2008年6月19日 (木)

岡義武『山県有朋』岩波新書、1958年

「閥族・官僚・軍国主義の権化」と悪名高い山県の評伝の名著。

山県が歿した時、『東京日々新聞』が「大隈侯は国民葬。きのふは〈民〉抜きの〈国葬〉で幄舎の中はガランドウの寂しさ」と見出しを出すほど、当時から不人気な人物で今日でも先のような評価の彼の生涯を、人生、政治・外交観、歌人としての側面など、あますところなく描いている。

本書の特徴は、著者の評価をほとんど交えず、叙事文には序はいらぬ、という清代の史論家の章学誠よろしく、淡々と史料に基づき論述していく点で、そこはもどかしいが、著者の誠実さを感じさせる。

興味深い点は、やはり徳富蘇峰が評したように山県は「穏健な帝国主義者」であり、外交政策はとにかく慎重な強調外交でとりわけ英米を重視した。有名な「主権線」、「利益線」の演説もそもそもは「利益線」たる朝鮮半島を日清英独の共同で独立国たらしめようとする意図で、述べたものであり、朝鮮半島の支配を否定はしていないが、積極的に推し進めようとする意思はない。また、第二次大隈重信内閣の悪名高い「対華二十一カ条要求」は加藤高明外相が元老に相談せずに行ったもので、その当時、世界大戦後、欧州勢が共同して東アジア進出してくるという見通しを立てた山県は袁世凱政権とロシア、アメリカと強調しなければならないと考えていたので、激怒した。某外交官出身の歴史家がこれを山県の意見を取り入れざるを得なかったと悪名を山県に押し付ける外務省史観を提示していたが、まったく誤りである。さらにシベリア出兵も山県は慎重で、アメリカが共同出兵を打診してくるまでは、認めなかったし、カリフォルニア州で「排日移民法」が成立した際には金子堅太郎を派遣して善後策を立てさせたいと考えたりした。

負の側面としては、明治20年の伊藤博文内閣で内相だった山県は保安条例を公布して、自由民権運動を徹底して弾圧した。また政党内閣を忌避し、普通選挙は国体を変換させるとして終始反対の意向を示した。そのため、原敬との関係は、険悪であったが、原が政友会総裁に就任して原の方針が転換されると両者の関係が徐々に密になり、原内閣成立後は、山県は原を激賞した。これは、山県と原の対米英協調路線、労働運動への警戒、普選への慎重な態度などの共通点がそのようにさせたのだろう。

そして、原暗殺に落胆し、寝言で「何んだ。馬鹿。殺して仕舞え。馬鹿な。馬鹿な」と原が殺されている夢を見て叫ぶほどであったそうだ。これは股肱と思っていた寺内正毅が「もう60で子供ではないから」と山県に反旗を翻し、宮中某重大事件で反山県勢力が山県を失脚させたところ、原は山県を守り続けたという山県の孤独感が原への評価を上げていったところもあるだろう。

このような大正末期の山県閥の崩壊過程を見ると、山県死後の軍部の台頭は山県に原因があるのではなく、「下克上」=誤ったデモクラシーの新しい流れの影響にあったように思えてならない。考えてみれば、山県存命の時代は大日本帝国の黄金時代で、山県が政党内閣を反対したからといって彼を「悪」に仕立て上げる史観は安易なような気もする。昭和天皇は山県のような人物がいれば、あのような悲惨なこと(軍部の台頭、敗戦)もなかったであろうとしているのも本書を読めばうなずける。大隈内閣後、高橋是清が山県に組閣を強く勧めていたが、それが実現したら、どうなっていただろうか。あと五年、山県が生きていたら、どうだっただろうか、と本書を読むと山県を少しは好きになるか・も。

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2008年6月18日 (水)

井波律子『三国志演義』岩波新書、1994年

『蒼天航路』を読んでいたら、三国志本を読みたくなって、積読本から取り出す。

『三国志平話』の張飛が活躍する庶民的バーバリズムから、『三国志演義』の関羽や趙雲や文官が活躍するようになる士大夫的物語へという転換、もともと庶民的人気のあった劉備率いる蜀漢帝国がその後の漢民族の帝国が中原を離れた地方政権へと転落した様と重ねあわされて正統化される、というのは面白かったが、その他は特に真新しい発見はなく、鋭い指摘もない。

