2008年11月 5日 (水)

オバマ上院議員の勝利

バラク・オバマ氏、勝ちましたね。

私は9月あたりまでマケイン氏が勝つと思っていたから、日本での大統領選報道がオバマ、ヒラリー両氏にかたよった報道は大丈夫なんだろうか、と思ったものだったけど、ちゃんと既定どおりの進展で、時代が欲したということでしょう。しかし、オバマ氏の勝利は確実に9月からの金融危機が追い風となったわけだが、あの時期での金融危機は民主党支持の投資家の陰謀などという意見はでないだろうな。。

私が初めてオバマ氏を見たのは、ずいぶん前のピーター・バラカンさんが司会をしている『CBSドキュメント』で初の黒人大統領を目指せる人材として取り上げられた時だったが、「美男な黒人政治家がいるんだなぁ」と思ったし、黒人であることを強調しないし、中庸な思想の持ち主で、私も米国人ならこの人に投票するな、と思ったものです。まぁ、日本人としてはクリントン時代の悪夢がありますから、マケイン氏の方がマシだな、と思ったが、ヒラリー氏が敗退したので、どっちでもいいかとも考えてました。

で、既にささやかれている暗殺の危機ですが、少数の文明人と大多数の未開人で構成されているアメリカ合衆国という印象を我々に与えてくれないよう願います。ちょっと黒いトリビアだと、大統領選挙があった米国時間11月4日は87年前の日本で最初の本格的政党内閣を率いた原敬が東京駅南口で国鉄駅員に刺殺された日でもあります。その後の日本を考えるとテロはまったく惜しい人物ばかりの生命を奪うなぁ、思わせますので、こういうことが起きない事を願います。

年配者の私としてはオバマ効果でデンジャラスのノッチの再ブレークも重ねて願います。

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2008年11月 4日 (火)

「日本は侵略国家であったのか」

田母神俊雄元幕僚長の話題の論文。こちらで読んでみたが、少々がっかり。自衛隊航空幕僚長ぐらいの地位にあった者の論文がこの程度で、しかも懸賞論文で優勝してしまうとは。正直、『正論』や『諸君!』をひらけば、よくありそうな内容で、参考にあがっているのも、ほとんど学術論文とはいえないものばかりで、これらの主張の層がアンチアカデミズムであるのがよく分かる。しかし、今回のような迅速な更迭をみると日本はずいぶんとシビリアンコントロールのしっかりした国なんだな、と思わせる。軍人を甘やかさないという点で戦前の教訓が生きているんだな、と安心した。

内容において植民地統治に関しては、そういうところもあったんだろうな、という印象が私にもあるが、そもそも植民地統治の問題は「東京裁判史観」と関わりがあるんだろうか。東京裁判について詳しく知っているわけではないが、審議の範囲は1928年以降だし、判事側の英、仏、蘭などはいまだに海外領土を持つ植民地帝国であるし、この審議中フランスはインドシナを再占領しようとしてインドシナ戦争の真っ最中である。こうした中で植民地統治に関して審議が行われたんだったかな。やはり問題は条約で決められた範囲への逸脱にあったのであって、そのあたりはすべて外国の陰謀で済ませているあたり、この論文のまずいところだ。そもそも張作霖爆殺事件をKGB犯行説って、10年ぐらい前に出てきた話だが、当時の日本側資料からして成り立たないんじゃないか。

それに国際法上認められた軍の駐留や植民地云々の話をすれば、西洋諸国の植民地や海外領土への侵犯をした大東亜戦争を肯定することはできない。国際法を持ち出すなら、日本の統治はよくて西洋のそれは残虐であったからよくないとはいえない。どちらも「認められた」範囲内での話である。大東亜戦争肯定論なら、西欧の都合で作られた国際法それ自体を否定する当時の「現状打破」勢力の意見を突き詰めるべきで、国際法などで自らの主張を補強すべきではない。

私がこの手の主張で一番気に入らないのが、「侵略」は東京裁判で決められたことだ、とか戦後教育によって「マインドコントロール」された、とかカルト的臭みを漂わせることにある。保守派のつむぎだす「戦前」の歴史それ自体を否定する気にはならないが、当時のある程度の情報を得ていた政治家、官僚、軍人、知識人が「支那事変」や大東亜戦争を「侵略」と考えていたことを留意すべきだ。侵略と考えていたからこそ、その意味を変えようとした人々(たとえば竹内好や重光葵とか)がいたわけで、東京裁判史観とはまるで関係ない。先週取り上げた田中清玄や猪木正道氏なども戦後教育による効果とは思えない(ちなみに猪木氏が防衛大学校長に就任したのは1970年7月で田母神氏が卒業したのは71年3月。猪木史観の洗礼は受けていないようだが、ある意味自衛隊への視線が厳しかった時期に学生生活を送っていたという点でこのような史観を持たざるを得なかったのは同情に価する)。

