論である。しかし、これをやれたら一ヶ月でつぶれても大した功績である。是非これを実行していただきたい。ただ、安倍首相本人が、公開できる政治家であることを前提としますが。。

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2007年7月31日 (火)

岸信介の亡霊に敗れた安倍晋三首相

雷雨が吹き荒れ、何かを予兆させる一日であった7月29日、自由民主党は大敗に喫した。7月始めの段階で、私は「意外と負けないのではないか」と予測していたのだが、そんなものではなかったようである。原因は、中川秀直幹事長がいうように「年金問題」、「政治と金」、「不規則発言」という3つが複合されたものだという。しかし、失言は、柳沢大臣の時に見られるように、マスメディアがいうほど支持率には響かず、結局は個人の問題に帰された。年金の問題も、権丈善一氏の分析や盛山和夫氏が暗に民主党の年金制度構想は無理がある、と述べているように少し勉強すれば、民主党の年金政策を支持するとは思われない。しかも問題は社会保険庁の体質であって、安倍政権の失点ではない。このことを考えれば、「政治と金」の問題が大きかった。そして、より本質的には、「政治と金」の問題が噴出した際の安倍政権の危機管理が、まったく機能していなかったことにある。これは年金問題に関しても、同様で、初動が遅く、これを逆に社会保険庁廃止への道具として利用するきっかけとすることもできなかった統治能力の欠如が露呈された。つまり、安倍首相の資質に関わる問題である。このあたりは、他の人も述べるであろうから、ここではふれず、漫談的なものを書こう。

今年に入ってからの安倍政権の逆風をみるに、官僚ってのは怖ろしいなぁ、といったところか。この政権の目玉として掲げられているのは「戦後レジームからの脱却」である。その中には、公務員制度改革や社会保険庁改革などのように従来は自民党の側にあると思われた官僚に対する挑戦が見られた。しかし、この官僚制度への挑戦は、やはりアンタッチャブルだったのかな、と思えてしまった。前政権の小泉内閣は、「構造改革」を掲げて経済の効率化をはかった。しかし、「構造」の最たるものである官僚組織についてはふれることはできず、結局のところ、「政界」における利権構造にメスを入れたのみだった。つまり、小泉政権はある種の「政治」改革には着手できたものの、「行政」改革には及び腰だった。そこを安倍政権は切り込んでいったわけであったが、政府与党から聞かれる社会保険庁の「自爆テロ」としての年金記録問題の噴出、「政治と金」を巡るスキャンダルのリークに遭遇した。しかも、マスメディアも安倍政権では視聴率も部数も伸びないという営利的理由と、官僚を情報源として重視しているために徹底的に闘うよりも共同歩調をとって、反安倍政権を打ち出した方が得だという誘引が働いたようである(参照)。やはり官僚に手を出すことは相当な覚悟が必要なことなのだろう。このあたりの官僚の抵抗は、今後の報道や研究をみないと本当のところはわからないが、現在よりも官僚の権限が強い戦前期の政党内閣においても官僚組織というのは、アンタッチャブルなものであった。

昭和4(1929)年10月、田中義一政友会内閣の「放漫財政」の後始末と、民政党年来の政策である金解禁の下準備のため、発足間もない浜口雄幸民政党内閣は年度途中の予算削減に手をつけ、料亭の宴会はやめてホテルの洋食会合に切り替え、官吏の公用車使用も自粛を求めるなどを行い、新聞論調もおおむね好評であった。しかし、官吏の俸給引き下げ案が出されると状況は一変した。浜口内閣は年俸にして1200円以上の官吏に付いて、平均で一割の減俸という案を、党にも諮らず突如発表した。この発表形式が、大蔵省記者クラブではなく、首相官邸から出され、完全な抜き打ちでどの社も知らなかったことから、メンツをつぶされた新聞はいっせいに批判的論調を掲げた。また給与が削られる官僚が簡単に容認するはずがなかった。この抵抗は司法官から始まり、他省庁にまで拡大し、その主唱者は鉄道省の若き学士官僚佐藤栄作と実兄で商工省の岸信介であった。この時の岸の働きは目覚しかったようで、一躍官界にその存在が知られるようになった。そして、浜口内閣の減俸案は、官僚の抵抗、メディアの批判、発表形式の不手際から政権党からも批判が噴出し、断念させられた。

いうまでもなく岸信介は安倍首相の祖父であり、彼がもっとも尊敬する人物である。約80年たった現在、立場を逆にして岸の孫の政権が官僚組織の利権に切り込んでいって抵抗にあった。ずいぶんと奇観なめぐり合わせもあるものだ。しかも、メディアも官僚に歩調をあわせて批判しているのも同様である。ちなみに新聞記者の旗振り役は、河野洋平議長の父で、河野太郎氏の祖父でもある朝日新聞記者河野一郎であったのも何かの因縁を感じざるを得ない。

安倍首相の祖父への尊敬は、その政治姿勢にも表れている。安倍首相は、著書や発言等で岸の安保改定を高く評価し、自分もこの偉大な祖父に習いたいことをしばしば述べている。1960年の安保騒動の現在における評価は、安保改定自体には問題はないが、戦前からの官僚で東條内閣で大臣を務めた岸が、安全保障にかかわる政策を打ち出し、強行採決にもちこむなど強引な手法に大衆は危機感を表した、ということになっている。つまり、イメージが悪いということだ。これは安倍首相にも関わることだ。

安倍首相は、その岸の孫であるというところから、ある方面に極めて評判が悪く、また政治家になってからのタカ派的言動、歴史認識問題で右派にアピールする姿勢をもっていた。また、海外の左派メディア等でも評判が悪いらしい。このような人物が、強行採決を繰り返すならば、彼のイデオロギーに違和感を感じるものにはただでさえ悪い印象が決定的に悪化するのは避けられない。安倍首相からすれば、よい政策をすれば、理解されると考えている面もあるが、あの岸ですら再評価に20年ぐらいかかったのであるから、ましてや直近の選挙を前にして理解されるはずがない。政治家は、実物がどうであるかは問題ではなく、どう見られるかが重要な職業だ。「マキャベリ語録」を愛読していた前首相は、まさにそれを体現した人物であった。現首相にそうした努力は見られない。

安倍首相は、祖父を尊敬するあまり、よい政策を打ち出せば、よい評価をうけると安易に考えすぎているのではないか。政治は、権力関係の闘争ではあるが、その過程において説得と妥協を必要とする「アート(技術)」である。今回の敗北でそれを学んで欲しい。そして、もはや岸の亡霊を追うのではなく、そろそろひとり立ちして、安倍スタイルを確立することを望む。

続投を表明した安倍政権に期待することは、参議院で敗北しても退陣しないという慣習をつくることと、衆参でねじれが生じた際に数合わせをしてやり過ごすのではなく、妥協を外に出すと政党政治に支障を来たすことを考えて非公開の衆参合同委員会などを設立して新しい議会運営の伝統をつくって欲しい。もはや「改革」ではやるだけのことをやった安倍政権に課された「戦後レジームの脱却」とはこのことかもしれない。

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2007年6月29日 (金)

宮澤喜一逝去

第78代内閣総理大臣として1991年11月5日から93年8月9日までわが国の舵をとった宮澤喜一が6月28日午後に逝去した。享年87歳。老衰だという。

宮澤というと、戦前からの大蔵官僚、サンフランシスコ講和会議では全権随員として参加、池田勇人のブレーンとして所得倍増政策の一翼を担い、常に首相候補として名が挙がりつつも、長い間その機会に恵まれず、やっとなったと思ったら、自民党分裂による1993年の総選挙で現有議席を確保しながらも過半数に届かず、退陣、「55年体制」に幕を引いた「最後の首相」であった。その後も自民党のリベラル派の重鎮として存在感を示し、小渕恵三内閣では大蔵大臣に就任して「平成の高橋是清」と称された。

これが一般的な履歴だが、一方で保守派からは、1982年の歴史教科書問題で宮澤官房長官談話を出し、それが元になって文部省が近隣諸国条項を教科書検定に追加し、宮澤政権下の1993年には河野官房長官談話を出し、また護憲派として知られていたため、怨嗟の的となっていた。

また、メディア的な印象でも首相就任前に小沢一郎幹事長の面接を受け、田原総一朗氏の番組で政治改革を宣言したものの、小沢氏と梶山静六幹事長の確執を抑えきれずに頓挫し自民党分裂、先にも書いたとおり「平成の高橋是清」と称されたものの大規模な財政出動により財政悪化に拍車をかけるなど、あまりいいイメージはない。