そういえば、三国志に関しては文学者や小説家が論じることがあっても、歴史家が論じることは少ないように感じる。中国古典史書は、やはり文学の興味範囲なのだろうか。

また、「歴史知識」とでもいえばいいところを「歴史認識」と書いてみたり、たまに用語法が気にかかる。

しかし、三国志マニアにはお勧めできないが、ゲームからファンになったような人には入門書として最適だろう。

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2008年2月 8日 (金)

井上勝生『日本近現代史①幕末・維新』岩波新書、2006年

一昨年、岩波新書がリニューアルされてからの順次刊行されている通史の第一巻をブックオフで購入。従来とは、異なり東アジアの中の日本という視点で、描こうということらしく、いってみれば「アジア的専制」のように評価の低かった近世社会を持ち上げることで、近代日本を批判的に考察するといったものらしい。

そこで、本書ではペリーと徳川幕府との交渉を丹念にたどり、これまでのように幕府外交は「軟弱外交とか無為無策とか」と批判されていたことは適当ではなく、幕府もかなり言いたいことは言っていたということを史料を駆使して描いてくれる。

しかし、帯にもあるように「日本開国期に、日本中が攘夷で沸きたち、そうした世論の中心に天皇・朝廷の攘夷論があったという維新当初から強調された、日本開国の物語」は誤りで、近代日本がつくり出した「神話」に過ぎないことを繰り返し強調しているのだが、この辺がよく分からなかった。というのもこの記述があるのは、「おわりに」であるが、同様の記述で「断固条約拒否で幕末外交の世論が沸騰し、それをうけて正論の朝廷・天皇が浮上するというよく知られた物語」も事実と異なっている、とされている(62頁)。ここの記述にいたるまでの過程は、要するに幕府は、現実的で時にはペリーらを抑えるような堅実な交渉をしたが、やらなきゃいいのに朝廷や諸大名に相談し、大名の多くは開国支持に回り、朝廷内の上級貴族も支持するが、孝明天皇一人が断固拒否を貫き、上級貴族もそれにひきづられ、平貴族たちは「尊号一件」の時にあったに過ぎない「列参(強訴)」をしてまで天皇支持を訴える。そして「よく知られた物語」批判にいたるわけだが、著者は従来の幕府外交が「軟弱」ではないことや大名世論が開国支持であったことから、「世論が沸騰」していないと主張しておられるようだ。それはそれで正しいと思うのだが、最後の平貴族の「列参」がくると、特に孝明天皇だけが頑張っているわけではなく、その支持者がいて、それが拡がっているのだから「天皇が浮上する」という「物語」もそれほどおかしなものではない、という印象を本書を読んでも感じてしまう。

そもそも一般的に理解される「物語」は、ペリー来航―幕府の朝廷へのお伺い・大名への諮問―天皇の不支持―幕府権威の低下・天皇の浮上―国論分裂―天皇を担いだ側の勝利―明治維新というものだろう。つまり、従来の忠誠の対象が、藩士→藩主→幕府であったのが、最高権力の動揺により天皇が浮上し、先にあるように大名も幕府に同調したため、藩士→天皇と忠誠対象が変ったという「物語」なのであって、大名世論が開国支持でもいわゆる「幕末の志士」、つまり下級武士がどのような世論を持っていたかを検証しなければ「物語」を否定することにはならないのではなかろうか。本書でも孝明天皇が頑張ってしまったために外交政策や国内政治が動揺したことが強調されているが、天皇一人だけではなく平貴族や下級武士がそれを支持したから、混乱したのだし、天皇が浮上してくるのだ。現実に幕府外交が「軟弱」かどうかは問題ではなく、「軟弱」に見られたということの方が問題だったのだろう。だから、「物語」を「神話」と断ずるには、冷静に事務を処理していた側ではなく、「物語」に酔ってしまった側から検証していかなければ、意味をなさないのではなかろうか。もっとも、そうした研究はあるだろう。西郷が「攘夷は倒幕の口実」といっていたのは有名であるし。