戦後を代表する保守思想家でこれまた戦中派のちょっと上の福田恆存なども「あの戦争」は侵略だと思っていたと記憶するが、「だから、何?」というぐらいの強さがあって、戦争に道義性を持ち込まなくては我慢できないというような脆弱性はない。近年の保守派がウヨク化(現実主義よりロマン主義的)しているのは、どうも精神的な弱さの表れにしか見えない。過剰に日本を「侵略国家」だ、という必要はないが、過剰に日本を美化する必要はない。かつて「自由主義史観」とか「新しい歴史教科書をつくる会」って、そんな主張をしていたように思えたが、それを超えた亜流が自衛隊の幹部にまで浸透していたとはずいぶん寂しい限りだ。

しかし、まぁ、新聞報道の「識者」の人選も人を見れば何を言うか分かるよ、という「定型」的なコメントする人ばかりでつまらない。こういう時は信頼のおける教科書でも読むのが一番でしょう↓。

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2008年9月 2日 (火)

福田首相辞任の雑感

辞めちゃいましたね、福田総理。

昨年は某新聞が「アベるという言葉云々」と報道していたが、今年は「フクダるという云々」という記事が別の某新聞にでるのだろうか。

まぁ、年末か年初の解散が既定となっていたところで、「最後」の首相にはなりたくなかったということがまずあって、国会が始まってからの辞任だと安倍前総理の辞任劇とかぶってしまうし、この時期で総裁選やれば、連立与党の公明党の希望通り、国会開会が9月末から10月になるというわけで、本人や政界のカレンダーの中では絶妙のタイミングだったのでしょう。

しかし、福田総理の役割というのは、ポスト小泉の時から負の遺産をすべて背負い込んでもらうという点にあったのでしょうね。それが予定がくるって一年経って、お鉢が回ったと思ったら、やはり予定通りの役割を果たした。彼を担ぎ出した読売新聞のエライ人がどういう意図だったかは分からないが、「最強の元総理」森喜朗氏はまさに「計画通り」と思っているのかもしれない。

実績としては、道路特定財源一般財源化、公務員制度改革、社会保険庁改革、防衛省改革等々と、小泉内閣でも手をつけかね、安倍内閣では致命傷となった諸改革を着実に進めていった。よく「首相が何をしたいのかが見えない」と批判されたが、それに対して首相は「あまり声が大きいと改革がつぶされる」といっていたとかいないとかで、静かに着実に行っていった。しかし、こうした制度改革って、国全体としては大きな改革であろうが、即効性はないし、今現在生きている人々にとって実は大した関心もないものだった。「改革派」と呼ばれる人にとっては重要なものだが、一般人にとっては優先順位が低いものばかりだ。ある意味、空気を読まない「正義派」の「改革派」に引っ張られすぎたのかもしれない。バラマキでもいいから経済対策してくれよ、という国民と、改革をショー化してくれよという国民とメディアの期待をともに受け止めることが出来なかった。

外交に関しては、総理ご自身自信を持っていたといわれるが、それほどの成果は挙げられなかった。しかし、特に荒波が立ったわけではないし、こちらも地味に着実にやっていたのかもしれない。「国民の生命より日中友好が大事か!」という声が、ラディカルな人々から聞こえてきたが、これって幣原外交を批判した標語に似ていて、苦笑を禁じえない。被害者の方には申し訳ないが、ギョーザ事件(餃子でもギョウザでもない)ぐらいでこんな標語が出てくるんだから、居留民が殺害されたり、領事の妻が輪姦されたと噂が流れたりした1920、30年代に「暴支膺懲」の声があがったのも理解できるし、今こんなことが起きたら、戦前の愚行を笑うことが果たして出来るだろうか。しかし、主要政党や大新聞からこうした声が出てこないのは、日本が成熟したためか、憲法のおかげか、どうかわからない。

しかし、何とも本人がやる気もないのに祭り上げられて、いろいろやっていたのに負債を一挙に引き受けて、辞め方も官房長官時の颯爽とした逃げとも異なり、いまいちとなるとかわいそうな人だな、と思うのだが、別に同情する気にもならないのは、福田首相のキャラクターなんでしょうか。それはともかく、大変なお仕事お疲れ様でした。

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2008年1月18日 (金)

政治ポジションテスト・外交編

Yahooの「みんなの政治」のポジションテストで「外交編」ができていたのでやってみた。

結果はこちら

うーん、微妙ですね。できるだけ曖昧な回答は避けていたのに、結果はタカハト軸±0、グローバルローカル軸グローバル+2。極めて中道でちょっと若さが見えているようで気恥ずかしい。私はこんな奴だったのだろうか。

しかし、最近の政治は面白くない。面白くない原因はいろいろあるのだろうが、この結果からみるに、どうやら福田康夫内閣になってからというものの、いわゆる「グローバル化」という点でかなりの後退が見られるからではなかろうか。最近の政治の話題といえば、インド洋給油を除いては、年金であったり、薬害肝炎訴訟であったり、防衛省汚職だったり、ガソリン税だとかとずいぶん内向きである。しかも、インド洋給油は民主党の小沢一郎代表によれば、国民にとって「重要な法案ではない」ということらしいので、重要なのは内向きの政策のみなようである。

政府与党の方も、小沢代表に引っ張られるようにして、幹部たちはいわゆる「古い自民党」すなわちローカル指向の政治家が多いように見受けられる。別に「顔」が古くてもかまわないのだが、ローカル指向の政治はどうも表面に現れにくい部分があり、ニュースを見ているだけでは分かり難い。このあたりに面白さを感じないあたりなのかな、と思ってしまう。