しかし、一方で護憲派であった宮澤の内閣でPKO法を成立させ、戦後初めて自衛隊海外派遣を行うなど、戦後政治の一つの画期を築いた首相ではあっただろう。

宮澤は政界きっての国際派、知性派、英語の達人として知られていたが、このように頭のよい人間が政治家として必ずしも大成することではない、ということを示した典型的人物であった。また、自民党において大平正芳、宮澤のような確信的リベラル派が首相になると、選挙には勝てず、党内保守派も抑えることができず、自民党にとっての危機を迎えることを教えてくれる。現在、首相の地位にあるのは宮澤とは対極にあった安倍晋三氏である。たしか宮澤は、自分の世代は何としても現行憲法を維持するが、その後のことはその後の世代にまかせたい、とどこかで言っていたように思う。だから、きっと誰かが言うように「戦後レジームの脱却」を目指す安倍氏の首相就任を宮澤の気持ちはいかばかりかなどとは思わず、時代の流れの一つとして容認していただろう。私は意外と負けないのではないかと予測しているが、巷間伝えられているところでは来月の参議院議員選挙において、自民党はかなり苦戦を強いられるらしい。「戦後レジームの脱却」を掲げる首相の選挙を一ヶ月前にして戦後政治の長老がいなくなった。ちなみに宮澤が首相候補であった時代に書かれた著作の名は『美しい日本への挑戦』であった。

付記

私は基本的に故人は歴史上の人物として考えているため、敬称を略することにしている。だから「宮澤」と表記することに何ら他意はない。

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2007年6月 7日 (木)

最近のこと2

しばらく書いていなかった分、ここ数ヶ月思ったことを短文で。

安倍内閣の支持率が急落している。ブログを休んでいるうちに一時は盛り返したが、各種世論調査で政権発足後最低を記録しているそうである。原因は、例の「宙に浮いた年金」問題であるらしいが、そもそも安倍内閣は社会保険庁解体を目指していた内閣で、社会保険庁に問題があったとしたら、これは追い風となるはずだったのに、反対に作用するどいうのはどういうわけか。

これはここ最近の内閣が教育改革や公務員制度改革、国民投票法など国家の基本構造にメスをいれる内閣であるという印象が先行し、課題の一つであった社会保険庁VS安倍内閣という図式がぼけたせいであろうかと思われる。中川秀直幹事長などはその図式に力を入れていたように思えたが、内閣の方は少し感度が鈍かったようだ。結局、国民は自分の生活を脅かすような問題やカネの問題にしか興味はないとタカをくくった政権運営が望まれるのではないか。

しかし、くだんの年金問題も共産党議員によると5000万件の記録を統合するのに30年かかるということだが、97年の年金番号統合の際、3億件あった「宙に浮いた」記録を10年で5000万件に減らしたのだから、それなりの仕事はしているのではないかとも思ってしまう。そもそもこの5000万件も該当者は複数の職を転々とした人や名前の変わった人たちであって、何か問題があると思えば、自分で問い合わせればよいし、来年には年金定期便も配布されるのだから、そこで問題があれば名乗り出ればすむことだ。何でもお上任せで慣れてしまったことにも問題があるのではないか。それを国費を使って一年以内でやるなどというのは少し狂騒が過ぎたということだろう。おそらくこの問題も一ヶ月以内で落ち着くだろう。

安倍内閣の支持率低下は、どちらかというと真面目な安倍総理のキャラクターに合わない親しみやすさを演出した気持ち悪さにあるような気がする。麻生太郎外相の著作が出たが、そこには明るい未来を演出しようとする傾向が見られる。小泉前首相も明るさが持ち前だった。それに対して安倍総理は真面目だが暗い。印象論だが自民党はいかがわしいが明るいのに対し、民主党は真面目だが暗い。安倍総理はどちらかというと民主党的である。その面で考えれば、民主党の岡田代表時代のように真面目さを売りにして、そこに凄みを演出していった方がキャラクターに合うのではないか。顔が似ていると言うのもあるが、佐藤栄作のようなイメージで。広報担当は前政権の手法ではなく、政権の顔にあった戦略を考えるべきであろう。

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2007年2月 8日 (木)

柳沢発言とマスメディアへの危惧

前回に引き続き、柳沢問題について書いてしまうのだが、今回の「健全」発言を巡る報道に仕方に危惧を感じた。

「機械」発言に関しては、「言語道断」とか、「古い体質」とかお定まりの発言が飛び交いつつ、誰もが疑問視した。だが、今回の場合、「持ちたい」という意志を尊重し「健全」と見なす発言を「持っている」という現実が「健全」というように強引に結びつけた論調で、「2人以上が健全」というメディアがつくった言葉ではなく、発言自体を読んだり聴いたりした人にとっては、「まぁ、そんなもんだろう」と思ってしまい、メディアと一般視聴者・読者との乖離が生じてしまったように思える。

そもそも、少子化問題は出生率1.2代に下落したという数字が出て、注目を集めた話であり、もしこれを上げたいなら2人以上生める環境を整備するのが担当大臣の仕事であろう。そのためならば、平均2人以上を望ましいと考えるのが担当者として当然であり、これを否定するなら「子供が減って何が悪いか」(赤川学氏)と開き直って、少子化時代にあった政策を提言するのが求められる。しかし、柳沢大臣を批判する側もどうやら出生率自体は上げたいらしいので、その覚悟はないようだし、とってつけたように個々人の自由を持ち出すのは如何なものか。記者団とのやりとりで柳沢大臣は、「独身主義」とか「生みたくない人」とかの人に対して「子供を産まない、結婚するしないは個々人の自由意思で決まる。それを前提で我々の社会は成り立っている」と衆院厚生委員会で発言したことを明らかにしている。

さて、このように大して問題でない発言を大々的に報道しているものを見ていると、何か奇妙なものが見えてきた。というのは、この問題を報道番組で紹介すると、女性を含めたコメンテーターは結構問題なしとしているのに対し、マスコミ出身の男性ジャーナリストは何故か問題を大きくしようとしていることだ。前回でも触れたように女性はこうした問題を政治判断に転換しない傾向があるのに対して、男性はこれを政治問題化させる。この傾向に加えて、今回の場合メディア出身者という要因がこれをさらに拍車をかけている。これは何故か。

近年、マスメディアの影響力というものが低下している。情報源としてのそれはまだまだある。メディアで取り上げられるものは人気が出るし、メディアで注目される選挙は投票率が上がる。しかし、発言力に関しては低下しているように思えてしまう。そして、その影響力の低下の原因を探ろうともせず、いうことを聞かない者に対して意固地になって批判を加える。小泉内閣時の靖国問題などがその典型であったろう。今回もその傾向が出てしまっているような気がする。つまり、「マスコミが辞めろといっている大臣が辞めないのはけしからぬ、いうことを聞かないなら徹底して批判してやる」ということだ。しかもこれが今回の場合露骨に出てしまって、公共性よりも自身の存在価値の顕示という特殊利益を前面に出してしまっているように思えてしまう。これはメディアにとって自殺行為ではなかろうか。

メディアは情報発信者と受信者とをつなぐ公共的役割を果たしている。その前提となるのは、消費社会同様に仲介者への信用によって成り立っている。この信用が崩れてしまえば、受信者は何を信用してよいか分からなくなり、受信を拒否するようになるかもしれないし、仲介を排して発信者と直接つながろうとしてしまうかもしれない。これは政治の世界においては、全くの危機であり、政治的無関心を生み、メディアよりも政府を信用するような状況は、大げさにいえばファシズムの温床ともなりかねない。メディアに携わる人間は、どこまで自覚的なのだろうか。ちょっとした短期的利益に汲々として長期的利益が見えなくなってしまってはいないか。

メディアの発言力は低下した。この事実は覆すことはできない。しかし、メディアが重要なのはもちろんのことだ。今後のメディアは、事実関係の報道と、大衆迎合的でも少数派でも発言の機会を何が何でも確保する覚悟を維持すればいい。また一方で、党派性を持ってもいい。意見があってもいい。しかし、それが通らないからといって、敵対者を必要以上に貶める手法はとらない方がいい。消費者からの信頼を維持することが、マスメディアの第一の仕事であることを今一度省みてほしい。

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2007年2月 6日 (火)