しかし、著者が攘夷の「世論の中心に天皇・朝廷の攘夷論」があったというのは「神話」と断ずるにしても、あまりに孝明天皇が「断固拒否」であることを強調しているために(事実そうなのだが)、やっぱり「世論の中心」は天皇ではないか、という印象をあたえてしまう。だから、「神話」を補強こそすれ、否定しているという文脈にとれず、何が言いたいのかよく分からない。

よく意図するところが分からないのだが、天皇が邪魔して幕府の堅実外交が機能しなかったということを強調して、天皇批判をするなら、それでいいと思うが、「開国の物語」批判の文脈では、あまりうまい手ではないような気がする。本書を読んでも孝明天皇が無茶なこと言い出したから、天皇が政治の舞台に浮上してきたんだな、と感じてしまうし、そもそも、もうあまり天皇を大きなものとして(「敵」として)みた歴史叙述にやっきになるのはやめた方がいいのではないか、という印象をもってしまう。

平成の御世になってから保守勢力は、天皇とは結びついていない。昭和期における保守は、おそらく昭和天皇が現行憲法に疑問を持っていただろうと思えたから、天皇支持と憲法改正は矛盾しなかった。しかし、今上陛下は現行憲法支持であるから、保守勢力はあまり天皇個人に興味を持っていないのだ。だから天皇を貶めたとしても保守勢力には大して打撃にならない。現在の保守が伝統的なそれとは異なってしまったというのに、「岩波」の新しい歴史通史が伝統的な枠組みで歴史叙述をしようとしているのが残念でならない。

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2007年12月 5日 (水)

熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』岩波新書、2006年

長らく積読していた本書をやっと読み始め、やっと読み終わったが、いやこれはダメです。本書が、悪いのではない(と思う)。私が哲学頭ではないです。

ここのところ、いわゆる「ソクラテス以前の哲学者」の断章からプラトンとひそかに読み進めていたが、アリストテレスの『形而上学』で足踏み。そう、本書はアリストテレスが「存在を存在として研究」するものとして哲学を指すように、存在論をテーマにして書かれているもの(でいいのか?)なので、私のように哲学史を知識として道具として欲しいような「知者の術」を求めるような輩ではなく、ちゃんと愛知者として物事を考えたい人だけに面白く感じるような代物なようである。いってみれば、これが面白い、また著者が求める「テクストとともに思考を継続する」ことができる人のためだけに書かれた「入門書」であり、これがダメな人は、この道はくるなよという選別をあらかじめ与えてくれる「門」として立ちはだかっている。

でも巻末の人物紹介や年譜は、ありがたいので、それぐらいの持っている価値はあるが、これを読める人間は、こんなもの読まずに原文に当たった方が、よかろうとも思える「新書」である。

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2006年5月29日 (月)

苅部直『丸山眞男―リベラリストの肖像』岩波新書、2006年

著者が序章で述べているように、丸山に関して、多くの賛美本、批判本が溢れている。
しかし、それらは丸山の思想を体系的に論じようとするあまり、あるイメージを作って、それを賛美したり、批判したりと堂々巡りのものがあったり、同時代人が了解するだけのものや偶像破壊のものばかりだ。本書は、そこから抜け出して、時代と丸山がどう向き合ったかという一人の知識人として丸山を扱っている。丸山自身、自らを「プラグマティスト」と規定する側面もあるのだから、丸山を論じるなら、こちらの方が適している。
本書は著者はじめての新書であるが、学者にありがちな研究書的な生硬さはなく、新書という媒体を理解した体裁で、読みやすい。各所で見られる引用の妙も読者に新鮮な読書体験を与えてくれ、政治学者の著書ではなく、文学者の手による評伝を読んでいるようだ。これも著者の該博な知識に裏づけられた余裕によるものだろう。
多くの人に読んで頂きたい、そんな作品。

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