思えば私が政治に関心を持ち始めたのは、橋本龍太郎内閣からだと思うが、この内閣から安倍晋三内閣までは、先のポジションテストでいえば、タカ派ローカル指向からタカ派グローバル指向へと徐々に移っていった過程だった。地域振興券という奇妙な政策を行った小渕恵三内閣ですら、経済戦略会議の決定で経済の市場化に大きく舵を取った内閣であり、グローバル指向があった。森喜朗内閣も意外と財政出動には慎重で削減の方向に進んでいた。その次の小泉純一郎内閣はいわずもがなで、安倍内閣もそれを引き継いでいた。それが福田内閣において、いきなりハト派ローカル指向に反転したという印象を持ってしまうのだ。もっとも、同じ自民党政権なのだし、現在の日本の採りうる外交政策は限られているのだから、タカハト軸は実はそんなに変化はないのだろう。しかし、グローバルローカル軸は、かなりの変化だと何となく感じてしまう。おそらく福田総理が何かを提示するのではなく、ローカル指向の小沢代表が場をつくってしまい、それへの対応の姿しか見られないからローカル指向に見えてしまう、ということもあるのだろう。

まぁ、こうやって書いてきても面白くないんだなぁ。政治なんてそもそも面白くないものだから、別に面白くなくていいのだけど、かつての政治ウォッチャーとしては寂しいかぎりだが、後年の研究者にとってこういうつまらない時期を面白い時期として提示する余地が生まれるんだろうなぁ。

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2007年9月25日 (火)

福田康夫新内閣における森氏の影

先日の自民党総裁選で勝利した福田康夫氏が第91代内閣総理大臣に任命された。

正直、私はテレビで見る氏の発言や世評でしか、彼の事は知らず、彼の書いたものを読んだことがないのでどういう人物か、よく分からない。何故か、リベラルな方々に妙に期待をかけられているというのが不思議だ、という感想はある。自民党内最右派の清和会に所属し、岸信介に最もかわいがられた福田赳夫の息子が何故、リベラル派に期待されるのだろう。また、官房長官時代、「政府高官」の名で「核武装は現憲法下でも可能だ」といった発言をしたとも思われるが、このあたりは最近聞かなくなった。まぁ、要するに現在のリベラルの最大公約的目的は、「アジアと仲良く」ということなのか(福田氏は反米ではないそうだ)。

それはともかく今回の党人事・組閣で感じられることは、森喜朗元首相の影響力である。ここで見られるベテラン達は小泉内閣時代から森氏が重用すべきだと進言してきた人物(古賀氏、谷垣氏、官房長官に町村氏など)である。そして、世評では入閣が当然とされた山崎拓氏の名前がない。また、加藤紘一氏の復権もなされなかった。この二人は、今回の総裁選で早くから福田支持を打ち出し、福田新総裁選出に一役買ったはずであり、彼らが求めるアジア外交再建を可能にする人材として、福田氏が好まれたと思われる。しかし、この二人の名がないということは、結局のところ、森内閣時の「加藤の乱」がまだ後を引いているのかな、と。森氏は、この二人の復権を許してはいない。そのため、二人の名は閣僚名簿にないということは、この内閣における森氏の影響力は前内閣にくらべて大きなものであるということの証左だ。つまり、トップの異なる森内閣の復活だと考えるのが妥当だろう。森内閣は、首相自身の失言癖とメディアとの関係のまずさがなければ、極めてオーソドックスな自民党内閣だった。そのことを考えると、福田新内閣の施政も、それほど極端なことはしないまずまずな内閣なのではないかな、と思われる。だから、保守派の危惧もリベラル派の期待も、あまり考慮する必要がないのではなかろうか。長期になれば、また福田氏の個性が出てくるでしょうが、そこまで続くのかどうか。。

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2007年9月14日 (金)

安倍晋三首相辞任の雑感

安倍晋三首相が9月12日に辞任を表明した。公式的には対テロ法の継続をするための小沢一郎民主党代表との会談を断られ、その継続の目途が立たなくなったからだという。しかし同日の与謝野馨官房長官の説明に健康問題が言及され、その言葉のとおりに翌13日、慶應大学病院に入院した。

このことにつき、もうすでに様々な憶測を呼んでおり、麻生太郎幹事長と与謝野官房長官に政権を乗っ取られ、自分のやりたい政策を行えなくなったからだとか、先日のブッシュ米大統領との会談で北朝鮮との米朝国交正常化が決まったことを知らされ、拉致問題を最優先課題としてきた安倍首相としてはこれ以上の強硬路線は日米関係を不安にさせることを懸念したからとか、噂されている。

この辞任劇については、今後情報が出てくることにより明らかにされるであろうから、何もこれを詮索する必要はあるまい。しかし、この安倍政権や安倍首相とは何だったのか、また今後の日本についてどれだけの意味があったのかを考える必要はあるだろう。