柳沢発言と女性票

2月4日に投開票された北九州市長・愛知県知事選挙は、与野党1勝1敗の結果となり、痛み分けのかたちとなった。この選挙から見えてくるものは何だろうか。

今回の選挙は、自治体首長選挙には珍しく与野党激突の今国会との関係でずいぶん注目された。投票率は、前回よりも大幅に上がったようで、やはり投票率は全国放送のメディアの露出度によって影響を受けるのが昨今の現状らしい。もともと自治体選挙などは、その土地で産業を起していたり、働いていたりする者以外にとっては結構どうでもいいものであり、よほどの酷さでメディアで報道されない限り、直接利益をこうむる人々に任せておくのが普通だろう。直接、行政の施行に携わったり、関係したりしなければ、それらを知る機会とはほとんどないわけで、新聞・テレビで報道されなければ一般市民は何も知るよしはないのだ。知らないものに関心を持たないのは当然であろう。

北九州と愛知での選挙結果に関しての印象としては、どうやら地方と都市での投票行動が変わりつつあるというものだ。北九州市はかつては三大都市圏以外で始めて政令指定都市に選ばれるなど、日本を代表する都市のひとつであったが、近年では人口100万人を切り、人口流出もままならない衰退都市であるという。それにくらべて、愛知は有効求人倍率が1.91倍と全国で最も高い価を示す大都市である。かつては地方は自民、都市は民主というようなすみわけができていたようで、愛知は「民主王国」と異名をとるほど民主が強かったようだ。しかし、小泉時代に自民党は既に都市型政党に変貌を遂げ、地方と都市の関係には逆転が生じている(参照)。その点でいかにも地方の政治家の風貌を持つ小沢一郎氏が民主党の党首に据えられたのは時宜にあったことだといえる。それはともかく、今回の選挙では北九州市では自民党支持者の中から民主党候補にもかなりの票が流れ、逆に愛知では民主党支持者から自民党候補にかなりの票が流れていることをみれば、選挙事情もずいぶんと様変わりしてきたものだと思える。

次に今回最も注目を集めたイシューである「柳沢発言」に関わる女性票の行方であるが、どうやらこれは民主候補に有利に動かなかったらしい。共同通信に調べによれば、愛知県知事選において、男性は、与党候補44%、野党候補51%と7ポイントリードしたのに対し、女性では、与党候補52%、野党候補41%と逆に9ポイント差をつけたという。このように女性があまりこの発言と選挙や政治に関係づけて考えていたわけではなさそうであるし、元々関心もなかったようにも思えた。私のように朝寝て昼起きるという生活をしている者は、寝る前と起きた時にテレビをつけるとちょうどワイドショーがやっていたりするが、先週の番組ではどちらもほとんど報道されていなかった。もっとも8時までのニュースショーのような番組はサラリーマン向けに作られているので散々やっていたが、主婦向け時間の8時以降、14時、夕方のニュースではみることができなかった。当初はやっていたようだが、翌日には「アニータ」やら「あるある」の方に大きな時間を割いていた。これはどうしたことなのか。

ワイドショーを1週間でも見たことがある者は気づくであろうが、このメディアが報じるのは、ヒーロー・ヒロインの話、恋愛の話、殺人事件や難病など生命にかかわる話、あとは金に関わるものである。つまり性・命・金と非常にリアルに官能を刺激するものばかりだ。前記の「アニータ」は公金の問題、「あるある」は家計費に関わる問題だ。柳沢発言は女性を不快にするに足る発言だと思われるが、女性は男性のようにこれを利用して何かを変えようとするロマンには転換しない。そういえば、戦前の「婦人選挙権」の議論では、女性は穏健篤実だから保守党に有利、というような議論もあったと思うが、現在の保守党を支えているものもまた女性なのだといえる。

とすると、野党の戦略として、「政権交代」を掲げるのは、女性票を逃がすことにしかならないのではなかろうか。彼女達の求めるのはロマンではなく、実利的に現在の生活を豊かにするとか、無駄な金を使ってくれるなというリアルな要望だと思われる。小泉前首相に女性人気があったのは、何かを変えるという姿勢というよりも、彼のヒーローとしての魅力と税金の無駄遣いを減らす、どこかで甘い汁を吸っている奴(既得権益)がいるのを許さない、本人の金銭面でのクリーンさ、というところにあったのだろう。そのあたりを読み違えている風が、男性中心の政界やメディアにあるような気がしてならない。今現在の女性票獲得の戦略としては、金にキレイな議員集団で、税金の無駄遣いを減らし、所得を増やしてくれるという政策を地道に訴えることではなかろうか。

蛇足ながら、安倍首相が柳沢大臣を罷免できなかったのは指導力のなさを露呈したと政治評論家の有馬晴海氏が述べていたが、これは全く逆でこの状況で続投を決められた方に指導力があったというべきであろう。また、これにより柳沢氏は前内閣の武部勤氏のように首相に恩義を感じ、忠臣となるだろう。次の内閣改造では無理でも、その次があるなら重用されるような気がする。現在の安倍首相には裏方に徹してくれるような忠臣がいないようなので、こうした恩を売るという行動は次につながるものとなろう。しかし、一連の内閣不祥事をみると、小泉内閣で大臣になれなかった議員というのは、印象が悪いからとか政策が合わないからではなく本人に問題があったのだな、と痛感させられる。もっとも、現首相に人を見る目がないという点にも帰せられるのだろうが。

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2006年11月11日 (土)

核武装論議をめぐる政治文化論と近代化論

自民党中川昭一政調会長に端を発し、麻生太郎外相が容認するにいたった核武装に関する議論の容認は、戦後の日本政治において、一つの面白い現象を表出させたのではなかろうか。

核武装をめぐる議論はこれまでにもあり、さして珍しいものではないが、与党幹部や内閣の一員が問題提起して、更迭されないまでか、安倍晋三首相そのひとが容認するという事態が新しいのである。記憶の新しいところでは、小渕恵三内閣の防衛政務官だった西村真悟氏が『週刊プレイボーイ』誌上の対談で「国会で核の議論をしなきゃあかんなぁ」と述べたことで更迭された。これに較べると隔世の感がある。もっとも、この時の西村氏は連立与党の自由党の一議員であり、今回の場合は自民党の重鎮の発言ということで、そう易々と首は切れないという相違はある。しかし、前回と今回とで異なる状況とは、国民世論の反応にある。

西村氏の時は、産経新聞などが擁護したものの、保守系オピニオン誌すらも何か冷ややかな態度をとり、連日テレビで問題にされ非難轟々だったように思う。しかし、今回は「議論自体はいいんじゃない」という国民の反応が見られるように思うのだ。これは単純に北朝鮮による核実験の実行という厳然たる危機意識がそれを容認するという状況的な側面はあるだろう。しかし、この議論の容認とは日本社会にある種の変化を予感させるものではないかと思われるのだ。

かつて日本文化論が流行った時期があった。その中の代表的な著作に一つに中村菊男『政治文化論』(1976年)があった。本書は政治現象を文化との係わりから探り、日本においては「むら」社会こそがその本質ととらえ、被害者意識、閉鎖性、派閥根性などが日本人の政治行動を決定づけると指摘していた。現在読むと非常に眉唾的な議論で、承服できない代物である。というのは、現在の政治現象を探るには個々の事実をミクロ的に観察していくが、その現象の背景にある日本人の特性を探るために歴史的事実をマクロ的に見なければならないと考えているからだ。前者の手法は首肯できるとして、後者は政治、経済、社会の諸制度の変化を考慮に入れず全体として把握するために極めて危うい議論となってしまうことを考慮に入れているように思われないからだ。政治文化論のいかがわしさは、制度の変化においても変化しない政治文化というものが存在し続けると述べると同時に、制度自体が政治文化に適合的なものを選ぶと述べてしまうところだ。

政治文化とは異なるものの典型的な日本文化として挙げられる終身雇用制というものがある。しかしこれは、右肩上がりの経済成長において、雇用者側がせっかく育てた人材を他社に持っていかれるのは損失だとして社員を引き止めるために給料を上げ、被雇用者側では給料が上がるなら転職する誘引がないので終身雇用されるという高度成長期特有の雇用形態であって日本文化とは関係ない。だから、不景気や低成長になれば企業は昇給させられないし、雇用者もより良い待遇の企業に乗り換えるようになる。また、終身雇用制を前提としていた企業別労働組合も転職者が増えれば、衰退せざるを得なくなり、他の先進国同様業種別労働組合に変っていかざるを得なくなるだろう。そうなれば、また高成長になったとしても終身雇用制が復活するかどうかは、可変的になる。つまり、文化とはその時々の状況次第によるもので、不変的なものではない。ましてや、政治、経済、社会制度にそれほどの変化がなかった前近代に見られた文化を使って、全く様相を変えた現代社会の国民を規定することはできない。