安倍政権の誕生は、小泉純一郎氏という現在の政治制度をかなりの程度まで使いこなせた稀代の名宰相の後を継ぎ、小泉モデルともいうべき国民的人気とトップダウンの政治手法を継続できる自民党唯一の人材として前任者の小泉氏の肝いりで成立した。たしかにその当時の安倍首相の人気は高く、ポスト小泉では常にトップを走り、著書は50万部を売り上げ、内閣発足時の支持率70%という数字に表れていた。その人気の源泉は、小泉時代に盛り上がった対東アジア・ナショナリズムに後押しされた彼の強硬姿勢やそれまでの保守的言動であった。しかし、政権が発足されると安倍人気の資源である対アジア強硬姿勢は薄れ、対中韓との関係改善、靖国神社参拝への曖昧戦略、河野談話の容認など、彼を熱烈に支持してきた保守層を失望させるものばかりであった。もちろん、これらは一国の首相の政策としてはある種当然の振る舞いではあったが、小泉氏を「改革者」として熱烈に支持してきた「小泉ファン」のような、安倍首相を国民的誇りを取り戻すべき「闘う政治家」として支持してきた人々に失望を与えるに十分な妥協だった。また、小泉改革の後継者としてのイメージも郵政民営化法案での造反議員を次々に復党させるなどして、小泉支持であった無党派層まで離反させた。つまり、彼にとっての重要な資源である「安倍ファン」の保守層や「小泉ファン」を次々と裏切り、最後に残ったのは「自民党の首相だから」という消極的な支持層しか残さなかった。

そして、最後に残った自民党支持層にまで見放されたのは、彼の首相の資質、つまり決断力のなさというようりも国民意識を読み取ることができないという感覚の鈍さが露呈したからであった。その始まりは造反議員の復党問題で、復党を決断したならすぐにでもやればいいもののズルズルと引き伸ばし、世論の反発が徐々に強まった末に復党させるという最悪の決断をし、その後の閣僚の問題も守るのか切るのか曖昧な印象ばかりを残すばかりであった。これでは彼の内閣がどれだけ政策的に問題がないとしても彼自身の統治能力に疑問符がつくのは当然であり、自民党支持層であっても見放すであろう。

結局、誰もが安倍首相に冷笑的な態度しかとらざるを得ず、参議院選挙時に見られた安倍擁護の言も民主党に不満があるからという消極的態度からのそれでしかなくなっていた。安倍首相を個人を支持したから、という人々はいなくなってしまったのである。

そういえばこんな文章がある。

「然るに独り○○公のみは年齢はまだ五十歳になるかならないかの壮年であり、学問もある。頭脳も良し、聡明叡智であり、人格も上品にして温厚である。其の上最も時代が要求する革新気分が横溢して居るやうに見えたから、公が出たならばどしどしと革新政策は断行せられて、政界も明朗化するに相違ないと思うて国民は公の出馬を歓迎し、○○公に向かって多大の期待を有して居たことは疑われない。然る所が愈々新内閣が成立して見れば、国民は先づ第一に失望の念に打たれた。それは閣僚中の少なくとも数人は世間何人の眼より見るも到底大臣の地位に就くべき資格ある人ではない。まったく公の私的関係即ち情実因縁よりして其の器にあらざる者を挙げて国家の重職を与えたからである。当時世間では○○内閣は全く公の私的内閣であると言うたが、全部が私的ではないにしても一部は確かに私的であったに相違ない。果せる哉其の後国務を進めていく中、閣僚の無能と不適任に触れて、内閣存続中一年有半の間に屡々閣僚を更迭せしめた。」

これは大正・昭和期の政治家斎藤隆夫が近衛文麿を論じた文の中の一部だ。斎藤は、結局のところ、近衛の経験不足によって内閣を組織したところに問題があり、その無責任な対応の原因は、苦労がなかったことにあったと論じている。もっとも、近衛自身の人生にまったく苦労がなかったわけではないが、その政治生活においては、確かに斎藤のいうとおりであろう。

小泉内閣成立の頃、私はその内閣の顔ぶれを見て、この文章を思い出したし、当時の週刊誌で色川大吉氏が小泉氏を近衛になぞらえていたが、私は当時盟友と言われた加藤紘一氏の森内閣への反旗を収束させた手腕から小泉氏と近衛とはまったく違うなと思っていたので、政権運営には心配していなかった。そして、安倍内閣を見て、またこの文章を思い出し、嫌な予感を抱いたが、この文章の通りになってしまった。ここで思い出されるのは、安倍首相が総裁選出馬を検討していた時に、森喜朗氏が「安倍君は自民党の最後の切り札だから、ここは見送って、派閥の方に戻ってきてもらいたい」とかいう言である。この言は正しかった。小泉氏も軽量とはいえ数々の閣僚経験と派閥の長を経験していたから、あれだけのことができたのだ。森氏は、首相としての資質には欠けていたが、政治家または評論家としての感は鋭いものを持っていたな、と改めて認識させられる。現在の総裁選での森氏の言動も注目に値するだろう(ホントか?)。

それはともかく、安倍首相の政権を経たことで言論界において、やっぱ政治家なんかに期待しちゃダメだよな、という健全な認識が保守派の中で再確認されることは確実だろう。我々は、近衛や安倍首相というイデオロギー色の強い政治家への期待は慎むべきだろう。