しかし、だからといって、この政治文化論を簡単に切り捨てられない面もある。というのは、この議論を永遠不変のものとして利用することは不可能だが、その書かれた時点では、そのような認識をもたれていた、またはまだ前近代的文化を残存させていたという事実に気づかされ、また現在との相違を理解することで、その変化というものを認識させられるということだ。

本書では、多数・少数の立場が相対的に存在することを前提としている多数決原理を日本人は勝ち負けの原理と受け取っているという指摘がある。これは、日本人は農耕民族であるため、農村での共同作業は必然であり、また異なる意見の存在はその秩序を乱すため認められないという意識を前提としている。この「むら」意識は農村だけではなく、彼(彼女)が所属する集団に引き継がれる日本人のコア・パーソナリティとされる。つまり、自分とは異なる意見を認める多数決の前提と異なり、多数決は自分と異なる意見を承服させる手段とされる。また、それに至る前に異端は圧殺してもよいと考えてしまうことになるだろう。

さて、そこで今回の核武装論議である。従来の日本では「唯一の被爆国」という感情論や「非核三原則」という政策決定がなされたことで、核廃絶が「与論」であり、核議論そのものも認めない雰囲気であった。それが今回、「議論はよい」という状態が生れたのはどういうわけか。これは、日本社会が農業社会的遺制をついに脱したことの表れではないか。既に農業人口がわずかな水準に達していたというのに、「むら」的な共同体意識を工業社会に持ち込んでいた日本社会が異質な他者との接触を否応なくさせられるサービス産業が主流となって久しくなった今、異質な意見はあるということを容認できる社会にようやく到達したというあかしなのではなかろうか。今後はますますタブーは薄れていって、自由な議論ができる雰囲気になるだろう。

制度や社会状況が変れば、意識も変るという近代化論は、これまで芳しくない評価を与えられていたが、まだまだ命脈を保つようである。

ちなみに私の核武装に関する議論は、石破茂氏のように得がないとして否定的である。しかし、石破氏がいうように日本が核武装したら国際社会で北朝鮮のように孤立するという見解にはいささか疑問で、日本のように市場価値、戦略価値のある国が核武装しても孤立させられることはないし、できないだろうという展望を持つ。核実験した時は、遺憾の意を表した我が国も市場、戦略ともに価値のあるインドに接近したように。私は、核を持つことで国際政治の中で日本が責任ある立場に立つことのリスクに不安なのだ。

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2006年9月 9日 (土)

皇孫誕生:男系維持派の次の一手

9月6日、秋篠宮妃紀子様が男児を出産された。

不思議なことに誰も女子誕生だと思わないまま男子が生れ、無意味な政治リスクを自然なかたちで回避できたということで、おめでたいことだ。

しかし、その後の報道に接すると、秋篠宮夫妻は男女どちらが生れるかをお聞きにならないで、担当医師以外はそれを知らなかったというのは、一概に信じられない。おそらく知っていたであろうし、政府上層も知らされていたであろう。そうでなければ、その後の皇室典範改正論議が全く消えうせた状況は不思議であるし、多くの国民もその状況から察したのであろう。おそらく、「実は知っていた」となると、今後のご懐妊の報にふれた際、どうせ分かっているのだから、早く知らせろという無遠慮な要求を警戒して分からなかったことにしたのであろう。

それはいい。問題は今後の問題である。

次期政権は、男系維持派の安倍晋三氏が首相になることが既定路線である。仮に安倍政権が来年の参議院選挙を乗り越え、長期政権となるなら、男系維持を可能とする皇室典範改正が行われるだろう。その改正の要点は、養子を認めること、皇太子辞退を認めること、退位を認めること、内親王の宮家を創設できるようにすること、であろう。

最初の養子の件は、言うまでもない。先日誕生した親王を現在の皇太子の養子として、次の皇太子として立てるようにすることだ。現在のところ、親王の皇位継承権は第3位だ。今上天皇、皇太子、秋篠宮、親王では、あまりに代替りが頻繁に過ぎる。元号法も有効であるし、現在のところ在位が長いことで国民の天皇への崇敬心も安定すると考えられるので、頻繁な代替わりは避けるべきだ。そのために、養子容認は既定であろう。

次に皇太子辞退であるが、男系をスムーズに継承させるには、現在の皇太子の存在はやや不敬な表現だが「障碍」となる。それならば、現在の皇太子が辞退して、秋篠宮が皇太子となって、一代おいたヒゲの天皇が即位された方が、良いだろう。また、皇太子のご性格からいっても可能性がないわけではない。雅子妃は皇室に入ることを避け続けたが、皇太子の立っての願いで皇太子妃となったものの、その心労は計り知れぬものがあった。皇太子はその責任を強くお感じなっておられると推察できるし、雅子妃への愛情を考えれば、「皇位よりも雅子を選ぶ」と有史以来最大の「事件」を起すかもしれない。

次に退位を認めること、これは、今上天皇のことでも皇太子が次期天皇になられた時のことでもない。女性天皇が認められた際の措置である。女性天皇と女系天皇の議論はやかましいが、愛子内親王が天皇に即位されても、こちらは男系天皇である。これは男系維持派も容認するところであり、問題は次にどなたが即位されるかだ。そもそも天皇になられる方の配偶者になろうとする肝の据わった男性がいるかどうかも疑問であるが、もし皇配ができたとして、その間に生れた親王乃至内親王が即位されるのは、男系維持派にとって悪夢である。だとすれば、折を見て退位し、旧来の中継ぎとしての女帝の役割をお勤めになり、親王に皇位を譲り、近代初の上皇となられるのが良いであろう。しかし、一度即位され子供がいるのなら、それを飛び越えて男子に皇位を譲るというのは男系擁護が国民常識とならない限り不可能であり、また国民感情としても納得のいかない部分をのこす。これはまた無意味な政治リスクを生むと考えられるので、可能性は低いかもしれない。

最後に内親王の宮家創設である。待望の男子がお生まれになったとはいえ、まだ一人である。今後どのような不測の事態が生じるとも知れない。また、このままでは皇室は一家族だけになってしまう。一家族だけの皇室というのは、現在の「大衆天皇」下の皇室としては象徴機能としてはなはだ弱い。皇室写真や映像では、三世代かつ東宮と秋篠宮という構成で完成している。このような家族像というものは、今後も続くであろう都市化や個人化の中で稀有な存在となる。稀有だからこそ、皇室への尊重の気分は維持される。それがこのままで行くと随分と寂しい絵柄になってしまうのである。それを防ぐためにも内親王の宮家創設が必要となる。しかし、何といっても重要なのは、跡継ぎのプールとしての機能である。この二つをクリアするために、男系維持派は策さなければならないし、おそらくそれを考えている。それは現在の3人の内親王の配偶者として旧皇族をあてることだ。

皇室典範改正論議の中で、男系を維持するために旧皇族を皇室に復帰させるという案が出されていた。しかし、一度臣籍降下した一族を皇室に戻すというのは、国民感情として納得させることは容易ではない。しかもその連なる血筋というのも数百年、現在の皇室とは離れているという。それならば、その旧皇族と現在の内親王を娶わせればどうであろう。多くの国民は、旧皇族には何ら関心を持っていないが、内親王の方々には親しみを感じている。さらに旧皇族と内親王と間に男子が生まれ、その方が皇族の一員として皇位継承資格をお持ちになるのは、男系維持派にも納得がいくのである。

しかしまだ問題が残る。やはり多くの国民は内親王に親しみを感じるとしても、新しい宮家を創設するという前例のない手法についてこれるかということだ。皇室は国民の税金によって養われているから、その部分にも配慮しなければならない。できたものにはそれほど不満は感じないものの、つくるとなると不満を感じるのが人情というものだ。それを解消するためにも今後は、内親王を皇室に残せるような人気を出させるようなメディア戦略が行われるのではないか。それが功を奏したときは、内親王がご結婚されるに際して、皇室を離れるのを惜しむ声が出るようになるかもしれない。そうなれば、宮家創設は可能になる。今後はおそらくそのような戦略がとられる。その中心には愛子内親王がおられるであろう。

もっとも、今回の慶事が刺激になって、皇太子夫妻に今一度ご決断があれば、最も自然なかたちでリスク回避が行われるのだろうけれど。

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2006年8月 7日 (月)

安倍氏の靖国参拝・雑感

報道によると安倍晋三官房長官が今年4月15日に靖国神社を参拝していたという。そして、本人も認めるところで、事実であるようだ。安倍氏については前回のエントリーで論じたのでこれ以上述べることは、今はない。今回、興味深かったのは、この事件をめぐる周囲の反応だ。

私が見た範囲では、ほとんどのメディアがこの事を報道するに際し、最後に「中韓の反発は必至の模様です」と締めくくった。また、中韓関係を重視する立場にある自民党内の政治家や野党が一斉に「遺憾」やら「問題」とするコメントを残している。しかし、当の中韓からの反発の声が聞こえてこないのである。もっとも、中国政府は外務省のコメントで靖国参拝反対の意思を表しているが、それは直接の映像すらないもので、韓国ではメディアが報道したようだが、それ以上の反応はない。これはどうしたわけか。

結局のところ、中国も韓国も諦めた、ということだろう。これ以上、靖国で騒ぎ立てても、反靖国派が政権を握る可能性が低いと踏んだと思われる。中韓や国内の政治勢力が靖国反対の声をあげるのは、別に何らかの思想的信念があるわけではない。彼らは思想家ではないのだから。現政権が気に入らないから、これを倒すために日本国民の支持を調達する手段として利用しているだけ、または日本政府に自らの要求を受け入れさせるという覇権的意思を満足させるためである。とすれば、賢い海外の政府は次の政権も靖国参拝派が担うと分かれば、反発する必要はない。彼らも日本との協調は自明だからだ。今後数年、安倍氏の政権が続くならば、靖国カードを使う必然性はない。無駄な軋轢を生じさせても彼らにメリットはないからだ。また、中韓にとっても国内での反政府感情を反らすためにも、日本の首相に靖国参拝して欲しいという裏の事情もあるかもしれない。次に使うならば、安倍氏の政権が末期症状に陥った時、靖国以外の歴史カードを出してくることになるだろう。

また、国民の靖国参拝の支持・不支持の推移だが、当初支持が高かったのは、自分が支持する小泉首相の参拝だから支持するという消極的理由に過ぎなかった。それが中韓の反発により、そもそも他との軋轢を国民は好むものではないし、靖国参拝は人々にとってそれほど重要な問題ではなかったため、支持が落ちてきた。つまり、多くの国民にとっては面倒ごとは起して欲しくない程度の問題で、どちらでもいいのだ。しかし、中韓の反発が弱まるとどうか。すると、やっぱりどうでもいい問題なので、自分の支持する首相が行くならばと支持は回復するだろう。首相が靖国に行くという前提での靖国問題の解決は、中韓が諦めて反発しなくなることと、首相の支持が高いこと、ということになるだろう。

そこで見えてくるのは、国内のメディアや政治家の浅墓さである。彼らは中韓に期待して今回も反発して見せた。しかし、中韓政府は抑制的な姿勢を見せた。どうやら、彼らははしごを外されたようで、自らの外交センスのなさを露呈したようなものだ。もはやメディアを含めて彼らの指導による政権運営に期待すべくもない。しかし、彼らには政権への批判勢力としての役割を担ってもらわなければならない。そのためにも彼らには自省してもらって、新たな争点を探ってもらいたい。もはや、靖国問題は終ったのだから。

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2006年7月21日 (金)

安倍晋三『美しい国へ』文春新書、2006年

「ポスト小泉」最有力候補の安倍氏の単著である。

内容的には、彼の思想の原点としての家系、愛国心、安全保障、外交、社会保障、教育とこれまでの彼の政治活動や主張に沿った内容で、それらを詳しく検討する必要はないだろう。しかし、大まかに言っての感想としては、かなり「リベラル」なのではないか、ということだ。

「リベラル」というのも大変議論のある概念で、彼の著書もまず最初に「「リベラル」とはどんな意味か」から始められ、ニューディールを端緒とする「リベラル」とは一線を画する「開かれた保守主義」と自認している。現在の政治的対立軸は、「財政的リベラル―財政的保守」と「社会的リベラル―社会的保守」という整理の仕方がなされており、財政的リベラルとは公共事業などを増やし雇用を創出し市場という意味での市民社会にある個人を国家が支えるという立場であり、財政的保守とは国家は市民社会に介入せず個人の行動を市場に委ねることで経済成長によって個人の生活を豊かにするという立場だ。また、社会的リベラルとは、社会的単位を個人に置くことで経済的ではなく価値観における自由を重視し様々な局面での機会の平等を形成しようとし、社会的保守とは伝統的な制度である家族や共同体、伝統的な価値観である義務や責任を美徳として擁護する立場だ。

安倍氏の立場は、「財政的保守―社会的保守」という如何にも保守主義者らしい相貌が見える。しかし、一方で安倍氏はこの区分では「社会的リベラル」に該当するであろう社会保障をかなり重視する主張も行っている。そもそも社会保障とは、ドイツ帝国の宰相ビスマルクが国民の支持をブルジョワ政党に支配された議会ではなく、官僚組織の頂点にある皇帝に調達させるための手段として採用された行政国家としての理念に始まるものという。そのため、国家主義に親和性を持ち、安倍氏のイメージに適合するものではあるが、現在の文脈では生れた家族や性別、人種などでのハンディキャップを埋める機能を期待されており、これら生来のものもしくは社会的文脈とは切り離された個人を保障するものだ。つまり、親や妻、夫、子供、共同体に期待するのではなく、あくまで各個人が個人だけで生きていける状態をつくるものが社会保障というわけだ。福祉国家のモデルとして言及される北欧諸国は、家々が点在しており、また個人主義志向が強いために国家に頼らざるをえなかったという点が指摘されている(尾崎和彦『北欧思想の水脈』世界書院、1994年)。

これだけをもって国家や家族を重視する安倍氏をリベラルとはいえない。しかし、現在の先進国における福祉国家は財政的な問題で完全な個人に立脚した福祉国家は不可能であり、国家が完全な保障は望めない。そのため、リベラルですら家族の再興を訴え、社会保障を家族に肩代わりさせることで財政の縮小を図っている。これはリベラルすら、新保守主義のサッチャーやレーガンの方向性と近いものがあり、安倍氏もその位置にいるのだ。

また、デヴィッド・ミラーら、近年のナショナリズムの再定義を行う立場のリベラルが主張するところは、あまりの個人主義化は社会保障を成り立たなくさせるおそれからとも思える。なぜなら、国家は国民に納税の義務を課しているが、もしある個人が国家による保障など必要のない生活で暮らしているならば、何故自分の資産の一部を自分とは関係のない他人を助けるために税金を支払わなければならないのか、という疑問を生じさせる。このような個人、しかも多くの税金を負担しているものから徴収できないとなれば、国家は国内の恵まれない人々を保障できなくなってしまう。それはリベラルの価値観から容認できるものではなく、各個人の連帯を確実にするためにもナショナリズムは必要となってくる。つまり国家は必要であり、最低限の言語、歴史、国境を同じくする人々への連帯や同情を維持しなければならない、ということだ。安倍氏の国家擁護は、この意味からもリベラルに容認されるだろう。

現在の政治思想では、リベラルと保守との相違は程度の問題とされてきている。両者の相違は、政治勢力が伯仲している際に相手を攻撃する言葉ぐらいの意味しかない。現在の安倍氏の位置とは、そのような状態にあるのである。

このように安倍氏の著書から読み取れるのは、現在の政治思想レベルにおいて、かなり中道よりに移動していることである。これは、自民党が都市中間層への支持を期待する都市型政党に生まれ変わった過程と合致する。従来の保守政治家の政策志向は、地方の再生としての公共投資や中小企業対策など、企業経営者向きのものであったが、安倍氏の著書にはそれらの言及はない。都市中間層にターゲットを絞った政治姿勢を安倍氏は目指している。がんばった者が報われ、脱落した物には保障し、より国家への保障を求める者には強い国家を目指すことで心情的に満足させる。マルクス主義者なら、これこそファシズムだというかもしれないが、現在において最も支持を集める方向なのである。

最後に先日、「昭和天皇メモ」とやらが発見されたので、天皇観および靖国問題にも言及しておく。日本の保守を規定する一つの基準に天皇への崇敬心、という特殊事情がある。安倍氏も著書で天皇にふれているように天皇重視姿勢は持っている。さらに歴史観も保守の重要なメルクマールで、大東亜戦争を含む過去の歴史に対して同情をもつ、または連続したものとして捉える、というものがある。靖国参拝問題は、明治国家と現在の日本との連続性を容認するか、否定するかという問題に絡んでくる。これも安倍氏の著書で縷々述べられており、今ホットな話題であるA級戦犯が祭られている状態でも参拝は可能という立場を明確にしている。