しかし、近衛と安倍首相のアナロジーでいえば、安倍政権下で戦争が起きなかったことは幸いだし、首相が頼りなくても国民生活にさほど支障がない現在という時代を寿ごう。

最後に安倍首相、お疲れ様でした。

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2007年8月 1日 (水)

安倍内閣窮余の一策

赤城徳彦農水大臣が辞任した。先の参議院議員選挙の自民党大敗の原因は、何にも増してこの赤城問題であろう。選挙前、一週間ほどは大方の予想通り、年金問題は背景にひき、連日、赤城大臣の「顔」がテレビに映されていた。政治に対する国民の不信や怒りは、いつも「カネ」にまつわるものである。年金問題で納付したのに給付されないという不安が広がり、無駄に搾取されていると考えた国民からすれば、社会保険庁だけでなく、政治家の金の扱いが杜撰となれば、その怒りが投票行動に結びつくのは当然である。

今後の安倍内閣であるが、メディアの予想を反して、各種世論調査では、安倍首相の続投への支持・不支持は半々であるという。別に参議院選挙が政権選択の選挙ではないという形式論を理解してのことではない。おそらく、安倍首相本人が嫌いな人が不支持の大部であり、安倍内閣支持者(約30%)と安倍首相個人のファンであるが内閣は支持しないという人(約10%)、安倍首相の方が選挙に勝ちやすいと考える野党支持者(数%)が支持した人の内訳であろう。では、今後の安倍首相は何をすべきか。

まず第一に、わかりにくいカタカナ用語を使わないことである。現在の高齢化社会においては、有権者の多くが高齢者であり、すでに彼らの時代からカタカナ用語は氾濫していたとは言え、新しいカタカナを使われてもそれを調べて理解しようとする努力を彼らはしない。結局のところ、安倍首相の売りは保守主義にあるのだから、保守的な高齢者を支持者とみなければならない。若者の保守化が進んでいたとしても、彼らが保守や右翼に魅かれるのは論壇やインターネットで好まれるラディカルさの競争の中で最も先鋭なものが保守的な言論であったという一時期の現象あって、保守主義そのものに魅力を感じたのではない。また、慰安婦問題での「広義の強制」、「狭義の強制」など、「ああ、朝日新聞がいってたあれね」と受け取るのは、よっぽどのマニアで、一般人には何を言っているのかわからない。もはや一部の人だけに通じる言葉は使うべきではない。

第二に、メディア対応である。メディアの安倍政権への攻撃は、たしかに異常な部分はある。しかし、外部のものがそれをいうのはいいが、政権側がそうした認識を持つべきではない。そもそも原因は、政権側にある。発足当初の安倍政権は、初めからメディア対応を誤り、その関係がギクシャクしていた。それは、首相のぶら下がり会見を、小泉政権では午前と午後の二回としていたのを、一回に変えたことだ。安倍首相は、そもそもメディアに執拗な攻撃を受けていた政治家で、そのことからメディア不信を感じていたことは理解できる。しかし、自分が自民党総裁に選出されたのは実力ではなく、人気であったことを謙虚に思い出すべきだ。その点を理解していた小泉前首相は、ぶら下がり取材を会見へと制度化し、しかも二回にした。それによって、どうでもいいワイドショーのネタになる質問にも気軽に答えるいいおじさん且つ国民と同じ感覚を持つ政治家というイメージをつくりあげた。

メディア対応で考えられるもう一つの点は、あのカメラ目線である。別に違和感があるとか気持ち悪いからとか言う意味ではない(それもあるが)。まず事実としては、カメラ目線をしている時は支持率が落ち続け、やめてしばらくすると支持率が浮上し始めた。それでまたカメラ目線になると、また落ちた、という相関関係があった。次に、安倍首相はカメラ目線の理由を「国民に直接語りかけたいから」とまたメディア不信からくる発言をしている。しかし、安倍首相が語りかけているのは、メディアが用意したカメラであって国民ではない。しかも、その映像は生でそのまま放送しているのではない。カメラに映った映像は、メディアが編集して放映するものだ。だから、カメラに向かって話しかけても首相の言葉は、国民に直接ではなく、メディアの編集を通してなされるわけだ。それなのに、記者が質問しているのに記者をないがしろにして、カメラに向かう姿勢は記者の気分にどういう影響を与えると思っているのか。記者は、あまりいい気分ではないだろうし、反感を持つだろう。そういう現場の気分が、テレビや新聞の編集に伝わるのは当然のことだ。記者を無視してカメラに向かうなどの佐藤栄作ばりのつまらないことをするよりも、教育改革の一環として小中高のカリキュラムにメディアリテラシーの授業を盛り込むよう計画する方が迂遠だが、よっぽど意味のあることだろう。

第三に来月行われる内閣改造である。安倍首相は、選挙の結果を「人心一新しろとの声」と受け取ったようである。これはおそらく赤城農水大臣のことを念頭においての発言と思われる。先の世論調査をみても、そういえないわけではなさそうである。と、すればここは思い切った改造をやって欲しい。従来、思い切った改造といえば、若手や女性、メディア露出の多い民間人の起用と決まっていた。しかし、今回の改造で求められるのは、そんなものではないだろう。

ずばり、「憲政史上もっともクリーンな内閣」。

これが求められる。そもそも安倍内閣への不信は、発足当初から露わになった「政治と金」の問題が大きなもので、今回の選挙で問われたものもそこだ。とすれば、やるべきことはもうわかっている。まず、組閣の一ヶ月前から大臣・副大臣候補100人程度に企業献金、個人献金、事務所費、政治団体資金の一切の収支報告書を3~5年分の領収書つきで官邸に提出させる。この時点で次の大臣候補の情報がマスコミに流れ、メディアを独占できる。そして、その中から問題のない者を精査して組閣し、新大臣の記者会見では、全大臣が領収書持参で記者に公開する。当日の人事発表よりも、こちらの方がサプライズで、この効果は絶大である。

まず、おそらく記者がまっさきに質問する事務所費問題の機先を制することができる。次に、候補者が各派閥の推薦であっても金銭問題の方に注目が集り、批判はなくなり、また現実的には派閥順送り人事は不可能になる。さらに次を狙う人もこの慣例が作られることで、脱落する者が現れるし、批判者もクリーンでなければ信用されないという効果を生む。また、報告時に虚偽報告を行ったことが後に発覚すれば、即日辞任する誓約書を書かせることで首相の人事権の強化にもつながり、首相へのダメージは最小限に止まる。そして、一番大きな効果を生むのは、野党のネクスト・キャビネットの対応である。現実の政権担当者がこのようなものを公開するならば、野党の擬似内閣も公開せざるを得ない雰囲気になる。そこで野党が先の安倍内閣の閣僚のような対応をすれば、不信感が募るだけである。

こうして、日本憲政史をずっとおおっていた金にまつわるスキャンダル合戦は、ある程度縮小される。私の先の案で公開義務があるのは、大臣・副大臣のみでしかも3~5年という期間をきった。これにより、どうしても金のやりくりが利かない政治家には党務か、政務官までで活躍してもらうことになる。山崎拓氏の例に見られるように、政治家のスキャンダルは党で起きてもそれほど政権へのダメージはない。政務官も政府の構成員だが、今後の課題として、直近の改造ではそこまでいく必要はないだろう。また、期限に関しては、今現在の制度の中では何か後ろ暗いことをした議員もいるであろうから、5年ぐらいクリーンなやりくりをした者なら何とか許されるかもしれないし、今後、自分に目がないとすれば、自暴自棄に陥って政権批判に加わるリスクをつくるかもしれないから、期間を区切るのが現実的である。また、それ以前の問題が発覚した大臣は、「領収書をなくしました」とか「大変申し訳ありません、反省しております」と早々謝れば、傷は小さくなる。最近の民主党の対応はこれで何とかすんだのである。

記者会見で領収書を公開する。これはかなりかっこ悪いことであり、また現実味もない書生論である。しかし、これをやれたら一ヶ月でつぶれても大した功績である。是非これを実行していただきたい。ただ、安倍首相本人が、公開できる政治家であることを前提としますが。。

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2007年7月31日 (火)

岸信介の亡霊に敗れた安倍晋三首相

雷雨が吹き荒れ、何かを予兆させる一日であった7月29日、自由民主党は大敗に喫した。7月始めの段階で、私は「意外と負けないのではないか」と予測していたのだが、そんなものではなかったようである。原因は、中川秀直幹事長がいうように「年金問題」、「政治と金」、「不規則発言」という3つが複合されたものだという。しかし、失言は、柳沢大臣の時に見られるように、マスメディアがいうほど支持率には響かず、結局は個人の問題に帰された。年金の問題も、権丈善一氏の分析や盛山和夫氏が暗に民主党の年金制度構想は無理がある、と述べているように少し勉強すれば、民主党の年金政策を支持するとは思われない。しかも問題は社会保険庁の体質であって、安倍政権の失点ではない。このことを考えれば、「政治と金」の問題が大きかった。そして、より本質的には、「政治と金」の問題が噴出した際の安倍政権の危機管理が、まったく機能していなかったことにある。これは年金問題に関しても、同様で、初動が遅く、これを逆に社会保険庁廃止への道具として利用するきっかけとすることもできなかった統治能力の欠如が露呈された。つまり、安倍首相の資質に関わる問題である。このあたりは、他の人も述べるであろうから、ここではふれず、漫談的なものを書こう。

今年に入ってからの安倍政権の逆風をみるに、官僚ってのは怖ろしいなぁ、といったところか。この政権の目玉として掲げられているのは「戦後レジームからの脱却」である。その中には、公務員制度改革や社会保険庁改革などのように従来は自民党の側にあると思われた官僚に対する挑戦が見られた。しかし、この官僚制度への挑戦は、やはりアンタッチャブルだったのかな、と思えてしまった。前政権の小泉内閣は、「構造改革」を掲げて経済の効率化をはかった。しかし、「構造」の最たるものである官僚組織についてはふれることはできず、結局のところ、「政界」における利権構造にメスを入れたのみだった。つまり、小泉政権はある種の「政治」改革には着手できたものの、「行政」改革には及び腰だった。そこを安倍政権は切り込んでいったわけであったが、政府与党から聞かれる社会保険庁の「自爆テロ」としての年金記録問題の噴出、「政治と金」を巡るスキャンダルのリークに遭遇した。しかも、マスメディアも安倍政権では視聴率も部数も伸びないという営利的理由と、官僚を情報源として重視しているために徹底的に闘うよりも共同歩調をとって、反安倍政権を打ち出した方が得だという誘引が働いたようである(参照)。やはり官僚に手を出すことは相当な覚悟が必要なことなのだろう。このあたりの官僚の抵抗は、今後の報道や研究をみないと本当のところはわからないが、現在よりも官僚の権限が強い戦前期の政党内閣においても官僚組織というのは、アンタッチャブルなものであった。