そこで入ってきたのが「昭和天皇メモ」だ。それには、天皇が参拝をやめたのはA級戦犯合祀が原因であるということが書かれている。このメモで個人的に興味深いのは、A級戦犯の中で東條ではなく、松岡洋右と白鳥敏夫が名指しされていることだ。これは、昭和天皇が日独伊三国同盟を重要視し、大東亜戦争はその結果に過ぎないという歴史観、政治観が垣間見えるように思える。しかし、ここではそれは問題ではない。日本の保守層が重視する天皇と現在の靖国に齟齬が現れたという点だ。この点を安倍氏はどのように考えるだろうか。

私は現在の日本人の著書を読む際に、著者の思想傾向をみるにあたってまえがきやあとがきの年号表記に注目する。つまり西暦か元号かということだ。現在では西暦が主流になっているが、そこをあえて元号表記する人には何らかのメッセージが含まれていると考えられるからだ。西暦は、もともとはキリスト暦ではあるが、宗教を否定する共産主義国家でも表記は西暦にしたということで、その臭みは消えて一般的な時間表記になった。それに対し、元号は天皇の権力が低下した中世や近世においてもその決定は天皇が行なったということからも分かるように、天皇が日本の時間を支配していることを表しているものだ。だから元号使用には天皇に対する何らかの崇敬心の表れと見ることができる(もっとも、元号自体の淵源はシナ文化にあったので、これをもって日本主義・天皇主義を語るというのはそもそも弱いわけだが、これは良しとする)。

安倍氏の今回の著書はどうかというと、何と「二〇〇六年七月」なのである。これはちょっと驚いた。如何にも現在の保守政治家を代表する安倍氏が元号を使用していないのである。そういえば、戦後政治において右翼の大物と思われていた中曽根康弘氏も実は年号表記は西暦なのである。中曽根氏は自らが大統領的首相を目指した理由として、吉田茂が「臣茂」と自らを位置づけたことへの反発があったからだと、どこかで述べていた。西暦使用もそのあたりに理由があったのかもしれない。

そこで安倍氏である。天皇がらみで言えば、著書の中で「天皇制」という用語を使用している。以前書いたように、「天皇制」という言葉は昭和初期にソヴィエトのコミンテルンがその世界戦略の一環として日本を位置づけるために作った用語で、「天皇制」の後には「打倒」や「廃止」が来るのが正しく、「擁護」というのは来ない。このような現在普通に使われている「天皇制」という言葉にこだわるのは瑣末ではあるが、保守にとっては結構センシティブな問題なのである。しかも、安倍氏は「天皇制」を「天皇制度」と読み替えようと訴えた坂本多加雄に言及しているにも関わらず、「天皇制」を使用している。ここから読み取れるのは、安倍氏はナショナリストではあるが天皇主義者ではないということだ。

以前、「新しい歴史教科書をつくる会」の運動華やかりし頃、谷沢永一氏が彼らには天皇への崇敬心が足らないとして批判していた。運動を支えていた市民の皆さんも天皇にはそれほどの関心を示していなかったらしい(小熊英二・上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム』慶大出版会、2003年)。つまり、現在の保守運動は「天皇抜きのナショナリズム」ともいえる現象が見られるのだ(もっとも、皇室典範問題で男系維持を訴えたのも同じ層なのかもしれないが)。安倍氏の位置もそこにあるのかもしれない。

近年、憲法改正問題で今上天皇はおそらく9条を支持しており、尊皇心ある保守政治家に憲法の改正などできるのか、と皮肉交じりで述べる護憲派がいる。このように現在の保守運動は、天皇主義とナショナリズムもしくは民主主義と言い換えてもいいだろうが、この両者をどのように兼ね合いをつけるかにも関わってくる。安倍氏の立場は、おそらくナショナリズム=民主主義の側にあるのだろう。男系維持問題もそうだが、現在の保守は、制度としての天皇は重視するが、天皇個人への忠誠心はそれほどあるものではない。やはり民主主義者なのである。そのため、天皇個人が靖国参拝や憲法改正に反対しようが、関係ないのである。これは丸山眞男以来の戦後政治学の成果ともいえる。もはや天皇に日本人を縛る力はない。いまだその幻想を引きずっているのは、左派の方かもしれない。

おそらく、安倍氏は「昭和天皇メモ」に影響を受けずに靖国参拝をするであろう。機会と勢いがあれば9条改正にも着手するであろう。これまでみてきたように安倍氏は、政策においても思想においても、戦後政治学、政治思想の一つの結節点にある人物だ。実際の彼の手腕は未知数だが、彼に期待している旧来の保守は裏切られるであろうし、彼を警戒する左派も旧来の意識を払拭して戦略を練り直さなくては乗り越えることはできない。そういう人物を首相に据える可能性が高まったという時代認識を我々はもつ必要があるのだろう。

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2006年6月20日 (火)

福田康夫氏、総裁選撤退?

通常国会も終わり、政界は総裁選へ向けて走り出したようだ。

そんなおり、各種世論調査で安倍晋三氏の圧倒的支持と対抗馬と思われる福田康夫氏の不振が報じられている。そして、福田氏の総裁選撤退を示唆する報道もなされている。

私は、これまでのエントリーでポスト小泉は、安倍氏であることを前提に議論してきた。というのも、選挙制度が変り、政党本位の選挙戦が行われることで、党首には「選挙の顔」としての機能が期待されるからだ。そのため、官房長時代のあの無表情に反発を持つ国民が少なからずいることから、福田氏が総裁に選出されることは、自民党にとってかなリスクのあることだと考えられる。よって、福田後継は可能性として極めて低いのだ。この政党党首選出の条件が世論の支持であるということは、細川政権以来の政治を首相機能の強化という視点で論じる竹中治堅『首相支配』(中公新書、2006年)で詳しく論じられている。竹中氏によれば、新進党結成により、政党競争が現実のものとなったため、当時人気のあった橋本龍太郎氏が総裁に選出され、またその次の小渕恵三が選出されたのは当面選挙がないからという消極的理由が大きな要因であった、ということだ。その例で考えれば、来年には参議院選挙があり、この5年の小泉政治を経験してきた自民党議員は人気のある総裁を選ばざるを得ない。だから、よっぽどのことがない限り、次期総裁は安倍氏しかないのである。

それはともかく、福田氏がこれまで反小泉議員に期待されてきたことは、何だったのだろうか。端的にいえば、靖国参拝をめぐる対アジア外交と世代交代への危惧ということであろう。しかし、これって奇妙なことではないか。何故彼らは、自前の候補者を擁立せずに、敵である小泉首相の出身派閥の議員に期待するのか。全く人材が払底してしまったのか。大派閥となった森派の分断を策するという深謀遠慮のためか。分からない。

しかし、この過程の中でちらつく人物がいる。前総理森喜朗氏である。彼は、首相在任時は散々な目にあった。しかし、首相を降りる際、総裁選を国会議員だけでなく、党員投票の予備選を導入させるなど、小泉政権誕生を導いた稀代の策士でもある。彼は自民党幹事長時には村山内閣成立に尽力し、自自公連立までやってのけた名幹事長であった。また、小泉政権時には首相を批判するような発言をして反小泉のガス抜き役も買って出ていた。彼の政治信条はおそらく自民党が政権与党であり続けることの確保だ。今回の総裁選は、彼の派閥を舞台に行われている。これに森氏が意味のない行動をするとは考えられない。

森氏のこれまでの発言は、福田支持をにおわせるものだった。しかし、これは彼の本心だったのだろうか。私は違うと思っている。彼はそれほど選挙に勝てそうにない福田氏を総裁に据えるほど勘の鈍い人物ではない。とすれば、如何にして安倍氏を総裁に据えるか、という視点に立って行動を起しているに違いない。それには、まず反安倍派をどうコントロールするかにある。そこで考え出したのが、自派閥からの対抗馬をにおわせることだ。そして、その候補と安倍氏に注目を集めさせることで、他派閥の候補者の存在感を低下させる。また、強力な候補者が出てこられないような雰囲気作りをする。そして、反安倍派に自派閥対抗馬への期待を高めさせる。そのことで反安倍派の選挙準備をぎりぎりまで不可能にさせようとしているのではないだろうか。つまり、森氏は、自派閥の福田氏を持ち上げることで、他の候補者または他派閥の動きをとどめているのではないか、と考えられる。

このように考えれば、福田氏の出るのか出ないのかという行動は、安倍総裁を誕生させるための演出に過ぎない。自民党議員もマスメディアも森喜朗という稀代の策士による自民党劇場に踊らされているだけかもしれない。