昭和4(1929)年10月、田中義一政友会内閣の「放漫財政」の後始末と、民政党年来の政策である金解禁の下準備のため、発足間もない浜口雄幸民政党内閣は年度途中の予算削減に手をつけ、料亭の宴会はやめてホテルの洋食会合に切り替え、官吏の公用車使用も自粛を求めるなどを行い、新聞論調もおおむね好評であった。しかし、官吏の俸給引き下げ案が出されると状況は一変した。浜口内閣は年俸にして1200円以上の官吏に付いて、平均で一割の減俸という案を、党にも諮らず突如発表した。この発表形式が、大蔵省記者クラブではなく、首相官邸から出され、完全な抜き打ちでどの社も知らなかったことから、メンツをつぶされた新聞はいっせいに批判的論調を掲げた。また給与が削られる官僚が簡単に容認するはずがなかった。この抵抗は司法官から始まり、他省庁にまで拡大し、その主唱者は鉄道省の若き学士官僚佐藤栄作と実兄で商工省の岸信介であった。この時の岸の働きは目覚しかったようで、一躍官界にその存在が知られるようになった。そして、浜口内閣の減俸案は、官僚の抵抗、メディアの批判、発表形式の不手際から政権党からも批判が噴出し、断念させられた。

いうまでもなく岸信介は安倍首相の祖父であり、彼がもっとも尊敬する人物である。約80年たった現在、立場を逆にして岸の孫の政権が官僚組織の利権に切り込んでいって抵抗にあった。ずいぶんと奇観なめぐり合わせもあるものだ。しかも、メディアも官僚に歩調をあわせて批判しているのも同様である。ちなみに新聞記者の旗振り役は、河野洋平議長の父で、河野太郎氏の祖父でもある朝日新聞記者河野一郎であったのも何かの因縁を感じざるを得ない。

安倍首相の祖父への尊敬は、その政治姿勢にも表れている。安倍首相は、著書や発言等で岸の安保改定を高く評価し、自分もこの偉大な祖父に習いたいことをしばしば述べている。1960年の安保騒動の現在における評価は、安保改定自体には問題はないが、戦前からの官僚で東條内閣で大臣を務めた岸が、安全保障にかかわる政策を打ち出し、強行採決にもちこむなど強引な手法に大衆は危機感を表した、ということになっている。つまり、イメージが悪いということだ。これは安倍首相にも関わることだ。

安倍首相は、その岸の孫であるというところから、ある方面に極めて評判が悪く、また政治家になってからのタカ派的言動、歴史認識問題で右派にアピールする姿勢をもっていた。また、海外の左派メディア等でも評判が悪いらしい。このような人物が、強行採決を繰り返すならば、彼のイデオロギーに違和感を感じるものにはただでさえ悪い印象が決定的に悪化するのは避けられない。安倍首相からすれば、よい政策をすれば、理解されると考えている面もあるが、あの岸ですら再評価に20年ぐらいかかったのであるから、ましてや直近の選挙を前にして理解されるはずがない。政治家は、実物がどうであるかは問題ではなく、どう見られるかが重要な職業だ。「マキャベリ語録」を愛読していた前首相は、まさにそれを体現した人物であった。現首相にそうした努力は見られない。

安倍首相は、祖父を尊敬するあまり、よい政策を打ち出せば、よい評価をうけると安易に考えすぎているのではないか。政治は、権力関係の闘争ではあるが、その過程において説得と妥協を必要とする「アート(技術)」である。今回の敗北でそれを学んで欲しい。そして、もはや岸の亡霊を追うのではなく、そろそろひとり立ちして、安倍スタイルを確立することを望む。

続投を表明した安倍政権に期待することは、参議院で敗北しても退陣しないという慣習をつくることと、衆参でねじれが生じた際に数合わせをしてやり過ごすのではなく、妥協を外に出すと政党政治に支障を来たすことを考えて非公開の衆参合同委員会などを設立して新しい議会運営の伝統をつくって欲しい。もはや「改革」ではやるだけのことをやった安倍政権に課された「戦後レジームの脱却」とはこのことかもしれない。

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2007年6月29日 (金)

宮澤喜一逝去

第78代内閣総理大臣として1991年11月5日から93年8月9日までわが国の舵をとった宮澤喜一が6月28日午後に逝去した。享年87歳。老衰だという。

宮澤というと、戦前からの大蔵官僚、サンフランシスコ講和会議では全権随員として参加、池田勇人のブレーンとして所得倍増政策の一翼を担い、常に首相候補として名が挙がりつつも、長い間その機会に恵まれず、やっとなったと思ったら、自民党分裂による1993年の総選挙で現有議席を確保しながらも過半数に届かず、退陣、「55年体制」に幕を引いた「最後の首相」であった。その後も自民党のリベラル派の重鎮として存在感を示し、小渕恵三内閣では大蔵大臣に就任して「平成の高橋是清」と称された。