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2006年4月10日 (月)

小沢民主党の前途

民主党の新代表に小沢一郎氏が選ばれた。

以前の記事でそれは予想していたことであり、別に驚くに値しないし、自民党との対立軸も予想しておいた。だから、特に論じることはないのだけれども、こういうナマモノに食いついておくのも無駄ではないだろう。

私は今後の自民と民主の対立は、均衡財政と積極財政という軸となるとした。これは、小沢氏が従来、新自由主義の旗手としてイメージされてきたことからは出てこないことであろうが、私は必ずしもそうは思わない。先の衆院選やその前の衆院選で見えてきたのは、自民党が都市型政党に変ったということだ。

昨年のそれは分かるとして、その前の年の特徴は、従来都市型といわれた民主党が地方で善戦していたことだ。これは単に当時の小泉政権が衰退期に入っていたからだけでなく、そもそも地方に地盤があった自民党が小泉政権発足以来、地方への失業対策である公共事業を削減していった経緯がある。そのため、地方出身の有力議員を有し、都市型にもなりきれず、地方を切り崩していき、自民党は議席を減少させた。あの選挙は、まさに都市型自民党の過渡的な選挙だったわけだ。しかし、昨年の郵政政局で地方型の政党人を切り捨てることに成功し、自民党は生まれ変わった。

そこにきて、小沢氏の民主党代表就任である。たしかに小沢氏は90年代から00年代までの改革のモデルを作った人物である。しかし、彼にも師匠である田中角栄の遺伝子を強く引き継いだ部分がある。均衡ある国土発展という点である。小沢氏は、著名なその『日本改造計画』で「東京からの自由」という節を設け、東京一極集中型から、調和の取れた分散型の国土政策を訴えている。そこには新幹線網や高速道路網など、現在では削減の対象とされるような公共投資を強く推進する意志が見えてくる。つまり、市場に任せた経済政策では、効率の良い東京に経済拠点、人が集中してしまうため、国があえて流通経路を作ることで人を地方に分散させ、産業を振興させようとする積極政策が採られるというわけだ。

増田悦佐『高度経済成長は復活できる』(文春新書、2004年)で、60年代の高度経済成長が止まったのは、1972年の田中角栄政権の成立により、都市に投資すべき公共事業を非効率的な地方に投資する政策が採られるようになったからだと主張している。所得倍増計画は、吉田系の池田勇人内閣からと思われがちだが、実は最初に着手したのは現政権の源流でもある岸信介政権だった。つまり、60年代の経済成長は、50年代に岸が既に準備していたものが開花したものなのだ。そして、そこで得た美果を田中角栄は地方へと還流させていった。

これは都市中心の経済成長を旨とする中央官僚グループに対する都市の繁栄を人材という面で支えてきた地方人の復讐であった。しかし、それは産業基盤のない地への投資という非効率性から、国全体の国力を低下させていった。そこで逆に富を地方に搾取された植民地の如き都市の逆襲が、小泉構造改革というわけだ。小沢氏が小泉政治を官僚政治というのも故なしとしない。小沢氏の掲げる政治主導とは、ここ30年の利益誘導政治に堕する可能性を秘めたものだ。

さて、来るべき安倍自民と小沢民主の対立軸は、これにとどまるだろうか。もう一つ、小沢氏が掲げる靖国問題も関わってくるだろう。つまり、歴史認識である。これも上記のストーリーと親和性がある。というのは、小泉自民の源流は、小沢氏が靖国から外そうとするA級戦犯と同様、戦犯容疑をかけられた岸信介だ。つまり、彼らは戦前との連続性にアイデンティティを有するグループなのである。それに対し、小沢民主の源流は、非エリートの田中角栄という戦後の立身出世神話を体現する人物だ。ここに戦前エリートと戦後民主主義という亀裂が存在する。戦争責任に関して、中華人民共和国は、加害者である指導者と被害者である人民という神話を創ったが、このグループ間の対立もこれに依拠する部分もある。思えば、田中内閣が日中共同声明を出せたのも、この神話を共有していたからかもしれない(福田赳夫内閣の日中平和友好条約は、アメリカ側の働きかけと、中ソ対立などリアリスティックな観点に強く影響を受けている)。

小泉首相は、靖国参拝にこだわる戦前的部分と、アメリカ軍を解放軍と無邪気にいえる戦後体制の擁護者の面とがバランスよく組み合わさった人物だった。しかし、後継者であろう安倍晋三氏は血筋から戦前を強く引き継ぎ、意識的にそれを演じている。小沢氏は、戦前になんら共感を持たない人物である。彼の憲法改正論は、国家の独立と何ら関係のないところで主張されている。

今後の政界は、財政政策、都市と地方、戦前エリートと戦後民主主義という対立軸が、ヴィヴィッドに現れてくるようになるのではなかろうか。もちろん、9月以降も小沢続投、安倍自民誕生が実現するなら、という仮定の上であるが。

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2006年2月21日 (火)

堀江メールと民主党内政局

話題になってるので一言。

正直、私は機械音痴なので、このメールの真贋について語ることはできない。現在流布されている情報を見る限り、疑わしいなぁ、といったところか。

だから、これが本物だった場合と贋物だった場合の予測だけふれておく。

本物だった場合

これはメール自体の問題ではなく、カネが入金されていた場合という意味だが、おそらく小泉政権それ自体への打撃というほどではなかろう。武部幹事長が辞任するだけだろうな、という感じがする。

何故なら、小泉首相はじめ閣僚達はうまく言葉を選んでおり、メールそのものが「ガセ」だといってるに過ぎない。カネの出入りについては、うまく言葉を濁している。そのため、カネの出入りが発覚しようともうまく逃げ切れるのではないかと思える。カネ自体も党ではなく、武部幹事長本人でもないので、武部幹事長の次男という個人の犯罪と処理される可能性が大きい。武部氏は、昨年の総選挙を準備しての人事だったため、もはや不必要なのだ。だから、彼が去ろうとも政権に何ら影響力はない。だから、彼一人を切ることに何ら躊躇はいらない。

また、ポスト小泉有力者も閣内におり、後継内閣をつくることも難しいとなると、党内で政局を起こすという誘引も働かない。他の有力者福田氏も首相の出身派閥のため、動きにくい。最大政党である自民党が動かなければ、政権はできない。政局を起せるほどの実力者が現在党内にいないことで、政権は何とか持つと予想される。

贋物だった場合

永田氏は議員辞職に追い込まれるだろう。彼を「全面的に支援」するとした前原執行部も退陣であろう。その時、何が起きるだろう。

「民主党は未熟だ」

との評価を各方面から受けることになる。その未熟さは永田氏の若さと前原代表の若さ、政治経験の浅さに批判が及ぶと思われる。つまり、民主党全体への批判ではなく、一部のはねっかえり問題として処理されるに違いない。そうなると党の再建は、政治経験の豊富な人物に任されることになる。それは誰かといえば、大方の予想どおり

小沢一郎氏

となるに違いない。一部流れる「堀江メール」小沢陰謀説を私はとるわけではないが、結局のところ、そう疑われても仕方ないものの、小沢代表にならざるを得ない状況が生じるに違いない。

小沢氏が党代表となったとして、はたして、これが民主党にとって良いことかどうか、わからない。彼の今までの経歴から考えるに、その前途に?をつけてしまいたくなる。

私は民主党に戦前の加藤高明憲政党のように苦節10年を経て、政権に就いてもらう事を期待していた。前原氏の若さがそれを可能にしてくれるとひそかに期待していたものだが、その彼が党内事情にあせってしまい、粛々と対案を出して、次の選挙を待つという戦略をとれなくなってしまった。

そこでこの失敗(仮)によって、老齢で政権欲バリバリな小沢氏の登場となると、今以上に選挙ではなく政局で政権を狙う戦略に舵を取ってしまう心配がある。そうなると90年代の繰り返しである。せっかく選挙による政権交代という議会制民主主義のルールが5年、10年後に生れる機運があったのに、また御破算となってしまうのか。その実現が小沢氏の理想であったはずなのに。

ここまでくると、私の妄想の妄想だが、もし仮に小沢氏が代表になるのなら、あせらないで欲しい、といいたい。私は小沢氏の政治手法や生き方、いつまで経ってもカルト的人気を誇っている姿に犬養毅を連想してしまう。犬養は陰謀に陰謀を重ね、人望をなくし、小政党を率いるだけになったにもかかわらず、最後には棚ボタ式に首相になり、総選挙で空前の大勝利をおさめた人物だ。その時、齢76。小沢氏はその年までまだ10年以上あると考えれば、あせらず党の再建を目指し、総選挙で勝利をおさめ得る民主党をつくって欲しい。その時、氏は日本における「二大政党制の父」とも「憲政の神様」とも称されることになろう。

以上、妄想備忘録でした。

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2006年2月16日 (木)

オリンピックと日本ナショナリズム

トリノオリンピックにおける日本代表が不振の様である。

夏季冬季と2年ごと行われる通常のオリンピックでは今頃はメダルを獲った選手達の半生をワイドショーで取り上げているはずだが、今回それはなし。あるとすれば、惜しくもメダルを逃した選手達の大会までの苦闘が流されているだけだ。

今回のオリンピックは正直あまり期待していなかった。

何故なら、事前のマスコミ報道が全くといっていいほど、盛り上がりに欠けていたからだ。私はそれほどスポーツに関心のある人間ではないので、スポーツ専門ニュース以外の一般ニュースで伝わるものでしか、それらの情報を受けることはない。だから、関心を持つのも無理といえるが、これまでのオリンピックならば、各種メディアでもっと大きく報道されていたはずだ。何故報道されなかったといえば、他のニュース、例えば、国会で話題になっているマンション偽造やライブドア問題、BSE問題に話題をさらわれているからだといえるが、単純に我々一般人よりも情報を持っているメディアの人間が、今回の代表選手に期待をもっていなかったから、取り上げない、というわけだろう。つまり、これまでの日本代表選手に比べて今回の代表選手の実力では、メダル獲得がほとんど無理であることは、事前の報道の少なさで知れるわけである。

オリンピック報道の視聴者のほとんどはにわかスポーツファンであり、言ってみれば日本選手の活躍をみたい、一般的愛国者達だ。今回のオリンピックは彼らを失望させるものといえよう。

思えば、ここ数年のオリンピックは日本のナショナリズムを刺激し続けてきた。

日本勢の活躍が目覚しかった長野五輪は1998年。このあたりから、日本人はナショナリズムに再び目覚め始めた。昨今の日本のナショナリズム再興に関連する事象を挙げてみると大体当てはまってくる。

1997年1月30日 「新しい歴史教科書をつくる会」発足

1998年5月23日 東京裁判を批判した『プライド 運命の瞬間』公開

    7月10日 小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言Special戦争論』出版

    8月31日  北朝鮮、三陸海岸沖にテポドン発射

    11月25日 江沢民中国国家主席来日、謝罪要求を小渕首相が拒否

1999年3月23日  北朝鮮船籍と思われる不審船に威嚇射撃

    4月11日  石原慎太郎、東京都知事に当選

    8月9日   国旗・国家法成立

2000年5月15日  森首相、「神の国」発言

2001年4月26日  靖国神社参拝を公言した小泉純一郎が内閣総理大臣就任

    8月13日  小泉首相靖国神社参拝(以後、毎年参拝)

    12月22日  九州南西域で不審船事件

2002年9月17日  小泉首相訪朝で拉致問題が事実と確認される

2003年6月6日  有事法制成立

2004年1月19日 自衛隊イラク派遣

2005年7月26日 山野車輪『嫌韓流』出版

    9月11日 第44回衆議院議員選挙で自民党圧勝

と、思いつくまでに並べてみた。年表的には大したものではないようだが、歴史見直しと自衛隊活用への容認、中韓両国に対する自立姿勢などが背景としてみることができ、また、1998年以降、2年毎のオリンピックやサッカーワールドカップでの異常な盛り上がりというように、日本国に居住する人々が「日本人」であるという自覚を否応なしに感じさせる時期でもあった。

では、何故この時期に??というと単純な話、経済の低迷であろう。

日本では歴史的に、特に偉大な哲学者、宗教者、革新的な技術など普遍的に誇るものがないために、他国との関係において、経済的繁栄を目安に自らを誇るようにしてきた。

歴史的には徳川時代後期の商品経済が発展し「皇国」という言葉が生れた頃(「中国」「神国」と呼んでいた国が「支那」と中性的な呼称で普及するのもこの頃)とか、日露戦争後、日本資本主義の発達が最高潮に達し「西洋の没落」などの議論がなされた頃、20世紀後半の時期の高度成長・バブル経済、外国から学ぶものはないとの風潮があった頃など、この時期は自らを誇り、他を見下すだけで、別に他との対決姿勢は示さない。しかし、その誇るべき繁栄に陰りが見えるとアグレッシブに変わる。それは他の国への対決姿勢にもなるし、自国の政治体制にも攻撃的になる。開国により国内経済が混乱し始めた幕末の攘夷・封建社会から市場経済への転換(倒幕)、世界恐慌と政府失政後の1930年以降の対外侵略・統制経済、金融危機に対応し切れなかった1998年以降の対中韓強硬姿勢と構造改革というように。

経済が好調だといびつではあるが摩擦を生じない余裕ある自然なナショナリズムが生成されるが、不調になると内外に敵を見出す摩擦あるナショナリズムが故意に形成されるようである。もちろん、これは日本だけの特徴ではないだろうが。

そして、今後であるが経済の危機は何とか脱し、構造改革も昨年の総選挙で大体の方向性は決まったといえる。もはやオリンピックのようなショーでナショナリズムを満足させる時期は過ぎたのだ。これからは実質的な生活の向上によってナショナリズムを満足させる時期がそう遠くない未来に来るに違いない。

トリノの不振は、この遠くない未来の予兆かもしれない。

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皇室典範・男系維持派は「怖い」

何が「怖い」かといって、彼らの多く、いや一部かもしれないが、平気な顔して「2660年続いた皇統」といってのけるところだ。

「125代続いた」なら、まぁ、『古事記』『日本書紀』しか典拠がないのだから、否定する根拠は論者の好みによるところで、どれも完璧な論ではないので良いとしよう。しかし、「2660年(正確には2666年)」という皇紀を持ち出してくると、どうも「怖い」。彼らは100歳以上生きた天皇の事蹟を本気で信じているのだろうか。歴史に学べが合言葉の彼らにして、皇紀は知っていても、詳しい天皇の事蹟など知らないだけなのか。それとも「歴史」に謙虚なだけなのか。

また、彼らの一部はよく「天皇制の危機」といって、「天皇制」を守らなければならないと、いっている。男系維持派の皆さんは一様に歴史好きのようだから、こんな初歩的な間違いはしないと思うのだが、「天皇制」という言葉は、昭和初期にソヴィエト主導のコミンテルンが、その世界革命戦略の一環として日本を位置づけるために制作された言葉で
「天皇制」の次には「打倒」や「廃止」が来るべきで、「擁護」というのは来ない歴史的な用語である。

そのためか先般の施政方針演説では「天皇制度」となっていた。もっとも勉強嫌いの小泉総理はそれを読んだだけで、普通の答弁では彼の言葉として「天皇制」を使っているわけですが。。彼らの真意は如何ばかりなのだろう。小泉総理を勉強不足となじりながらも、同じ地平に立っているのだろうか。

そうはいいつつも私は男系維持派である。やれるところまでやってみるのもいいのではないかと思う。

だってもったいないじゃない。

少なくとも1000年ないし1300年くらいは確認できる世界最古の男系の系統を絶やすなんて、もったいない。

もちろん、通い婚が普通だった古代や中世において、他の血が入ってる可能性もゼロではないから、Y遺伝子など持ち出さないほうがいい。

単に「史書」ではそうなっているし、皆がそう信じているのだから、男系なのだというだけだ。

しかし、それを今まだ続く可能性があるのに、皆に分かる方法で女系に変えるなどもったいない。

別に皇室などに関心のない一般の人を説得するには、せっかく続いてきたものをまだ色々方法があるのにやめるなんてもったいなくない?とだけでいいと思うし、相手に躊躇させるだけの力は、あるような気がする。

続いてきたから続けるのでは、男女同権は成立しないじゃないか、とかとも考えられるが男女同権のように一般の人に関わる普遍性があるわけではないし、直接の利害もないのだから、どうしても女系にしなければならないと考える人はいないでしょう。

結局、政治的には、とか、歴史的には、ではなく、一般生活者にとっては皇位継承者などどうでもいいことなのだから、肩肘張って「2660年の」とかではなく、単に「もったいない」の方が人を動かす言葉なのではないだろうか。

もっとも最近発言されている旧皇族の方が、安定的な継承維持のための女系容認など法隆寺を維持するために鉄筋コンクリートにすればいい、といってるのと同じだとどこかで仰っていたが、これはちょっと説得力があった。

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