これが一般的な履歴だが、一方で保守派からは、1982年の歴史教科書問題で宮澤官房長官談話を出し、それが元になって文部省が近隣諸国条項を教科書検定に追加し、宮澤政権下の1993年には河野官房長官談話を出し、また護憲派として知られていたため、怨嗟の的となっていた。

また、メディア的な印象でも首相就任前に小沢一郎幹事長の面接を受け、田原総一朗氏の番組で政治改革を宣言したものの、小沢氏と梶山静六幹事長の確執を抑えきれずに頓挫し自民党分裂、先にも書いたとおり「平成の高橋是清」と称されたものの大規模な財政出動により財政悪化に拍車をかけるなど、あまりいいイメージはない。

しかし、一方で護憲派であった宮澤の内閣でPKO法を成立させ、戦後初めて自衛隊海外派遣を行うなど、戦後政治の一つの画期を築いた首相ではあっただろう。

宮澤は政界きっての国際派、知性派、英語の達人として知られていたが、このように頭のよい人間が政治家として必ずしも大成することではない、ということを示した典型的人物であった。また、自民党において大平正芳、宮澤のような確信的リベラル派が首相になると、選挙には勝てず、党内保守派も抑えることができず、自民党にとっての危機を迎えることを教えてくれる。現在、首相の地位にあるのは宮澤とは対極にあった安倍晋三氏である。たしか宮澤は、自分の世代は何としても現行憲法を維持するが、その後のことはその後の世代にまかせたい、とどこかで言っていたように思う。だから、きっと誰かが言うように「戦後レジームの脱却」を目指す安倍氏の首相就任を宮澤の気持ちはいかばかりかなどとは思わず、時代の流れの一つとして容認していただろう。私は意外と負けないのではないかと予測しているが、巷間伝えられているところでは来月の参議院議員選挙において、自民党はかなり苦戦を強いられるらしい。「戦後レジームの脱却」を掲げる首相の選挙を一ヶ月前にして戦後政治の長老がいなくなった。ちなみに宮澤が首相候補であった時代に書かれた著作の名は『美しい日本への挑戦』であった。

付記

私は基本的に故人は歴史上の人物として考えているため、敬称を略することにしている。だから「宮澤」と表記することに何ら他意はない。

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2007年6月 7日 (木)

最近のこと2

しばらく書いていなかった分、ここ数ヶ月思ったことを短文で。

安倍内閣の支持率が急落している。ブログを休んでいるうちに一時は盛り返したが、各種世論調査で政権発足後最低を記録しているそうである。原因は、例の「宙に浮いた年金」問題であるらしいが、そもそも安倍内閣は社会保険庁解体を目指していた内閣で、社会保険庁に問題があったとしたら、これは追い風となるはずだったのに、反対に作用するどいうのはどういうわけか。

これはここ最近の内閣が教育改革や公務員制度改革、国民投票法など国家の基本構造にメスをいれる内閣であるという印象が先行し、課題の一つであった社会保険庁VS安倍内閣という図式がぼけたせいであろうかと思われる。中川秀直幹事長などはその図式に力を入れていたように思えたが、内閣の方は少し感度が鈍かったようだ。結局、国民は自分の生活を脅かすような問題やカネの問題にしか興味はないとタカをくくった政権運営が望まれるのではないか。

しかし、くだんの年金問題も共産党議員によると5000万件の記録を統合するのに30年かかるということだが、97年の年金番号統合の際、3億件あった「宙に浮いた」記録を10年で5000万件に減らしたのだから、それなりの仕事はしているのではないかとも思ってしまう。そもそもこの5000万件も該当者は複数の職を転々とした人や名前の変わった人たちであって、何か問題があると思えば、自分で問い合わせればよいし、来年には年金定期便も配布されるのだから、そこで問題があれば名乗り出ればすむことだ。何でもお上任せで慣れてしまったことにも問題があるのではないか。それを国費を使って一年以内でやるなどというのは少し狂騒が過ぎたということだろう。おそらくこの問題も一ヶ月以内で落ち着くだろう。

安倍内閣の支持率低下は、どちらかというと真面目な安倍総理のキャラクターに合わない親しみやすさを演出した気持ち悪さにあるような気がする。麻生太郎外相の著作が出たが、そこには明るい未来を演出しようとする傾向が見られる。小泉前首相も明るさが持ち前だった。それに対して安倍総理は真面目だが暗い。印象論だが自民党はいかがわしいが明るいのに対し、民主党は真面目だが暗い。安倍総理はどちらかというと民主党的である。その面で考えれば、民主党の岡田代表時代のように真面目さを売りにして、そこに凄みを演出していった方がキャラクターに合うのではないか。顔が似ていると言うのもあるが、佐藤栄作のようなイメージで。広報担当は前政権の手法ではなく、政権の顔にあった戦略を考えるべきであろう。

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